終日、論文の執筆。思ったより苦戦し、やっとこさで7枚書いた。夕食の後に加山雄三主演『海の若大将』(1965年)のDVDを観なければ、10枚書けたかもしれない。いや、案外、そうやって息抜きをしたから深夜にペースが上がって、なんとか7枚まで行けたのかも知れない。
『海の若大将』のラストでオーストラリアに留学する若大将の壮行会の会場は横浜プリンスホテルの庭園であったが、8月6日に観た植木等主演の『ニッポン無責任時代』(1962年)のラストの結婚披露宴の場面で使われていたのがやはり横浜プリンスホテルの庭園であった。たぶん東宝とプリンスホテルはタイアップしているのだろう。これまで注意して観ていなかったが、『日本一の大学』に出て来た芦ノ湖畔のホテルも、『銀座の若大将』に出て来た万座のゲレンデのホテルも、きっとプリンスホテルに違いない。考えてみると、東宝とプリンスホテルは戦後日本のレジャー空間の中で類似のポジションに位置してきたのではないだろうか。明るく楽しい東宝映画と庶民でも手が届く高さのちょっとリッチなプリンスホテル。一言でいえば、小市民的なレジャー空間。わが家も子供たちが中学生の頃に大学の教職員組合のスキー教室で何度か軽井沢プリンスホテルを利用したが、「バイキング料理」の質が他のホテルに比べて高かった。高度成長期とそれに続く安定成長期、あの時代の雰囲気を東宝映画とプリンスホテルは代表しているように思う。
端役ですが藤山陽子はきれいな女優さんでした
『海の若大将』のラストでオーストラリアに留学する若大将の壮行会の会場は横浜プリンスホテルの庭園であったが、8月6日に観た植木等主演の『ニッポン無責任時代』(1962年)のラストの結婚披露宴の場面で使われていたのがやはり横浜プリンスホテルの庭園であった。たぶん東宝とプリンスホテルはタイアップしているのだろう。これまで注意して観ていなかったが、『日本一の大学』に出て来た芦ノ湖畔のホテルも、『銀座の若大将』に出て来た万座のゲレンデのホテルも、きっとプリンスホテルに違いない。考えてみると、東宝とプリンスホテルは戦後日本のレジャー空間の中で類似のポジションに位置してきたのではないだろうか。明るく楽しい東宝映画と庶民でも手が届く高さのちょっとリッチなプリンスホテル。一言でいえば、小市民的なレジャー空間。わが家も子供たちが中学生の頃に大学の教職員組合のスキー教室で何度か軽井沢プリンスホテルを利用したが、「バイキング料理」の質が他のホテルに比べて高かった。高度成長期とそれに続く安定成長期、あの時代の雰囲気を東宝映画とプリンスホテルは代表しているように思う。
端役ですが藤山陽子はきれいな女優さんでした