志賀直哉に「豊年虫」(1929年)という作品がある。例によって話らしい話のない小説のような随筆のような短篇だが、私はこの作品が好きである。
「信州戸倉温泉に来てもう七日になる。私はそれまで家族と浅間山に近い千ヶ滝にゐたが、書きかけの小説が出来上がらなかつたので、家族は東京の両親の方へやり、自分だけこの戸倉へ来て、先を続けることにした。今までの賑やかだつたあと、急に独りになると、その静けさが退屈となり却つて時間を持ちあつかうことがあつた。
書いて疲れる。湯に入る。寝ころんで本を読む。それでなければ、散歩する。散歩といつても、アカシヤの生えた千曲川の堤を上山田まで行き、それから湯宿の軒を並べた道を又戸倉まで引返して来るのだが、その間、二十分とはかからず、帰つても歩いて来たといふほどの気がしなかつた。」(『志賀直哉全集』第6巻、80頁)
志賀が自作について解説というかコメントを述べている「続創作余談」(1938年)の中で、この作品について、「『豊年虫』は『邦子』を書き上げ、やれやれとくつろいだ時の自分の状態を書いたものである」と述べている。私が「豊年虫」が好きな理由がまさにこの「やれやれとくつろいだ」感じにある。
たっぷりあると思われた夏休みもとうとう終わる。30日の土曜日が私にとっての後期最初の授業日である。明日は朝から夜まであれこれの(なんと7つも!)会議や面談が隙間なく入っている。この夏休みは「書いて疲れる。湯に入る。寝ころんで本を読む。それでなければ、散歩する」という戸倉温泉における志賀直哉的毎日を意識して心掛けてきたが、スイッチを切り替えなければならない。
ちなみに豊年虫とは蜉蝣(かげろう)の別名である。それの多い年は作物の出来もよいのだという。
「信州戸倉温泉に来てもう七日になる。私はそれまで家族と浅間山に近い千ヶ滝にゐたが、書きかけの小説が出来上がらなかつたので、家族は東京の両親の方へやり、自分だけこの戸倉へ来て、先を続けることにした。今までの賑やかだつたあと、急に独りになると、その静けさが退屈となり却つて時間を持ちあつかうことがあつた。
書いて疲れる。湯に入る。寝ころんで本を読む。それでなければ、散歩する。散歩といつても、アカシヤの生えた千曲川の堤を上山田まで行き、それから湯宿の軒を並べた道を又戸倉まで引返して来るのだが、その間、二十分とはかからず、帰つても歩いて来たといふほどの気がしなかつた。」(『志賀直哉全集』第6巻、80頁)
志賀が自作について解説というかコメントを述べている「続創作余談」(1938年)の中で、この作品について、「『豊年虫』は『邦子』を書き上げ、やれやれとくつろいだ時の自分の状態を書いたものである」と述べている。私が「豊年虫」が好きな理由がまさにこの「やれやれとくつろいだ」感じにある。
たっぷりあると思われた夏休みもとうとう終わる。30日の土曜日が私にとっての後期最初の授業日である。明日は朝から夜まであれこれの(なんと7つも!)会議や面談が隙間なく入っている。この夏休みは「書いて疲れる。湯に入る。寝ころんで本を読む。それでなければ、散歩する」という戸倉温泉における志賀直哉的毎日を意識して心掛けてきたが、スイッチを切り替えなければならない。
ちなみに豊年虫とは蜉蝣(かげろう)の別名である。それの多い年は作物の出来もよいのだという。