バルカン・ルートによる難民の流れは、まだ続いています。シリア難民の多くはレバノンやトルコの難民キャンプで暮らし、難民の増大で、そこでも暮らせなくなった人たちだと思います。
しかし、シリアが内乱状態になって以降、2012年にドイツへ亡命した哲学者がいます。
ダマスカス大学で哲学を教えていたサディク・アル・アズム教授
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ウィキ・フィリー画像
1990年代末、ウィーン大学オリエント学科で教授の講演会があり、私も聴きに行きました(講演の言語は英語)。
内容は忘れてしまいましたが、この人は一貫してアラブ諸国の近代化の遅れ、独裁政権、イスラム原理主義などを批判し、人権擁護に尽力してきました。
先代のアサド大統領の時代、裁判にかけられたこともありますが、勝利をかちとり、進歩的な大学生の間で高い人気を集めていました。
ちょっと古くなりましたが、9月17日付けNZZ(新チューリヒ新聞)にアズム教授のインタビュー記事が載りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/dc/0f3b8ec767624bc033617a6ac1f9c989.jpg)
インタビューの中でアズム教授が言っている核心は「原理主義者は社会の近代化に恐れを抱いている」ということですが・・・
これは、イスラム原理主義を批判する人たちに共通の見解であり、実際、ことの核心だと思います。
IS(イスラム国)も含め武力を行使する原理主義者は「最後に残された砦を死守しようとしている」・・・これも多くのイスラム原理主義批判者が指摘しています。
シリアを救うには「内戦を終わらせるための和平交渉を実現させる必要があり、そこにはアサド大統領をも参加させ、新たな民政を確立し、その上で、現アサド大統領が裁かれるべきだ」というのがアズム教授の見解です。
「まさか難民になるとは思わなかったが、なってしまったものは仕方ない」とも語っています(ドイツ政府に認められた政治的亡命者)。
アズム教授が2012年に亡命したのは正しかったと思います。パルミュラの遺跡を守っていた考古学者がISに斬首されたように、アズム教授もISから狙われる人物だからです。
アル・アズム家は古い名門で、オスマントルコ時代にはダマスカスの総督を務めていました。18世紀半ばダマスカスに建てられたアズム宮殿はアラブ建築の傑作であり、1920年に短命なシリア・アラブ王国が樹立されたときには、アズム宮殿が王宮となりました。
アズム宮殿中庭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/2e/27aaa0a648f6dda07799fce22b2a9ad8.jpg)
これもウィキ・フリー画像
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でも乞無期待
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