京都府京都市左京区一乗寺松原町にある一乗下り松です。
一乗寺山は八大神社、詩仙堂、西本願寺の北山別院、金福院に囲まれた高台を言います。この「下り松」は、京の都から比叡山延暦寺や滋賀の坂本への道しるべとして植えられたもので、「保元物語」や「平家物語」にも出てくる古いものです。
一の谷の戦いで戦死した平敦盛の遺児がこの松に捨てられていたのを法然が拾い育てて僧にしたという話、楠正成がここで足利尊氏の軍勢を向かえたという話など残っています。宮本武蔵と吉岡清十郎一門が決闘した所として有名です。一説には決闘したのは一条通の西端の「北野の七本松」で、そこも「一乗下り松」と称されていたということです。
一乗寺山は八大神社、詩仙堂、西本願寺の北山別院、金福院に囲まれた高台を言います。この「下り松」は、京の都から比叡山延暦寺や滋賀の坂本への道しるべとして植えられたもので、「保元物語」や「平家物語」にも出てくる古いものです。
一の谷の戦いで戦死した平敦盛の遺児がこの松に捨てられていたのを法然が拾い育てて僧にしたという話、楠正成がここで足利尊氏の軍勢を向かえたという話など残っています。宮本武蔵と吉岡清十郎一門が決闘した所として有名です。一説には決闘したのは一条通の西端の「北野の七本松」で、そこも「一乗下り松」と称されていたということです。