みみずのしゃっくり

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専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

エステル補遺3

2022-11-10 | おきにいり


続いてすみません 今回で終わりの予定です






バビ・ヤールのところで、ショスタコーヴィチエフトシェンコの詩を取り入れて交響曲第13番「バビ・ヤール」を作曲したと書きました。
それで思い出したのが数年前にドイツ・アマゾンで買った「ジャズ組曲」のCDです(上のジャケット:バレエ音楽、映画音楽も含めCD3枚のセット)。
当時は「ジャズ組曲」を入手したことが嬉しく、全然気にしませんでしたが、今回気付いてみれば、演奏はウクライナ国立交響楽団でした。



左からプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン(1946年の写真)
蛇足ながら「アン」と終わる姓は大体アルメニア人です。もうひとつ付け加えれば、プロコフィエフはウクライナ(帝政ロシア領)生まれです。
更に付け加えれば、1946年と言えばスターリン存命中、つまりスターリン批判以前ですから、芸術家にとっても息苦しい時代だったと思います。




私は、ベンジャミン・ブリテンとともにショスタコーヴィチは20世紀クラシック音楽における東西の横綱だと思っています。2人とも大好きな作曲家でオペラやコンサートも色々聴いています。
ブリテンには同性愛者であるという秘密がありましたが、それ以外ではショスタコーヴィチより遥かに自由な環境にあったと思います。

ショスタコーヴィチはオールマイティーの作曲家で、前衛音楽からポピュラー音楽まで幅広い作品を遺しています。早くから天才作曲家として高く評価され前衛的な作風だったのですが、スターリンの大粛清時代、多くの知人・友人が処刑され、自らもジダーノフ批判に直面し、作風の修正を余儀なくされました。既に国際的に評価されていたので、亡命しようと思えば喜んで受け入れる国は多かったはずですが、彼はソ連に留まりました。私の解釈では、ショスタコーヴィチは「ソ連」と「ロシア」を区別し、「祖国」であるロシアを捨てることができなかったのだと思います。

ペレストロイカの頃かソ連崩壊後か忘れましたが、ドイツの週刊紙「ディ・ツァイト」にカールハインツ・シュトックハウゼンの記事が載りました。シュトックハウゼンがソ連を訪れたとき、公式の場ではショスタコーヴィチから批判されました。しかし、その夜ホテルにショスタコーヴィチから電話があり「昼間は、ああ言わざるを得なかったのですが、実はあなたの作品は素晴らしいと思います」と告白されたということでした。

世界的に知られる作曲家であっても、いつ「反革命」のレッテルを貼られるかわからない生活の中で、ショスタコーヴィチにとっては、大好きなサッカーが息抜きの場だったと言われます。審判資格も持っていました。


ジャズ組曲の中でも最も人気があると思われるワルツ第2番YouTubeでお聴きください

ワルツ第2番


「バビ・ヤール」は長大な作品ですが、YouTubeには日本語字幕付きの録画もあります。





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