旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

真如堂

2009年09月20日 | 旅 歴史
 京都市左京区浄土寺真如町にある真如堂です。
  洛東の神楽岡に建つ真如堂は、表通りに面していないせいか、その歴史の深さのわりに静かな佇まいを保っています。真如堂は、鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)と号し、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。真如堂とは本堂の名です。
 真如堂の建立は古く永観二年(984)。比叡山延暦寺の常行堂の阿弥陀如来像を、神楽岡の東にあった一条天皇の母である東三条女院の離宮に、安置したのが始まりです。
 その離宮の跡は現寺地の東北に当り「元真如堂」といわれています。後に幾たびか寺地を変え、文明17年(1485)足利義政が旧地に再興しました。
 その後また寺地は移り、元禄6年(1693)現在地に復しました。今の堂舎は宝永2年(1705)再建されたものです。
 本尊の阿弥陀如来像は、日本三大如来像のひとつにあげられる平安時代(藤原朝)の名作で国の重要文化財に指定されています。また運慶の願経の法華経6巻は国宝です。
 お十夜

 永享九年(1437)、伊勢守平貞国が出家を決意して真如堂に参籠し、三日三夜の念仏を終えたとき、夢の中に高僧があらわれて「なお三日まつべし」と出家を思いとどまらせました。
 不思議にも翌日、父の隠居が決まり、家督相続の知らせが来て貞国が相続の後、家は興隆したのです。
 阿弥陀佛に帰依していた貞国は、その後も度々三日三夜の念仏に、七日七夜の修行をした事から、十日十夜のおつとめ、「お十夜」の始まりとなったのです。
 境内には春日の局の父で明智光秀の家老、斉藤利三の墓がありました。利三は山崎の合戦で奮戦したが敗北、近江の堅田で打ち首となりました。その晒された利光の首を親友の海北友松が奪い取って京都真如堂に手厚く葬ったという逸話があります。その海北友松や東陽坊長盛、俳人の向井去来などの墓もあります。


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白沙村庭園 橋本関雪記念館

2009年09月20日 | 旅 歴史
 京都市左京区浄土寺石橋町にある白沙村庭園 橋本関雪記念館です。
 白沙村は「石も木も呼吸している」と言った日本画家・橋本関雪の邸宅です。大文字山を借景にした池泉回遊式庭園には180点もの石仏が置かれ、落ち着きのある素晴らしい空間を作っています。
石塔の他にも至るところに、石造物が置かれ、自然の草木にとけ込んでいる。敷地内には関雪の設計による茶室などもある。昭和58年京都市指定名勝に指定されました。

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