旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

妙法院

2009年09月25日 | 旅 歴史
 京都市東山区妙法院前側町にある妙法院です。
 天台宗に属する寺院で、天台三門跡(梶井門跡、青連院門跡)のひとつに数えられている名刹です。蓮華王院本堂(三十三間堂)は妙法院の仏堂で江戸時代から管理しています。
 後白河上皇の護持僧昌雲(しょううん)が祈祷の験により、新日吉(いまひえ)御所の地を与えられ創建した説と最澄が創建した説とがあります。
 暦応3年(1340)佐々木道誉によって攻撃され灰燼に帰し、復興後も応仁の乱で荒廃しました。豊臣秀吉が方広寺の大仏殿を建立するとき大仏の経堂として再興されました。庫裏は国宝で桃山期の豪快な建築です。
 寺領も1600石になり江戸時代には新日吉神社、蓮華王院、方広寺なども管理しました。天明の大火の際には光格天皇の皇后が避難したそうです。大書院は東福門院の旧殿を移築したものといわれています。
 幕末の七卿落ちが行われた宸殿、小堀遠州作と伝える庭園などもあります。国宝のポルトガル国印度副王信書、狩野派の筆による「唐美人図」「四季花鳥図」など、大画面の豪華絢爛な金碧画なども有名です。。




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智積院

2009年09月25日 | 旅 歴史
 今日は京都市東山区東大路七条下ル東瓦町にある智積院を紹介します。
 真言宗智山派の総本山です。豊臣秀吉が3才でなくなった長男鶴松の菩提を弔うために建造した祥雲寺が始まりです。
 元和元年(1615)紀州、根来寺(ねごろじ)の住職玄宥(げんゆう)が根来寺智積院と改名しました。18世紀初頭、学生僧教学専門学寮70棟を数えたといわれています。
 智積院は布教よりも学寮として発展したそうです。その勢力は全国におよび、代々の住持は硯学(せきがく)が任じられました。
 特に7世の運敞(うんしょう)は語学に通じ、人気があり諸国から宗派を問わず大勢の学生が集まったそうです。
 見どころは境内の収蔵庫にある桃山時代の国宝障壁画です。長谷川等伯一派の描いた桜図や楓図、雪松図、松に秋草図など見事なものばかりです。
 国宝に指定されている桃山時代の二曲屏風「紙本金地著色松に草花図」や重要文化財の「金地著色孔雀明王像・絹本著色童子経曼陀羅図」など有名なものがあります。
 庭園は江戸時代に作られたもので国の名勝になっています。北を生け垣、中央を枯滝組み、南を池泉とした名園です。7世の運敞が中国の廬山の景をかたどって作ったといわれています。


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