今日は京都府京都市左京区南禅寺にある南禅寺の真乗院を紹介します。
真乗院には応仁の乱で西軍の総大将だった山名宗全のお墓があります。山名持豊(宗全)は嘉吉の乱では、播磨の白旗城に籠城した赤松満祐を滅ぼし、備前、美作を与えられました。その後、山名氏の領国は9ヶ国におよび、管領の細川氏を凌ぐほどになったのです。
宝徳2年(1450)入道になり宗全と号しました。赤松家の処遇をめぐって将軍足利義政と対立。享徳3年(1454)子・教豊に家督を譲ってのちに、備前で赤松則尚を滅ぼしました。
長禄2年(1458)に幕政に復帰してからは、細川勝元と対立。畠山政長を管領職から追い、畠山義就を就けたため、応仁の乱が勃発し、何年にもわたって両雄は争いを止めることなく、京中と寺社はことごとく灰燼となったのでした。
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