フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月17日(金) 晴れ

2007-08-18 03:04:59 | Weblog
  昼食に娘の作った焼きそばを食べた後、1時間ほど昼寝をしてから、昨日購入した上川あや『変えてゆく勇気-「性同一性障害」の私から』(岩波新書)を読み始める。性同一性障害というのは自分の身体的性に違和感を覚えて苦しむことをいう。著者の場合は、身体的には男性だが、そのことに子どもの頃から違和感を感じており、恋愛の対象として男性を指向してきた。世間では性同一性障害と同性愛を混同しがちだが、両者は別のものである。典型的な男性同性愛者の場合、身体的にも心理的にも男性で、かつ性愛の対象も男性である。上川さんの場合は、身体的には男性だが(だったが)、心理的には女性なので、男性を恋愛の対象として指向することは、周囲の人の目には同性愛と映ったとしても、主観的には異性愛である。身体的性、心理的性(性自認)、性的指向の3要素は、身体的性と心理的性が一致し、そして異性愛を指向するという組み合わせが一般的だが、実際には、さまざま組み合わせが存在するのである。そして標準的な組み合わせ以外は、マイノリティーとして差別を受けている。上川さんは2003年4月に性同一性障害であることを公表した上で世田谷区議会議員選挙に立候補し当選。性同一性障害に限らず、現行の社会制度の中でマイノリティーとして差別を受けている人々のために活動を続けている。
  本書で私がとくに興味深く読んだのは、上川さんの体験談である。たとえば、第二次性徴の発現への戸惑い。

  「数週間後、おでこにポツンとニキビができた。そのうち顔がみるみる油っぽくなり、「きれいな肌なね」とほめられてきた顔に、次々とニキビがふきだした。肌が汚くなっていくことが恐怖で、ニキビに効くという石けんや売薬、入浴剤を買い揃えてもらった。眉が徐々に濃くなって、顔の様子も変わり始める・・・・。周囲の男の子と同じ変化が私にも現れつつあることに気づき、嫌悪感と焦燥感でいっぱいになった。
  少しずつ低くなっていく声がどうしても嫌。声変わりする前に好きだった歌を、同じキーで歌えるように家の中でこっそり練習した。徐々に目立ってくる喉仏を許せない。誰にもその変化に気づかれまいと、鏡の前でどういう角度なら目立たないのか始終、「研究」するようになった。いろいろ試した結果、一番目立たせない方法はいつもうつむき加減に過ごすことだった。加えて頬づえをついたり、喉もとに手を添えることが習慣になった。
  ヒゲも徐々に濃くなっていく、家族にすら気づかれたくなくて、父親の電気シェーバーをこっそり自分の部屋に持ち込んでは、毎朝まだ淡いヒゲに刃をあてた。人に近づくと、ヒゲや肌の変化に気づかれる気がして、人と目を合わせて話をすることが苦痛になった。
  身体が筋肉質になり、手足が毛深く筋張ってくると、人前で手を出すことが耐えがたくなった。手の血管が浮いて見えるのが嫌で、机の上に手を乗せることもできなくなった。」(39-40頁)

  なんて生きにくい日々であったことだろう。思春期はただでさえ変化する身体と自己イメージとのずれに苦しむ時期だが、自分の身体的性を受け入れることができない人にとっては、その苦しみは通常の何倍であろう。また、「あっ、そうなのか」と思ったのは、心理的性(性自認)とジェンダー(文化的性)との連動には時間的なずれがあるということ。これは論理的に考えれば、当然なのだが、うっかりしやすい。自分を女性として意識することと、他人に自分を女性として見てほしいと意識して振舞うことは、同時ではないのだ。

  「私はいまでこそ化粧をし、スカートをはくことを、自分にとってとても自然なことと感じているけれど、当時(注:28歳の頃)の私はまったく違っていた。少なくとも意識の上では女性の装いにはほとんど無関心で、サポートグループに行くときの格好はTシャツやトレーナーにジーンズ。髪は中途半端に長く、ノーメイクで眉毛もそのまま。しかし女性ホルモンだけは定期的に投与していたので、見事に中性的な外見だった。」(72頁)

  「女性姿で過ごす時間が増えるにつれて、自分は女性なんだと、素直に思えるようになった。しかし、私は「女性らしさ」を装わねばならない、と考えたことない。
  社会が規定する「らしさ」より、「自分らしくありたい」ということが大切だった。自分が心地よく過ごせるコンディション-身体、声、服装、しぐさ、話し方、そして話題-その総和が社会の「女性」の領域にあったに過ぎない。周囲が自然に女性として扱ってくれることで、そのことに違和感をもたない自分がいることに気づく。そんなフィット感の連続が、「女性」としての自我を安定したものにした。」(82頁)

  ジェンダーとは社会が認定している男らしさ・女らしさのことである。化粧をしスカートをはくことは「女らしい」行為である。上川さんは心理的には自分が女性であることを認識していたが、それがただちにジェンダーとは直結してはいなかたのである。だから、すでに述べた身体的性、心理的性、性的指向の3要素に加えて、もう1つジェンダー(文化的性)を性をめぐる要素として加える必要がある。ジェンダーは社会学の重要な用語で、教科書には必ず出てくるが、教科書的な説明だけでわかった気にならないで、上川さんのような4要素の非標準的な組み合わせの事例を当事者の語りを通して知ることは、とても大切なことである。