朝ドラ マッサンでは 進駐軍が来て ウイスキーを売ってほしいと言いました
ウイスキー工場を 爆撃しなかったのは 後々 ウイスキーが必要と分かっていたからだったのです
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焼き尽くし 破壊してよい物と 後々 進駐軍が使う物とを ちゃんと区別して 爆撃していたということです
米軍は
余裕しゃくしゃく だったのですね~
同じようなことを 『横須賀水道100年史・水の旅』(60ページ)で 読みました
横須賀市は戦時中に 死亡17人 負傷90人 物的被害は全焼2戸 全壊70戸 半壊223戸
という被害に見まわれました しかしその被害は
隣接する横浜市の 死者4,616人 焼失破壊家屋10万91戸
川崎市の 死者768人 焼失破壊家屋476戸
東京都の 死者11万500人 焼失破壊家屋85万1,078戸
と比較すると いかに軽微にとどまったかがわかります
大規模な戦災をこうむらなかったのは、戦載機による機銃掃射や小型爆弾による攻撃が主で、
焼夷弾爆撃を受けなかったことによります
米軍が横須賀の海軍施設を大規模な爆撃の標的から外したのには 戦略的な理由がありました
“占領後”の軍港使用を にらんでのことだったといわれています
平塚大空襲についても 似たようなことが言えるらしいです
米軍は 戦後平塚に進駐し、神奈川県西部を占領・統治するための師団司令部設置予定地に
火薬廠を想定していました。
したがって、平塚空襲による被害を、
火薬廠においては最小限に止めた空襲を実行しようとしていた
…と予想できるのではないかという見方もあるそうです
横須賀の海軍施設にしても マッサンのウイスキー工場(海軍の軍需工場)にしても
はたまた 平塚の 海軍火薬廠にしても…
それが そのまま 爆撃対象になったのではないのですね
進駐軍にとって 利用価値がありそうな物は 爆撃しなかったなんて
その頃の 民間人には 想像もつかなかったでしょうね~
まさに 余裕しゃくしゃくの 米軍だったのですね~!
驚きです!