みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

怪物の島 脇道

2007-11-14 | ぴんぼけ


トルチェルロ島唯一のホテル「ロカンダ・チプリアーニ」の来訪者リストには、アーネスト・ヘミングウェーのほか、チャーリー・チャップリン、マルク・シャガール、エリザベス女王、マーガレット・サッチャー、ジスカール・デスタン、フランソワ・ミッテラン、ジャック・シラク、その他大勢が名を連ねています

けれど、運河沿いのメインストリートを離れると、すぐ、こんな道ばかり

中世の最盛期には数千人の住民を数えた政治経済文化の中心地でしたが、今は十数人の住民が住むだけ。歴史の歩みから取り残された不思議な空間に迷い込んだような気分になります

ヴェネチアを愛したジョン・ラスキン(1819~1900)は大著「The Stones of Venice」の中で、トルチェルロ島にも詩情溢れる一章を捧げています

島の中心部については、前回の画像(絵葉書)をご覧ください





怪物の島 絵葉書

2007-11-14 | おきにいり
       

トルチェルロ島の中心地がどんなところか分かりやすいのは、空から眺めることです
そこで古い絵葉書をスキャンしてみました
塔は「怪物の島その1」の写真後方に見えたものです。
塔の前、左側の長方形の建物がサンタ・マリア・アスンタ教会、その右に、11世紀に起源するサンタ・フォスカ教会があり、両教会は渡り廊下で結ばれています。

他には、小さな博物館があり、更に幾つかのレストランやスーヴェニールショップ、そして唯一のホテル「ロカンダ・チプリアーニ」(絵葉書右端、道路に面した長い建物)があるだけです




怪物の島その2

2007-11-12 | おきにいり


サンタ・マリア・アスンタ教会は、教会の原点とも言える雰囲気をたたえ、ビザンツ伝統のモザイクも、ヴェネチア本島のサン・マルコ教会より、一層「純正」なものです

この教会の片隅に、小さな大理石の洗礼盤があります。明確な年代は不明のようですが、9世紀から12世紀の間に作られたものと見られ、正真正銘のロマネスク。ここに彫られている可愛い「怪物」たちは、ロマネスクに特徴的なものです。日本の神社仏閣でも踏んづけられた鬼などが登場し、なんとも「愛くるしい」姿です

当時の人たちにとっても、愉快で滑稽なものだったのでしょうか。
それとも、恐ろしく、おどろおどろしい存在だったのでしょうか



怪物の島その1

2007-11-10 | ぴんぼけ


ヴェネチアの魅力は、本島だけではありません。
周囲に広がるラグーナ(潟)は、水で出来た砂漠、そこに点在する小島は
「常設蜃気楼」のようで、とりわけ夕暮れ時や霧がかかったときには、
とても幻想的です。そのラグーナの一角、ヴェネチア本島から北東に約1時間の
ところにトルチェルロ島があります(トルチェッロという表記も)。

7世紀から12世紀までは、ここがヴェネチアの中心地でした。
このため、文化史的に極めて重要なビザンツ様式の
サンタ・マリア・アスンタ(被昇天のマリア)教会があります。

内部には12~3世紀の見事なモザイクが見られるほか、
私の好きな「怪物」が「お住まい」です

写真はトルチェルロのメインストリートで、
後方にサンタ・マリア・アスンタ教会の塔が見えます。

その手前の石橋はポンテ・デル・ディアヴォロ(悪魔橋)と呼ばれ
欄干が無いのが特徴。それで、上に立つと落ちそうな気がしてちょっと恐い・・・
この写真では、人がまばらですが(殆ど人っ子一人だけ)、実は大抵旅行者がゾロゾロ・・・

前回の写真とは別の年です。「怪物」については続く・・・




旅行者のいない・・・

2007-11-08 | おきにいり


「両モモッテ」イタリア語版を見つけたヴェネチアは、私のお気に入り都市のひとつです。ヴェネチア愛好家は古今東西に沢山いますが、その夢は「旅行者のいないヴェネチア」を体験することと言われます・・・
実は自分も旅行者の数を増やしている一人なのですが、ヴェネチア愛好家は、自分のことは棚に上げて他の旅行者にケチをつけるのであります

これまで十数回ヴェネチアを訪ねた中で、ただ一度、旅行者のいないヴェネチアを体験したことがあります。
1991年2月、ちょうどクウェート占領中のイラク軍を連合軍が攻撃、いわゆる湾岸戦争の最中でした。同行する友達の家族はテロを心配しましたが、私は「ヴェネチアの海軍基地なんて玩具みたいなものだから大丈夫」と請け合いました

本当に、ゴーストタウンみたいなヴェネチアで、レストランに入ってもガラガラ、ボーイさんが「こんなに人のいないヴェネチアは生まれて初めてだ」などと奥でヒソヒソ喋っているのが聞こえました。

でも、どの名所もガラガラで待ち時間もなく、とても快適でした

滞在中のある日、更にヴァポレット(水上バス)のストライキがありました。友達と私は「さては戦争反対のストライキか」と勇み立ちましたが、単なる賃上げ要求ストでした

写真は、アカデミアの橋から、カナルグランデの最後の部分を見たところで、サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会が見え、そのちょっと手前右岸にはグッゲンハイム美術館が見えます。普段ならヴァポレット、ゴンドラ、モーターボート(公用、個人用、ハイヤーなど)が込み合っているカナルグランデに舟っこ一艘いません。

かなりシュールな光景でした



二匹の猫の生涯 ナンナ

2007-11-04 | ことば


まだ両モモッテです 両モモッテに初めて「出会った」のは、ヴェネチアの書店です
旅先では大抵書店に入ります。あるとき、ヴェネチアでも「行きつけ」の本屋で、偶然「二匹の猫の生涯」(上の画像)を見つけ、直感的に「これは買わなければならない本だ」と思いました。読んで感動し、ピエール・ロティのイメージが変わりました その後また偶然、原語(仏語)版「両モモッテ」を見つけて買い、更に原語版「慈悲と死に関する書」へたどり着いたというわけです

 ナンナ

両モモッテが仲良くなってから、お屋敷では「両モモッテのネンネ」が毎日の重要な「日課」となりました。まだ遊びたい両モモッテを、猫ベッドのある庭男の小屋に連れて行くのが毎晩「大仕事」。
原語は普通の表現ですが、イタリア語版では幼児語の「ナンナ」が使われています。日本語の「ネンネ」に似た響きでいずれも可愛い言葉だと思います




二匹の猫の生涯 追記

2007-11-01 | おきにいり


両モモッテの出会いは、二匹の猫にとって、ある意味で特別なショックでした。
ブランシュは、多分1~2年、お屋敷で「深窓の令嬢」として暮らし、周囲の人々から大切にされていたのです。
他方、密航を決行したシノワーズは、幸い大の猫好きである艦長さんの部屋に逃げ込んだわけですが、19世紀後半のことなので、フランスへの帰港まで多分数ヵ月、殆ど艦長室にこもって、ロティと「二人きり」で過ごしたのです。
ブランシュにとっては全く見知らぬ猫の闖入、シノワーズにとっては全く見知らぬ世界への第一歩

その二匹が無二の親友になったのです。ピエール・ロティも両モモッテには特別の愛着を持っていたのでしょう。
夫々のモモッテ、つまりモモッテ・ブランシュとモモッテ・シノワーズのため、名刺を作っています

当時は、まだペットの避妊・去勢手術など無い時代。両モモッテの出産で、仔猫が沢山生まれたはずです。ロティは貴族の家系で、ロシュフォールに大きなお屋敷があり、しかも海軍関係者、文学関係者、猫友など、友人知人が多く、今日で言う多頭飼いや里親探しには、困らなかったものと思われます。


蛇足

全く無関心だったロティの本を読むようになったのは、彼が砂漠と猫の作家でもあることを知ったためです。
どれくらい猫が好きだったかというと、例えばの話で本当に起こった出来事ではありませんが、「猫のためなら国家元首との会食約束も断る」というくらい好きだったようです

「二匹の猫の生涯」は、本来「慈悲と死に関する書」という本に収録され、この本の約三分の一を占めていました。
上の写真は、1991年に復刊されたものの表紙です。二匹の猫が見られる前回の表紙は、両モモッテの物語のみで1988年に出版されたものです。

インターネットで調べたところ、日本語版は1952年「死と憐れみの書」というタイトルで、白水社から出版されています。「復刊ドットコム」の復刊希望リストにもあるので、そのうち復刊されるかもしれません