みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

蛇なし宮殿

2013-11-07 | 旧市街

前回の続きです。
人込みに疲れたので、もう帰ろうと思ったら、市電停留所前の宮殿(国会施設)には長蛇の列がありませんでした。
以前に民主主義工房としてアップしたエプシュタイン宮殿です。

また、ぴんぼけ写真を羅列しました

1)入り口の奥の中庭

説明のビデオを見ている人

2)上を見上げたところ

上部はガラス張りで雨の日も大丈夫

3)階段の途中から見た中庭


4)この上のサロンの数々が祝日で一般公開されています


5)サロンのひとつ


6)大通り側の窓


7)下は市電と市バスの停留所

以前の記事のぴんぼけ写真は下の電停から撮ったもの

8)各室の天井が見事


9)窓から見た国会議事堂の一部


10)別の部屋の天井


11)隣室へつながる部分


12)また見事な天井


13)公開されている最後の部屋


14)外に出てきても人込みは相変らず


エプシュタイン家も以前に紹介したエフルッシ家と同様、19世紀末から20世紀前半のウィーンの経済と文化を支えたユダヤ系上流市民です。
女傑の空白で紹介したエフルッシ宮殿の内部も、ここに見られるのに似た内装ではないかと想像されます。

エプシュタイン宮殿は1873年の経済恐慌のとき、エプシュタイン家が売却、その後、市の教育委員会の建物でしたが、ナチスの時代には「第三帝国」の国家施設となり、戦後は再独立までの10年間、ここにソ連軍総司令部が置かれ、その後、再び教育委員会の施設となった後、2004/2005年に修復され、今は国会の施設となっています。

エフルッシ宮殿の場合は、ナチスの時代まで、エフルッシ家の人々が住んでいたのですが、ナチスによって没収され、エフルッシ家の人々は財産を失い亡命せざるを得ませんでした。戦後の占領時代はアメリカ軍の施設として利用され、再独立後エフルッシ家の相続権者(「琥珀の目の兎」著者の祖母)に返却され、相続者よって売却され、2009年までカジノ・オーストリアの社屋でした。現在どうなっているのか、ドイツ語ウィキにもありません。本が世界的ベストセラーになっているので、一般公開あるいはガイドツアー実施などが期待されます。

両宮殿についてはドイツ語のほか英語しかありません。
Wikipedia:Palais Epstein(英語)
Wikipedia:Palais Ephrussi(英語)