7月25日の陸渡御は総勢3千人の地元の講と講員、地元の子供、ご婦人が参加。15:30から赤い頭巾の催太鼓が出発、なかなか動かないのは信号があるからか。獅子舞、傘踊り、四つ竹(竹のカスタネット)、采女、稚児は風流、田楽、馬長の伝統を感じる。祇園祭なら花笠巡行か。この後、ご神体の御神輿、榊、神鉾は穢れ祓いの意味で祇園祭の山鉾と同じ。御鳳輦(道真公を奉安)、鳳と玉神輿で最高潮。(引いておくための木の台車も用意、祇園祭でもタイヤの台車あり)という内容は祇園祭の主要なのを一日で行うのと同じだ。つまりは時間で分けるロシア式料理の提供が祇園祭なら、天神祭は旧フランス式の全部まとめてに近いとも言える。
天満宮からアーケードを越えた西の大通りにある大鳥居の前で楽しんだが、2時間近く立っているとしんどい。感動したのは子供たちの花笠踊り。聞こえる範囲に笛と太鼓が配置(列の長い場合の阿波踊りでも同じ)、太鼓は2サイクル叩くと撥を上に高く上げ、前後の合図にしていた。傘踊りは何とも愛くるしい、ステップも5段階と分析。単純なリズムだがここまで長く続ける演奏も珍しい。休みがなく体力勝負だ。地車は山車で、鉦と太鼓でうるさいがテンポを変えて面白い。なんか阿波踊りの学生連(笛と三味線がいない貧乏仕様)みたいだった。
要所要所でホイッスルを使うのが特徴。ピーピーなって合図としている。これは祇園祭にはない。また大きな団扇で扇ぐ要員がいることや、踊りでも団扇が小物として大事な役目だ。ただ講員は扇子も持っている。祇園祭順応の音頭取りも扇が合図の道具。
とにかく長く、ゆっくり動く行列で地元が出演し、地元が鑑賞・応援というのが良かった。
船渡御は初め雑魚場行宮(あんぐう)が御旅所で下流の江之子島あたりにあったが、地盤低下で橋も下がったため、逆に遡上するルートになり、陸渡御から船渡御が水上の御旅所ようになり花火で祝っているのだろうか。この後、大阪天満宮に宮入り・還御祭となる。
陸渡御と同じ順番で出発。船はダルマ船に床を張って桟敷にしてあり、曳航され動く。大川はちょっと臭気が感じられる。まだまだ、浄化が進んでいない。ブービーの順番である鳳神輿奉安船の後を曳航される奉拝船に乗る。鳳講と都市計画学会の関係により席が確保できた。(2万3千円) 乗船中は「大阪じめ」の連発で、他の船とやりあう。六大学野球のエール交換を思い出した。おかげで上手になりました。
花火はいまいち。スケールが小さく大玉がない。低空で、うるさい音や変わり花火が多い。今まで、ボストン(3回)や浦安(10回)を住居の近くで体験したが、腹に響く音がないと満足できない。
水面からの景色は綺麗でゆったり楽しめた。お弁当もなかなか多彩な阪急謹製、ビールもたっぷり。ゆらゆら揺れる船は酔いが回る。
篝火船、薪能生船などイベントものも面白い。2時間半はあっという間、やはり水面に近いこと、両岸と橋上に人が多いこと、船同士の「大阪じめ」での参加意識、多種多様な船と楽しみが多いからか。両岸に続く屋台の数の多さにも驚いた。
(参考:関連する京都のお祭)
一条天皇の御代正暦五年(994)六月、今宮神社の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、悪疫退散を祈ったのが紫野御霊会。この神輿のある船岡山へ登る民衆は綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊った。病魔のよれる人形を川に流し難波江に至った。今の夜須礼(やすらい)祭につながる。
秦氏ゆかりの船渡御。4月20日は松尾大社の松尾祭(まつのおまつり)の神幸祭で6基の神輿が桂川を対岸に渡る船渡御で御旅所に、3週間後には還幸祭。同じく、秦氏ゆかりの伏見稲荷大社でも、同日に稲荷祭がある。京都の平安京の東西郊外でお祭りがある。なお、秦氏は桂川と鴨川の治水に関わっている( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F )
日本3大祭は祇園(牛頭天王、素戔嗚)、天神祭(菅原道真)、神田祭(平清盛)だが、霊力と迫力がある。だから町衆の支持と継承があるのだろう。