旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

高台寺

2009年09月09日 | 旅 歴史
 京都市東山区高台寺下河原町にある高台寺です。
 北の政所で有名なお寺です。慶長八年(1603)、北政所は後陽成天皇より、「高台院」の号を賜りました。北政所の兄家定は臨済宗建仁寺の塔頭常光院を改修建立されました。家定に触発された北政所は、寺院の建立に向けて動き出され号にちなんで高台寺と決められました。 
慶長10年、この動きを知った家康は、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれています。
 北政所の存在を家康は非常に重要視しており、福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所の子飼いの大名たちも働いたようです。高台寺は、伏見城から運び込んだもの、北政所在世中に築き上げられたもの、その後追悼のために加えられたもので完成に至ったと考えられています。
 北政所は七十六歳で没されるまでここにお住まいになりました。翌年慶長11年、鷲峰山高台寺が落慶したそうです。度重なる火災の為、建物で現在残っているのは開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で、庭も度々改修されているようです。
高台寺の庭園は、小堀遠州の作と伝えられています。東山のなだらかな曲線を背景に、山裾の大地に広がっています。開山堂を正面に左右に二つの池があります。
 東側を臥龍池、西側を偃月池と呼んでいます。偃月池中央には、小方丈より開山堂へ渡る廊橋があり、中央に観月台が置かれています。偃月池の護岸は石組みで廻らされています。
 臥龍池の北東には滝石組みがあり、山裾の湧水をたたえた自然風の池で、東岸の山腹にはもみじが多く、紅葉ともなれば池に映ったその姿は見る人を圧倒します。池の北側には臥龍の廊下がかかり、霊屋へとつないでいます。その姿は、あたかも昇龍のごとくに見え、人工と自然との美しさがここに調和しています。

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東福寺

2009年09月09日 | 旅 歴史
 今日は京都府京都市東山区本町にある東福寺を紹介します。
 東福寺は臨済宗東福寺派の本山です。嘉禎2年(1236)関白の九条道家が聖一国師を開山として菩提寺建立を発願し創建されました。延応元年(1239)に大仏殿が上棟されました
 19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍が完成しました。五山の一つで「東福の伽藍面(がらんづら)」とまでいわれ壮観を極めました。
 東福寺の名前の由来は、奈良の東大寺のように大きく、興福寺のように盛大を極めた寺に・・・ と、それぞれ一字ずつとって「東福寺」と命名されたそうです。
 東山の山腹と渓谷を利用した境内には、国宝に指定されている室町最古の三門があります。至徳2年(1385)頃建設されたようです。五間三戸二階二重門、入母屋造り、本瓦葺きで切妻造り本瓦葺きの山廊があります。
 わが国最古で最大の禅堂は国の重要文化財です。別名、僧堂・選仏場とも呼ばれる座禅するための堂です。14世紀ごろの造立だといわれています。7間に4間の広さがあり一重で裳階が付いた切妻造りで本瓦葺きです。
 日本で唯一重要文化財に指定の禅宗寺院様式の「東司」(とうす)は長さが35mもある便所です。浴室も歴史が古く長禄3年(1459)の造立です。禅宗浴室としては現存最古のものです。
 方丈庭園は鎌倉時代の手法を用いた昭和の枯山水です。角石と苔とが描く市松模様の北庭はよく知られています。竜吟庵の方丈は現存最古の方丈建築で国宝に指定されています。
 本堂と開山堂を結ぶ歩廊の「通天橋」の下を三ノ橋川が流れ、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を創っています。紅葉の名所となっていて、橋のなかほどにある張り出し舞台にたつと素晴らしさが実感できます。
 この東福寺も度重なる兵火と明治14年(1881)の失火で仏殿、法堂、庫裏などを焼失しています。
 境内に建つ25の塔頭も名寺が多いのでしられています。光明院は虹の苔寺という愛称をもっています。同聚院は重要文化財の不動明王を安置しています。
 芬陀院(ぶんだいん)には雪舟の築造と伝えられる鶴亀の庭があります。霊雲院には九山鉢海の名園があります。

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