みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

手作り

2013-01-11 | おきにいり

いただいたクリスマスカードと年賀状の中から手作りをご紹介

この頃はクリスマスカードもメールにしたり、電話で済ませる人も多くなっていますが
やっぱり手作りはいいものです


猫野みみさんのCG年賀状

風太くんの乗っている飛行船にもヘビさんマーク付き
色彩を濃くしてみましたが、飛行船ヘビさん、はっきり現れず


ちゃーちゃんさんのしっぽヘビさん

もちろん、出演はココ梅兄妹


以下は長年手作りを続けるスイスの友達からの3点


市販「部品」を用いた手作りカード


その裏側にもスキャンしたイラストが・・・

「イエス様に届けて」と言われて困っている郵便屋さん


手描きイラストのカード

この家族のカードは、いつもクリスマスのショートストーリー付き


盲導犬家族の写真カード

坊やも、もう若者になりました
この家族は、今では盲導犬のブリーダーもしているようです




暖かい話

2013-01-09 | その他

くさい話に続いて古代ローマ博物館の展示です。

古代ローマの人たちにとって、この辺りは寒かったわけで暖房は重要でした。


発掘されたローマ軍士官の家の床構造


床・壁面暖房システムで、床下の空間に暖めた空気が送り込まれました


壁の裏側にも隙間があって熱気が通るようになっていました


床に用いられたレンガ

一般には四角いものが多く、この形は珍しいデザイン

暗渠の蓋(砂岩製)



古代ローマ帝国の公衆衛生施設は大変優れていました。ローマ帝国滅亡と民族大移動による混乱で、そうした施設が失われた後、再び同じレベルになるのは19世紀後半だそうです。

Wikipedia:ヴィンドボナ
Wikipedia:Vindobona(英語の方が詳しく写真もあります)





ウン運び娘

2013-01-07 | かりねこ

海月さんからいただいた大変縁起の良い年賀状です

なにしろ麦酒三姉妹が、皆さんにウンを運んでくださるのです



これをご覧になった方々にも、きっとウンを運んでくれますよ
三姉妹の経歴については海月のそらみみに詳しく紹介されています

大変ウンの良い三姉妹なので、霊験あらたかです。
プリントアウトしてお部屋に貼ると、開運のお札になること請け合い


      

クリスマス期間は昨日の6日(三聖王=東方の三博士の日)で終わりました。学校のクリスマス休暇も昨日まで(ここらでは、年末年始の休みを「冬休み」とは言わず、「クリスマス休暇」と呼びます)。
この時期の風物詩がSternsinger(シュテルンジンガー=星の歌い手)
ベツレヘムの星に導かれて聖家族を祝福に来た3人の扮装をした子供たちが、家々をまわり、クリスマスの歌と祝福の言葉を述べ、迎えた家では福祉事業のためにカンパします。この頃は大抵大人が付き添い、3聖王(博士)の扮装をした子供以外にも、ベツレヘムの星を持った子供が口上を述べたりするようです。



最後に、家の入り口に3人(カスパール、メルキオール、バルタザール)のイニシャルと、その年の年号を書きます。
ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)では、どの国でも大体同じで、女の子も沢山参加していますが、イギリスでは「スター・ボーイズ」と呼ばれます。


Wikipedia:Sternsinger(ドイツ語)
Wikipedia:Star boys(英語)





血の小路

2013-01-05 | 旧市街

前回に続き「直前」の日に撮ったピンボケ写真です

シュテファン寺院の裏手、広場の北東に目立たない通り抜けがあります。

1)その通り抜けの中


2)向こうの小路に出られます


3)小路に出た途端に見た犬さん


4)お店の入り口で飼い主を待っています


5)人が集まっています


この小路は1862年からドームガッセと呼ばれています。
ドーム(シュテファン寺院)に続く小路だからです。

6)ここはモーツァルト・ハウスの入り口

多分、何か催しかパーティがあったのでしょう

7)この建物にモーツァルト一家が住んでいました

今は建物全体がモーツァルト記念館になっています

8)モーツァルト・ハウスの前から「血の小路」が始まります

「Blutgasse(血の小路)」の表示

表示は1782年、皇帝ヨーゼフII世の指示で市内(今の旧市街)に通り名表示が付けられた当時からの歴史的なもので、現存する数少ない貴重な表示のひとつ。

この小路は、1368年から1392年までコートガッセ、その後コールゲスラインと呼ばれ、いつからブルートガッセ(血の小路)になったかは不明です。名前の由来は、ひとつの伝説によれば、中世ここに場があり、排水溝から通りへ血が流れ出たため。もうひとつの伝説では、1312年に、ここでテンプル騎士団の騎士たちが惨殺され、通りが血で赤くなったためと言われますが、いずれも歴史学的根拠はありません。

9)何も無い不思議空間


10)振り返ってモーツァルト・ハウスを見たところ


11)先へ進むと建物の支えが見えてきます


12)両側の家を互いに支えあう中世の名残り


「家支え」に関する以前のみみずボログ記事
中世の亡霊
中世の面影

13)出てきた通りはシンガーシュトラーセ


この通り名も1862年からで、バイエルン出身のシニガー一家が住んでいたためということです。



歴史的説明や年号は、ドイツ語のネット検索と手持ちの本からの情報です。
そのひとつ:Planet Vienna:Blutgasse




西洋寺

2013-01-03 | 旧市街

「直前」の日に撮ったピンボケ写真ですが・・・

ここらへんには初詣というものがありません。神社仏閣もないし・・・
代用するとすれば教会、というわけで、シュテファン寺院の内外写真を羅列


1)西側=正面入り口前


2)この部分はロマネスクです(建物は基本的にゴシック

何者かはっきりしない怪獣たちが可愛くて大好き

3)中は暗いのでおんぼろカメラではピンボケばかり


4)ひょっとしたら聖書を読む人?


5)ぼけぼけ写真でクリスマスのクリッペ(1月6日までクリスマス期間)


6)脇祭壇ですが有名な祭壇


7)パイプオルガンのパイプの一部が見えます


8)これもボケボケですが・・・

聖堂建築を担当した大工(石工)の親方ピルグラムが遺した「自画像」レリーフ

Wikipedia:Anton Pirgram(英語)

9)赤玉イルミの通り右側の建物は大司教館


10)建物北側部分

北塔の上にはプンメリンがあります

11)北から見た正面(西側)ファサード


12)内陣上の屋根を飾る瓦モザイク

フランツII/I世のイニシャルと1831年の年号入り

蛇足ながら・・・ウィキ記事でも、フランツII/I世が生涯に4回結婚したとありますが、気の毒な人で、3人目までの妃が、次々と早世したのです。臣下が4回目の結婚を進言したときには、今度の女性も自分と結婚すると早く死ぬのではないかと心配しましたが、今度は大丈夫という周囲の保障で、4回目の結婚に踏み切り、幸せな晩年だったようです。

13)この通りから良く見えます