破綻すべくして破綻だ。無担保融資で高金利の貸し出しは「法人向け」消費者金融の構造に似ている。 金利が高くても借り手はあるというのは橋下知事の貸金の金融特区と似ている考え方だろう。<o:p></o:p>
経済は合理的(情報、判断)ではない。CDS(倒産保険)の利率を考えても、破綻リスクの合理的予測は難しいことが証明された。<o:p></o:p>
次に、個人保証は、法人と個人の混在がある。そのため、融資の最後の保証が個人となる問題点がある。この解決として無担保融資は意義があるが企業与信の判断がより難しくなる。そのような専門性があったのだろうか。 <o:p></o:p>
さらに、異例に早い認可は不自然だ。当時の金融政策の一環という。当時の竹中元金融大臣と身内の関係という。自由経済への変革の最中に利権経済ではないかとの疑いもあろう。改革者と開発者が一体であるのは、証券化と格付け会社の市場操作疑惑に似ている。<o:p></o:p>
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金融は「辞めればあとは公的処理」というのではモラルハザード問題だ。明確で公平・公正を望む。 <o:p></o:p>
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