9月22日(土)の早稲田大学交響楽団秋季演奏会(於.文京シビックホール)のチケットが届いた。正面、中央よりやや後方のよい席である。6月の演奏会のときとほぼ同じ席ではないかと思うが、偶然なのだろうか。前回は午後2時の開演であったが、今回は午後6時の開演である。昼間にどこかに寄ってから回れるな。どこへ行こうか、と考えることがすでに楽しい(実際は、原稿の締め切りに追われているかも・・・・)。
昼食は卵かけご飯で簡単に済ます。卵かけご飯が好きということもあるが、週に一度(ときに二度)の「鈴文」のとんかつのせいか、夏痩せの反対の現象が生じているためである(もっとも、私、これまでの人生で夏痩せというものを経験したことがない)。後期の授業開始までにできれば2キロの減量をしたい。というわけで、食後、ジムへ。ただし、出かける時間が普段よりも遅かったので、筋トレ2セットとウォーキング&ランニング45分といつもより軽めのメニューになった。それでも鶏の唐揚げ一皿分のカロリー(約400kcal)を消費したので、卵かけご飯一杯との差は小さくないはずである。思うに、ジム通いには4つの快楽がある。汗をかく快楽、汗を洗い流す(シャワー)快楽、失われた水分を補充する(冷たい水)の快楽、そして体が軽くなる快楽である。よく「疲れないか」と聞かれるが、もちろんウォーキング&ランニングの直後はバテバテである。しかし、シャワーを浴びて水分を補給すると回復する。そして、帰宅の途中の喫茶店での読書は頭がスッキリして捗るのである。今日はルノアールで二十世紀研究所編『社会主義社会の構造』(思索社、昭和23年)所収の清水幾太郎の論文「社会主義社会における社会と個人の問題」を読んだ。これは昨日読んだ「資本主義社会における社会と個人の問題」の続編である。
「もちろん、社会主義社会になってみたところで人間の不幸はやはり果てしなくあるでありましょう。・・・(中略)・・・社会主義の社会になっても人間は年を取るでありましょうし、病気になるでありましょうし、どうせ死んで土をかぶされるでありましょう。社会主義社会になっても夫婦喧嘩はなくならないし、継子いじめもなくならないし、人間は到るところで涙を流して嘆かねばならならぬ。にもかかわらず、人間の獲得しうるところのミニマムの幸福条件が、資本主義社会におけるよりも社会主義社会における方がよりよく確保できるということは安んじて云い得るのであります。」(250-251頁)
戦後日本の進歩的知識人にとって「資本主義から社会主義へ」というのはモットーでありスローガンであった。清水もその例外ではなかった。ただし清水の場合は、マルクス主義者とは違って、それを歴史の必然的なコースとは考えていなかった。
「社会主義社会といっても、何も決まっておるものではない。これを美しく光輝くものにしようと思うならばある程度までできる。しかし、これを何ら努力しないでうっちゃり放しにしておれば、暴力と野蛮と無知との犠牲を払って社会主義が実現する。もしもこれにわれわれが積極的な手を加えて努力するならば、社会主義はその統制と計画の原理が人間の自由と権利と調和し、両立しながら実現できるんだ。何も決まっていない。もしもこれを決めるものがあるならば、実に今生きておる諸君の気持ちと諸君の積極的な動きによって決まるのであって、まだ何一つ決まっているんではないんだということ、この事は私の話の節々でご了解頂けたかと思うのであります。」(251-252頁)
清水と同年生れの作家、高見順の言葉をもじって言えば、「必然性の後ろに寝ていらねない」ということであろう。清水がソビエトや東欧の社会主義諸国の実態や、国内の社会主義陣営の運動方針に愛想を尽かして、「資本主義から社会主義へ」という公式への決別を宣言するのは、それから15年ほど後のことである。
ルノアールを出ると、雨が降っていた。秋雨前線が停滞し、季節が大きく移り変わろうとしている。九月、季節の移り変わり。九月、移り変わりの季節。そう堀口大学は「九月」という詩に書いている。
昼食は卵かけご飯で簡単に済ます。卵かけご飯が好きということもあるが、週に一度(ときに二度)の「鈴文」のとんかつのせいか、夏痩せの反対の現象が生じているためである(もっとも、私、これまでの人生で夏痩せというものを経験したことがない)。後期の授業開始までにできれば2キロの減量をしたい。というわけで、食後、ジムへ。ただし、出かける時間が普段よりも遅かったので、筋トレ2セットとウォーキング&ランニング45分といつもより軽めのメニューになった。それでも鶏の唐揚げ一皿分のカロリー(約400kcal)を消費したので、卵かけご飯一杯との差は小さくないはずである。思うに、ジム通いには4つの快楽がある。汗をかく快楽、汗を洗い流す(シャワー)快楽、失われた水分を補充する(冷たい水)の快楽、そして体が軽くなる快楽である。よく「疲れないか」と聞かれるが、もちろんウォーキング&ランニングの直後はバテバテである。しかし、シャワーを浴びて水分を補給すると回復する。そして、帰宅の途中の喫茶店での読書は頭がスッキリして捗るのである。今日はルノアールで二十世紀研究所編『社会主義社会の構造』(思索社、昭和23年)所収の清水幾太郎の論文「社会主義社会における社会と個人の問題」を読んだ。これは昨日読んだ「資本主義社会における社会と個人の問題」の続編である。
「もちろん、社会主義社会になってみたところで人間の不幸はやはり果てしなくあるでありましょう。・・・(中略)・・・社会主義の社会になっても人間は年を取るでありましょうし、病気になるでありましょうし、どうせ死んで土をかぶされるでありましょう。社会主義社会になっても夫婦喧嘩はなくならないし、継子いじめもなくならないし、人間は到るところで涙を流して嘆かねばならならぬ。にもかかわらず、人間の獲得しうるところのミニマムの幸福条件が、資本主義社会におけるよりも社会主義社会における方がよりよく確保できるということは安んじて云い得るのであります。」(250-251頁)
戦後日本の進歩的知識人にとって「資本主義から社会主義へ」というのはモットーでありスローガンであった。清水もその例外ではなかった。ただし清水の場合は、マルクス主義者とは違って、それを歴史の必然的なコースとは考えていなかった。
「社会主義社会といっても、何も決まっておるものではない。これを美しく光輝くものにしようと思うならばある程度までできる。しかし、これを何ら努力しないでうっちゃり放しにしておれば、暴力と野蛮と無知との犠牲を払って社会主義が実現する。もしもこれにわれわれが積極的な手を加えて努力するならば、社会主義はその統制と計画の原理が人間の自由と権利と調和し、両立しながら実現できるんだ。何も決まっていない。もしもこれを決めるものがあるならば、実に今生きておる諸君の気持ちと諸君の積極的な動きによって決まるのであって、まだ何一つ決まっているんではないんだということ、この事は私の話の節々でご了解頂けたかと思うのであります。」(251-252頁)
清水と同年生れの作家、高見順の言葉をもじって言えば、「必然性の後ろに寝ていらねない」ということであろう。清水がソビエトや東欧の社会主義諸国の実態や、国内の社会主義陣営の運動方針に愛想を尽かして、「資本主義から社会主義へ」という公式への決別を宣言するのは、それから15年ほど後のことである。
ルノアールを出ると、雨が降っていた。秋雨前線が停滞し、季節が大きく移り変わろうとしている。九月、季節の移り変わり。九月、移り変わりの季節。そう堀口大学は「九月」という詩に書いている。