旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

西本願寺

2009年09月05日 | 旅 歴史
京都府京都市下京区堀川通花屋町にある西本願寺を取り上げます。
 大伽藍を誇る西本願寺は、浄土宗本願寺派の本山です。文永9年(1272)宗祖親鸞聖人の娘の覚信尼が京都東山に廟堂を創建したのがはじまりです。室町時代に蓮如上人が寺勢を盛り上げたが、反目を買い、 比叡山宗徒に破壊されました。
 各地に寺基を移したが、天正19年(1591)豊臣秀吉により七条堀川に寺地寄進を受けて顕如の子准如が造営にあたりました。慶長7年(1602)、徳川家康は、顕如の子教如(准如の兄)に寺地を与えて東西に分裂させました。東本願寺ができたので西本願寺と呼ばれるようになりました。寛永19年(1633)頃にはほぼ現存の姿になったようです。
 広大な境内には、御影堂を中心に多数の伽藍が建ち並び、広々として壮観です。国宝の唐門や書院は伏見城の遺構、飛雲閣や能舞台は聚楽第の遺構で、桃山建築の美を堪能できます。
北能舞台は現存する最古の能舞台で、虎渓の庭という桃山の庭も見どころです。西本願寺は平成6年(1994)に世界文化遺産に登録されています。

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東本願寺

2009年09月05日 | 旅 歴史
 京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町にある東本願寺です。
 京都駅前に位置する東本願寺は、真宗本廟(本願寺)と称し、浄土真宗「真宗大谷派」の本山です。 広大な境内地の中心をなす御影堂(ごえいどう)には、宗祖親鸞の像を、阿弥陀堂には本尊の阿弥陀如来を安置しています。 
 徳川家康から寺地の寄進を受け、第12代教如上人が西本願寺より分立して建立しました。中心をなす高さ38m、東西58m、南北76mという木造建築「御影堂」は世界最大級です。
  慶長7年(1602)、すでに退隠していた教如(きょうにょ)に徳川家康が4町四方の寺地を与え、12世を名乗らせて西本願寺から分離させたことがはじまりです。
 創建当時の御影堂(大師堂)は滋賀県にある長浜別院の本堂を京都に移したようです。西本願寺よりも小さかったので、万治元年(1658)、宣如が対抗意識を示してより大きなものに再建しています。
 三度の大火や、元治元年(1864)の兵火で諸建築は焼失し、現在のものはほとんど明治時代のものです。

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下鴨神社

2009年09月05日 | 旅 歴史
 今日は京都市左京区下鴨泉川町にある下鴨神社を紹介します。
 京都で最も古い神社の一つで、正式には賀茂御祖(かもみおや)神社といいます。古代豪族賀茂氏の氏神社で、上賀茂神社と合わせて賀茂社と総称されていました。
 下鴨神社の祭神は、賀茂建角身命(かもたけのつみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)です。前者は西殿に、後者は東殿に祀られています。朝廷の尊崇も厚く、「源氏物語」をはじめ数々の文学に登場しています。
 上賀茂神社を上社というのに対し、ここは下社と呼ばれています。南に広がる「糺の森」は、樹齢200年から600年にもなる老樹が茂り、昔は神々の審判の場であったといわれています。
 「糺の森」を抜け、参道の行き着いた先にある大きな鳥居をくぐると、奥に朱塗りの鮮やかな「楼門」が建っています。
 現存の「楼門」は寛永5年(1628年)に建て替えられたもので重要文化財に指定されています。
 「糺の森」は古代の山城国(京都)の原野として、国の史跡に指定されています。東本殿と西本殿の国宝が2棟、楼門など53棟の社殿群が重要文化財に指定されています。平成6年には世界文化遺産にも登録されました。
 玉依姫は古くから水をつかさどる農耕の神様です。 正月4日。境内の鞠の庭では、「ヤァ!」「アリィ!」と独特のかけ声が交わされます。赤や紫、色とりどりの水干(すいかん)、烏帽子(えぼし)姿の貴族達が鹿革で作った鞠(まり)を蹴り交わしています。 
 5月15日の五穀豊穣を願う葵祭も有名です。京都御所での儀式の後、藤飾りの御所車にのった斎王代(さいおうだい)を中心に内侍(ないし)や釆女、葵の葉を冠にさした貴公子達500人の列が、下鴨神社から都大路を上賀茂神社へと行進します。
 「言社(ことしゃ)」は「えとの守り神」ともいわれ、中門の内側、幣殿の前に建てられています。三つに見える社は全部で七つの小さい社で構成されています。大国主命は七つの名前を持っており、名前ごとに祀られているので七つの社になっています。
 幣殿の奥に「東本殿」、「西本殿」が建っています。幣殿の外からは、御簾や柱などに阻まれていて本殿の全体像を見ることは出来ません 「西本殿」には賀茂建角身命、「東本殿」には玉依媛命が祀られています。
 現存の「東本殿」、「西本殿」は桧皮葺の建物で、平安時代の典雅な面影をもっています。現在の本殿は文久3年(1863)に再建され、神社建築の代表的な社殿といわれています。
 重要文化財の出雲井於(いずもいのへの)神社は神武天皇二年の条りに「葛野主殿県主部」とある氏族が祖神として奉斎した社です。「井於」とは、川のほとりのことで、出雲郷の鴨川のほとりに坐す神社との意です。
 地主神である須佐之男命をまつっている。この神社の周囲にどのような木を植えても、柊葉のようにギザギザになることから比良木社(柊社)とも呼ばれているそうです。また、みたらし団子発祥の地(みたらし池)だそうです。

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