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これは愛と恐怖と復讐の物語である。元歴史教師マーチン・ラドフォードは、友人アレックからの誘いで、緯度から見るとカサブランカに近いジブラルタル海峡を出た先にあるマデイラ諸島に住む南アフリカ人レオ・セリックの依頼に、知的好奇心と失業の身には喉から手が出るほど欲しい報酬の魅力に抗し切れなく引き受ける。
このセリックが住む屋敷の先人は、1908年弱冠32歳で内務大臣に就任したエドウィン・ストラフォードであった。そして残されたストラフォードの回想録「メモワール」の謎を解明するというのがセリックの依頼だった。
このメモワールには“1910年夏至の日の蒸し暑い午後。私の言葉に、心から耳を傾けてくれたエリザベスの静かな姿が、今もまぶたに焼きついている。パラソルの下でいすに持たれ、黄金(こがね)にも勝る輝く瞳でわたしをじっと見つめながら、クリーム色のドレス姿のあの女(ひと)”
実に魅力的な女性エリザベス・ラティマーとの挫折する切ない恋も描かれていた。ストラフォードは生涯エリザベスに思いを寄せてこの世を去った。この破れた恋の原因が謎となっていた。
こういう歴史的背景に埋もれた謎が、1977年にマーチンによって明らかにされていくにしたがって人が殺され、セリックをマーチンが銃弾によって終止符を打つまでいつものように魅了された。そして、いつものゴダードのように錯綜するプロットに加え、珍しくセックス・シーンの描写も細かいひだを見せる。
マーチンがのぼせ上がる歴史研究者イヴ・ランドルとのシーンになっている。これはのちに嘘と演技であったことを告白するイヴに、読者が感情移入していると腹立たしさを覚えるよう計算された記述なのだろう。それくらいイヴが魅力的な女として描かれる。
“イヴ・ランドルはこのうえなく均整の取れた女性であると思えた。若さと成熟とを併せ持ち、美しくしかも気品があって、女らしくかつ学者としての風格を備えている。この調和がじつに自然ににじみ出ていて、わたしは教室で遠目に眺めた一点非の打ちどころのないその姿に、いまここで、間近に、ほれぼれと見入っていた。
講師らしくまじめな装いだが、服は体に合ってなまめかしさを漂わせ、わたしのほうを振り向いたとき、その髪は、計算されたかのように見事になびいた”
そして浜辺
“海のほうへ大またで歩いていった。裸だった。わたしが夢にまで見、恐れてもいたイヴの姿がそこにあった。――完璧な気高い美と熟れきった官能との見事な調和”
“イヴは指でペニスをさすり、わたしは、顔に、首に、キスをして、乳首をそっと噛み、背中伝いに片手を滑らせ、尻のあいだをさぐった。イヴの、経験豊かな悩殺の姿態に駆り立てられ、わたしは、ただもう夢中で射精していた”
こういう経緯があって、イヴが顎をあげて人を見下したように「あれはみんな嘘よ。演技だったの」と毒ずくくだりには腹が立った。
それにしてもゴダードはこのシーンを楽しんで書いているようだ。三島由紀夫の詩的で哲学的な描写も心に残るが、ゴダードはやや直截的だ。そして88歳で存命していたエリザベスとマーチンの交流は、ほのぼのとしていて、エリザベスの気品を堪能することが出来る。
読み手から見ると、双方に恋情らしきものも垣間見るような気がしないでもない。この二人が若くして出会っていれば確実に恋に落ちるだろう。読んでいてエリザベスに会いたくなるくらいだから。著者の第1作目にあたる。