猛暑である。「もうしょうがない人ね、ほうとうに!」と思わず『時効警察』の熊本さん的オヤジギャクを口走ってしまうほどの猛暑である。昼飯の後、残暑見舞いを数枚書く(8日が立秋だったのだ)。年賀状のようにたくさん書くことはないので、すべて手書きである。いまや肉筆で文章を書くのは残暑見舞いや寒中見舞いの葉書くらいになってしまった。いわゆる暑中・残暑見舞い用の官製葉書は使わず、折にふれて買い集めている絵葉書の中から涼しげなデザインのものを使う。この方にはこの葉書、この方にはこの葉書、と考えることも楽しい。
書き終えた残暑見舞いを投函しがてら散歩に出る。京浜東北線で2つ隣の大井町に行ってみる。この夏休みの課題の一つに「隣町の散歩」がある。直接のきっかけは、いつもの散歩コースである地元蒲田の東西の駅ビルが改装工事で来年の春先までの休業に入ってしまったことだが、以前から、自宅のある町と職場のある町と、その中間にある乗換駅(大手町・東京)周辺のことしか知らないというのは、日常生活の風景として貧しいのではないかと感じていたからである。この夏は、わざわざお出かでというほどでもなく、いつもの散歩の足を少し伸ばしてみようと思ったのである。大井町駅のホームに下りると、線路沿いの古い商店の裏側が見える。大森駅ほどではないが、昭和の風景が残っている。
改札を出て、駅ビル(アトレ大井町)に入ってみる。6階建てだが、1つ1つの階の面積が広い。だから中央に吹き抜けを設けることができ、開放感がある。4階の無印良品でクリアホルダー、スタンドファイルボックス、油性ペンを購入。5階の有隣堂で池上正太郎の未完エッセイ集(講談社)のうちの3冊、『おおげさがきらい』『わたくしの旅』『作家の四季』を購入。館内の喫茶店で読もうかと思ったが、土曜日のためだろう、混んでいるのであきらめた。1階の地鶏屋という総菜屋で夕食のプラス一品用に一枚100円のチキンカツを4枚購入して駅ビルを出る。
駅を出て、駅周辺の商店街を歩いてみる。目の前の丸井大井町店はこの8月末で閉店とのことで、ビルの壁面に「18年間ありがとうございました」の垂れ幕がかかっている。人間ならばこれからというときなのに。蒲田の駅前にも丸井はあったが、もうだいぶ前に閉店して、東急アネックスという名前のビルになっている。城南地区からは撤退ということか。「丸井はみんな駅のそば」は昭和を代表するキャッチコピーであった。東急大井町腺の駅前の交差点を渡る。目の前の商店街は「大井銀座商店街」という名前である。「○○銀座」の元祖は戸越銀座(東急池上線)である。昭和2年の開業だが、関東大震災のときの銀座の瓦礫をもってきてここで埋め立てに使ったことが名前の由来だと言われている。蒲田の西口駅前にも蒲田銀座という名前の商店街があったが、いまは別の名前(誰にも知られていない)になっている。「○○銀座」も昭和を代表するネーミングである。
JRの線路沿いの高台になっている商店街(名前は知らない)を品川方面に少しばかり歩いてみる。ここは春は桜、梅雨の頃はアジサイの名所で、電車の窓から眺めるのが楽しみの場所だが、歩くのは初めてである。何本も薄暗い路地があって、夜は小さな飲食店街になるのだろう。怪しげな二人ずれの男が路地の中に消えていった。そろそろ陽も傾いてきたが、いっこうに涼しくはならない。アンティークな珈琲館を見つけたが、夕食の時間に遅れると怒られるので帰ることにした。
今夜のメニューは、秋刀魚の塩焼き、冬瓜のあんかけ、チキンカツ、茄子の味噌汁、ご飯。私が買ってきたチキンカツが加わったことで一汁三菜になった。海辺の民宿の夕食みたいで嬉しい。最後に海水浴に行ってから5年が経つ。
書き終えた残暑見舞いを投函しがてら散歩に出る。京浜東北線で2つ隣の大井町に行ってみる。この夏休みの課題の一つに「隣町の散歩」がある。直接のきっかけは、いつもの散歩コースである地元蒲田の東西の駅ビルが改装工事で来年の春先までの休業に入ってしまったことだが、以前から、自宅のある町と職場のある町と、その中間にある乗換駅(大手町・東京)周辺のことしか知らないというのは、日常生活の風景として貧しいのではないかと感じていたからである。この夏は、わざわざお出かでというほどでもなく、いつもの散歩の足を少し伸ばしてみようと思ったのである。大井町駅のホームに下りると、線路沿いの古い商店の裏側が見える。大森駅ほどではないが、昭和の風景が残っている。
改札を出て、駅ビル(アトレ大井町)に入ってみる。6階建てだが、1つ1つの階の面積が広い。だから中央に吹き抜けを設けることができ、開放感がある。4階の無印良品でクリアホルダー、スタンドファイルボックス、油性ペンを購入。5階の有隣堂で池上正太郎の未完エッセイ集(講談社)のうちの3冊、『おおげさがきらい』『わたくしの旅』『作家の四季』を購入。館内の喫茶店で読もうかと思ったが、土曜日のためだろう、混んでいるのであきらめた。1階の地鶏屋という総菜屋で夕食のプラス一品用に一枚100円のチキンカツを4枚購入して駅ビルを出る。
駅を出て、駅周辺の商店街を歩いてみる。目の前の丸井大井町店はこの8月末で閉店とのことで、ビルの壁面に「18年間ありがとうございました」の垂れ幕がかかっている。人間ならばこれからというときなのに。蒲田の駅前にも丸井はあったが、もうだいぶ前に閉店して、東急アネックスという名前のビルになっている。城南地区からは撤退ということか。「丸井はみんな駅のそば」は昭和を代表するキャッチコピーであった。東急大井町腺の駅前の交差点を渡る。目の前の商店街は「大井銀座商店街」という名前である。「○○銀座」の元祖は戸越銀座(東急池上線)である。昭和2年の開業だが、関東大震災のときの銀座の瓦礫をもってきてここで埋め立てに使ったことが名前の由来だと言われている。蒲田の西口駅前にも蒲田銀座という名前の商店街があったが、いまは別の名前(誰にも知られていない)になっている。「○○銀座」も昭和を代表するネーミングである。
JRの線路沿いの高台になっている商店街(名前は知らない)を品川方面に少しばかり歩いてみる。ここは春は桜、梅雨の頃はアジサイの名所で、電車の窓から眺めるのが楽しみの場所だが、歩くのは初めてである。何本も薄暗い路地があって、夜は小さな飲食店街になるのだろう。怪しげな二人ずれの男が路地の中に消えていった。そろそろ陽も傾いてきたが、いっこうに涼しくはならない。アンティークな珈琲館を見つけたが、夕食の時間に遅れると怒られるので帰ることにした。
今夜のメニューは、秋刀魚の塩焼き、冬瓜のあんかけ、チキンカツ、茄子の味噌汁、ご飯。私が買ってきたチキンカツが加わったことで一汁三菜になった。海辺の民宿の夕食みたいで嬉しい。最後に海水浴に行ってから5年が経つ。