旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

銀閣寺(慈照寺)

2009年09月19日 | 旅 歴史
 京都市左京区銀閣寺町にある銀閣寺(慈照寺)を取り上げてみます。
 室町時代、東山文化の頃に大きな文化の影響を与えた「銀閣」は、のちに寺に改められ「慈照寺」と名前を変えました。
 銀閣は観音殿といい、創建時の風雅な姿をそのまま残す国宝です。世界文化遺産にも登録されています。
 観音殿(銀閣)は鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来観音殿と呼ばれました。二層からなり一層の心空殿は書院風。
 二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音苔薩を祀る銀閣を絶えず守り続けています。
 足利義政は、祖父にあたる三代将軍足利義満の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、山荘東山殿を文明14年(1482)に造営しました。この東山殿が銀閣寺の発祥です。
 銀閣寺は俗称であり、正しくは山号を東山(とうざん)、慈照寺です。義政の法号慈照院にちなみ、後にこう命名されたのです。金閣寺とともに相国寺の山外塔頭のひとつなのです。
 京都の東に連なる山々は東山(ひがしやま)と呼ばれ、如意が岳(大文字山)を中心になだらかに続いています。
 総門をくぐり中門までの約50メートルに銀閣寺垣が続きます。石垣・竹垣・椿の生垣が見事に調和しています。
銀閣寺形手水鉢
中門から中に入ると東山文化のわびさびを感じさせてくれる美しい庭園が目に飛び込みます。庭園は特別史跡、特別名勝に指定されています。
 正面に月待山、銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれる白砂や台形の向月台(こうげつだい)が配されています。月見の風情が伺え、枯山水と池泉回遊式の庭園は見事です。
 本堂へ続く東求堂(とうぐどう)も国宝で、同仁斎(どうじんさい)という現存最古の書院造りの部屋が有名です。東求堂の拝観は事前申込みが必要です。
 義政は8才で将軍となり政務に励みましたが、山名、細川氏らの対立を収められませんでした。妻である日野富子まで政治に口を挟み、政局は乱脈を極めました。
 後継者争いから応仁元年(1467)応仁の乱が起こり10年間戦いが続きました。そのさなかの文明5年(1473)、義政は将軍職を9才の義尚に譲ってしまい銀閣寺造営に情熱を向けたのでした。
 文明14年(1482)に乱で焼失した浄土寺の跡地に銀閣を造営して翌年移っているそうです。浄土寺は相国寺の西に移ったそうです。
 義政は文化面に優れた感覚を持ち、祖父の義満の金閣に劣らない建築を志しました。横川景三ら相国寺の僧を相談相手にしていたそうです。
 国の特別史跡・名勝に指定されている庭園は名手善阿弥(ぜんあみ)、襖絵は小栗宗湛、狩野正信らの一流人を用いています。
 資金は段銭を課し、公家、寺院から普請料を徴収したそうです。常の御所、禅堂西指庵、持仏堂の東求堂などを完成させました。最後に観音堂(銀閣)を上棟したのは死の前年の長亨3年(1489)だったそうです。

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法然院

2009年09月19日 | 旅 歴史
 今日は京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町にある法然院を紹介します。
 善気山万無(ぜんきさんばんぶ)教寺と号し、浄土宗捨世派の本山です。建永元年(1206)に法然上人が弟子の住蓮、安楽とともに六時礼賛(ろくじらいさん)をつとめたと伝えられる旧跡です。
 寛永年間(1624-1644)、ほとんど廃絶状態になっていました。そこを延宝8年(1680)、万無心阿(まんむしんあ)が弟子の忍徴(にんちょう)とともに上人を偲び念仏道場として再興したのでした。
 貞享4年(1687)、宮中から内親王の御座所を下賜されて方丈としました。その襖絵は金地著色の桐二竹図・若松図など重要文化財に指定されたものです。
 本堂内部は通常非公開ですが、正面から恵心作の本尊阿弥陀如来や散華が拝観できます。境内には谷崎潤一郎ら著名人の墓もあります。
 古都特有の厳かな雰囲気が程良い緊張を感じさせる法然院は善気山の清々しい山気に満ち、粛然とした気配がいまも漂っています。
 ヒノキと杉木立の参道をのぼると三門にかわる茅葺(かやぶ)きの数寄屋風の門があります。門をくぐると白沙織段(はくしゃだん)があります。
 両側に砂盛りがあり、白砂に文様が描かれています。池に架かる橋を渡ると方丈の玄関に出ます。本堂には恵心僧都がつくられた阿弥陀如来座像と法然上人が作られた木造を安置しています。
 須弥壇の前には散花(さんげ)と称して四季の花を散らし荘厳美を増しています。経蔵は元文元年(1736)の建造で忍徴(にんちょう)が門弟達と校訂した大蔵経を納めています。阿弥陀の徳を讃える六時礼賛(ろくじらいさん)が今日も続いています。


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