昼から大学へ。祝日だが「五郎八」が開いていたので昼食をとりに入る。天せいろを注文。カウンターの中の女性が申し訳なさそうに、「すみません。今月から1200円になりまして…」と言う。品書きを見ると、確かに、他のものはそのままで天せいろだけ100円の値上げになっている。なんだろう、海老の仕入れ値が上がったのだろうか。「はい、わかりました」と言って、もちろん注文はそのまま。この日初めての天ぷらの注文だったようで、少々時間がかかる。電車の中で読んでいた清水幾太郎『現代思想入門』(1959年)所収の「テレヴィジョン時代」の続きを読みながら待つ。
「読書活動とは、人間がリアリティに乏しい活字に生命を吹き込んで、自分でリアリティらしいものを作り上げる作業である。…(中略)…人間がイメージを作ることが出来れば、読書活動は峠を越えたのである。読書活動の最後にイメージが立っている。しかし、テレヴィジョンの視聴活動は、読書の終わりに現れるイメージから始まる。」(263頁)
「私にとっては、肝腎の書物が与えようとしている観念よりも、それに触発されて現れる副産物の方が貴重である場合が多い。主産物の追求がなければ、副産物の発生もないであろうが、精神的緊張のチャンスが欲しいために読書活動を行ったということも私には幾度がある。いや、それも私に限ったことではないであろう。つまり、読みながら考えるという平凡な方法である。
言うまでもなく、テレヴィジョンの享受の場合は、非常な努力が不必要である反面、こういう副産物を恵まれることも困難である。そういう余地がないのである。」(269頁)
日本でテレビの本放送が始まって5年目くらいに書かれた文章で、社会学者の書いたテレビ論としては初期のものである。ケータイやインターネットのときもそうであったが、新しいメディアが登場したばかりのときは、そのメディアが有しているさまざまな可能性のうちのマイナスの可能性にインテリは着目しやすい。清水のテレビ論も例外ではない。テレビと書物という新旧のメディアの比較を通じてテレビは損な役回りを演じさせられている。インテリの棲息する活字の世界を映像の世界の侵略から守ろうとする姿勢が見てとれる。
思い出してみると、私が最初に読んだ清水の本は『本はどう読むか』(講談社現代新書、1972年)であった。私が高校3年生のときに出た本だが、読んだのは大学3年生の夏である。記憶力がいいわけではなく、本の裏表紙に「1975.7.16 21才」と読了の日付と年齢が記入されているのである。これは学生時代から現在に至る私の習慣である。「7月16日」というのは、現在の文学部ではこれから試験が始まる時期だが、当時は夏休みの最初の一日であった。たぶん夏休みには大いに読書をしようと意気込んで、手始めに読書術の本を手に取ったのであろう。よほど面白かったようで、読了の日付と年齢の他に、感想メモが記されている。
「この本は題名だけ見ると、いわゆる『読書術』の本に思え、事実、私もそう思っていたのであるが、それがとんでもない間違いで、実は著者の自伝であり、同時代史であり、社会学序説であり、人生論であり、文明批評であるところのエッセーである。」
いまから思えば、この本を読んだことで、その後の私の人生のある側面が決定したのである。そして、いま、はたと気づいたのだが、この年の4月に後に私の妻となる女性が都立小山台高校に入学しバドミントン班に入っている。つまり私の人生の別の側面もこのとき静かに準備されていたのである。1975年は、人類の歴史から見ると平凡な1年に過ぎないけれども、私の人生にとっては重大な1年だったのである。
午後、本日行われた大学院の修士の入学試験の採点。自分のやっている作業が、誰かの人生のこれからを多かれ少なかれ左右しているのだと思うと、神妙な気持になる。
帰路、ケーキと花束を購入。今日は敬老の日である。娘も大学(サークル活動)の帰りにケーキと花束を買って来た。私のは赤いバラで娘のはピンクのカーネーションとひまわりだった。夕飯は松茸御飯と天ぷら。昼に続いての天ぷらだが、好物なので飽きない。デザートは娘の買った来たケーキ。私の買って来たケーキは明日に回された。

今日の夕焼けは格別だった
「読書活動とは、人間がリアリティに乏しい活字に生命を吹き込んで、自分でリアリティらしいものを作り上げる作業である。…(中略)…人間がイメージを作ることが出来れば、読書活動は峠を越えたのである。読書活動の最後にイメージが立っている。しかし、テレヴィジョンの視聴活動は、読書の終わりに現れるイメージから始まる。」(263頁)
「私にとっては、肝腎の書物が与えようとしている観念よりも、それに触発されて現れる副産物の方が貴重である場合が多い。主産物の追求がなければ、副産物の発生もないであろうが、精神的緊張のチャンスが欲しいために読書活動を行ったということも私には幾度がある。いや、それも私に限ったことではないであろう。つまり、読みながら考えるという平凡な方法である。
言うまでもなく、テレヴィジョンの享受の場合は、非常な努力が不必要である反面、こういう副産物を恵まれることも困難である。そういう余地がないのである。」(269頁)
日本でテレビの本放送が始まって5年目くらいに書かれた文章で、社会学者の書いたテレビ論としては初期のものである。ケータイやインターネットのときもそうであったが、新しいメディアが登場したばかりのときは、そのメディアが有しているさまざまな可能性のうちのマイナスの可能性にインテリは着目しやすい。清水のテレビ論も例外ではない。テレビと書物という新旧のメディアの比較を通じてテレビは損な役回りを演じさせられている。インテリの棲息する活字の世界を映像の世界の侵略から守ろうとする姿勢が見てとれる。
思い出してみると、私が最初に読んだ清水の本は『本はどう読むか』(講談社現代新書、1972年)であった。私が高校3年生のときに出た本だが、読んだのは大学3年生の夏である。記憶力がいいわけではなく、本の裏表紙に「1975.7.16 21才」と読了の日付と年齢が記入されているのである。これは学生時代から現在に至る私の習慣である。「7月16日」というのは、現在の文学部ではこれから試験が始まる時期だが、当時は夏休みの最初の一日であった。たぶん夏休みには大いに読書をしようと意気込んで、手始めに読書術の本を手に取ったのであろう。よほど面白かったようで、読了の日付と年齢の他に、感想メモが記されている。
「この本は題名だけ見ると、いわゆる『読書術』の本に思え、事実、私もそう思っていたのであるが、それがとんでもない間違いで、実は著者の自伝であり、同時代史であり、社会学序説であり、人生論であり、文明批評であるところのエッセーである。」
いまから思えば、この本を読んだことで、その後の私の人生のある側面が決定したのである。そして、いま、はたと気づいたのだが、この年の4月に後に私の妻となる女性が都立小山台高校に入学しバドミントン班に入っている。つまり私の人生の別の側面もこのとき静かに準備されていたのである。1975年は、人類の歴史から見ると平凡な1年に過ぎないけれども、私の人生にとっては重大な1年だったのである。
午後、本日行われた大学院の修士の入学試験の採点。自分のやっている作業が、誰かの人生のこれからを多かれ少なかれ左右しているのだと思うと、神妙な気持になる。
帰路、ケーキと花束を購入。今日は敬老の日である。娘も大学(サークル活動)の帰りにケーキと花束を買って来た。私のは赤いバラで娘のはピンクのカーネーションとひまわりだった。夕飯は松茸御飯と天ぷら。昼に続いての天ぷらだが、好物なので飽きない。デザートは娘の買った来たケーキ。私の買って来たケーキは明日に回された。

今日の夕焼けは格別だった