旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

一乗下り松

2009年09月29日 | 旅 歴史
 京都府京都市左京区一乗寺松原町にある一乗下り松です。
 一乗寺山は八大神社、詩仙堂、西本願寺の北山別院、金福院に囲まれた高台を言います。この「下り松」は、京の都から比叡山延暦寺や滋賀の坂本への道しるべとして植えられたもので、「保元物語」や「平家物語」にも出てくる古いものです。
 一の谷の戦いで戦死した平敦盛の遺児がこの松に捨てられていたのを法然が拾い育てて僧にしたという話、楠正成がここで足利尊氏の軍勢を向かえたという話など残っています。宮本武蔵と吉岡清十郎一門が決闘した所として有名です。一説には決闘したのは一条通の西端の「北野の七本松」で、そこも「一乗下り松」と称されていたということです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西本願寺北山別院

2009年09月29日 | 旅 歴史
 今日は京都市左京区一乗寺薬師堂町にある西本願寺北山別院を紹介します。
 詩仙堂の南側に西本願寺の北山別院があります。建仁元年(1201)、浄土真宗の開山僧である親鸞上人が比叡山より京都鳥丸の六角堂(頂法寺)の救世観音に百カ日の参籠を始めました。
 毎朝、比叡山からの往きには、ここ北山別院で親鸞は身体を清め、帰りには暫し休憩の後わらじのひもを締め直して雲母坂の険路に向かったといわれています。
参籠を始めて95日の明け方、親賛は聖徳太子から「菩提の道」を示され、六角堂を出ました。そしてその後、親鸞は比叡山へは戻らず、法然の吉水庵へ行ったのでした。
 29才の親鸞が愛用した御聖水は今でも湧き出ています。北山別院の山号聖水山も聖人を偲んでつけられたものだそうです。
 「病患(わずらい)も またご縁なり 法の道」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする