都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

ブロック塀は、所有者に工作物責任を明示すべき危険物だ、景観を悪くするエゴだ

2018-06-30 02:36:59 | 都市計画

 塀は敷地境界に建てられ、越境や管理問題の温床だ。今回、高槻市での痛ましい事故を受けて考える。

 問題は、公共通路に向かって倒れたことだ。これは所有者の工作責任として、管理責任が問われる。建物管理が悪い場合の看板の公道への落下による事故と同じことだ。( https://www.city.sapporo.jp/kensetsu/dokan/kokoku/documents/siryou27-1.pdf )

 看板には「管理の責任」と「点検」を求めるなら、ブロック塀にも同様の対応が欲しい。

 また、ブロック塀は目隠しに使われるが、泥棒は一旦塀の中にはいるとかえって家屋に浸入しやすい、逆に言うと視線が開放的な庭が入りにくいのがジレンマだ。つまりは、視線を遮るというだけの目的で、エゴイズムが事故や犯罪につながる。

 この解決には、軽量で視線を遮り、耐久性のあるアルミなどの塀を開発し、補助金で更新すること。次に、危険なブロック塀所有者に公的な建替えの命令権限を持たせること。町内などで危険なブロック塀所有者との協議を町内会などで持つことなどが考えられる。

 控壁を作っても、公的な道路側を危険にさらす「ブロック塀」は、自分だけの都合に合わせたわがままだ。

 同様に、今回落下はなかったが、景観上も見苦しい袖看板などの規制も執り行うべきだ。事故が起こってから「やっぱり」では遅すぎる。なお、アーケード街などに多い売場の張り出し、商店街に多い置き看板なども自分だけの都合だ。

 

 公共のものは安全にすべきだ、それが街を安全、きれいにする。割れ窓理論ではないが、ブロック塀、看板、売場張り出しも街のモラルが低いと分かる「自分だけが良いという、共有地のジレンマ理論」だ

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