京都市東山区高台寺下河原町にある高台寺です。
北の政所で有名なお寺です。慶長八年(1603)、北政所は後陽成天皇より、「高台院」の号を賜りました。北政所の兄家定は臨済宗建仁寺の塔頭常光院を改修建立されました。家定に触発された北政所は、寺院の建立に向けて動き出され号にちなんで高台寺と決められました。
慶長10年、この動きを知った家康は、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれています。
北政所の存在を家康は非常に重要視しており、福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所の子飼いの大名たちも働いたようです。高台寺は、伏見城から運び込んだもの、北政所在世中に築き上げられたもの、その後追悼のために加えられたもので完成に至ったと考えられています。
北政所は七十六歳で没されるまでここにお住まいになりました。翌年慶長11年、鷲峰山高台寺が落慶したそうです。度重なる火災の為、建物で現在残っているのは開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で、庭も度々改修されているようです。
高台寺の庭園は、小堀遠州の作と伝えられています。東山のなだらかな曲線を背景に、山裾の大地に広がっています。開山堂を正面に左右に二つの池があります。
東側を臥龍池、西側を偃月池と呼んでいます。偃月池中央には、小方丈より開山堂へ渡る廊橋があり、中央に観月台が置かれています。偃月池の護岸は石組みで廻らされています。
臥龍池の北東には滝石組みがあり、山裾の湧水をたたえた自然風の池で、東岸の山腹にはもみじが多く、紅葉ともなれば池に映ったその姿は見る人を圧倒します。池の北側には臥龍の廊下がかかり、霊屋へとつないでいます。その姿は、あたかも昇龍のごとくに見え、人工と自然との美しさがここに調和しています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
北の政所で有名なお寺です。慶長八年(1603)、北政所は後陽成天皇より、「高台院」の号を賜りました。北政所の兄家定は臨済宗建仁寺の塔頭常光院を改修建立されました。家定に触発された北政所は、寺院の建立に向けて動き出され号にちなんで高台寺と決められました。
慶長10年、この動きを知った家康は、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれています。
北政所の存在を家康は非常に重要視しており、福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所の子飼いの大名たちも働いたようです。高台寺は、伏見城から運び込んだもの、北政所在世中に築き上げられたもの、その後追悼のために加えられたもので完成に至ったと考えられています。
北政所は七十六歳で没されるまでここにお住まいになりました。翌年慶長11年、鷲峰山高台寺が落慶したそうです。度重なる火災の為、建物で現在残っているのは開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で、庭も度々改修されているようです。
高台寺の庭園は、小堀遠州の作と伝えられています。東山のなだらかな曲線を背景に、山裾の大地に広がっています。開山堂を正面に左右に二つの池があります。
東側を臥龍池、西側を偃月池と呼んでいます。偃月池中央には、小方丈より開山堂へ渡る廊橋があり、中央に観月台が置かれています。偃月池の護岸は石組みで廻らされています。
臥龍池の北東には滝石組みがあり、山裾の湧水をたたえた自然風の池で、東岸の山腹にはもみじが多く、紅葉ともなれば池に映ったその姿は見る人を圧倒します。池の北側には臥龍の廊下がかかり、霊屋へとつないでいます。その姿は、あたかも昇龍のごとくに見え、人工と自然との美しさがここに調和しています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/