フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月16日(木) 晴れ

2007-08-17 10:46:10 | Weblog
  今日の昼食は蒲田駅東口の中央通り奥にある「丸一」に食べに行く。大森駅前にある「丸一」と同じ名前のとんかつ屋である。「鈴文」のご主人と同じく、ここのご主人も大森の「丸一」で修行を積んだ方であるが、年齢は「鈴文」のご主人よりも大分若い。本家である大森の「丸一」は二代目が継いでいると話に聞いているが、なんだか、北斗神拳におけるケンシロウ、ラオウ、シンの3人の物語を彷彿とさせるではないか。蒲田の「丸一」のネット上での評判はすこぶるよく、大いに期待して行ったのだが、残念ながらというべきか、ホッとしたというべきか、「鈴文」を凌駕するほどのものではなかった。おそらく豚肉の質は同等(実際、ランチのロースかつ定食は「鈴文」が950円、蒲田「丸一」が1000円)だが、決定的に違うのはかつの衣の色である。蒲田「丸一」の方が色が濃いのである。揚げている時間に差はないように思うので、油の温度が蒲田「丸一」の方が高目なのであろう。その結果、「鈴文」のかつはレア気味で肉汁が十分に保たれているのに対して、蒲田「丸一」のかつは肉に火がしっか通っていて、その分、肉汁は少ない。私には「鈴文」のレア気味のかつの方が美味しく感じられたが、とんかつソースと辛子をたっぷり付けて食べるのが好きな人には、蒲田「丸一」のかつの方が合っているだろう。蒲田「丸一」は店の雰囲気が素晴らしくいい。カウンター席のみの狭い店だが、カウンターの中にはご主人、奥さん、お母様、それと女性がもう一人(ご主人の姉妹?)がいて、とても活気がある。客も地元のおなじみさんが多いようで、和気藹々としている。出前のとんかつ弁当の注文の電話を受けた女性が、「高橋さん? あの子沢山の高橋さん?」と言ったときには、一同、どっと笑った。感心したのは、ご主人がその高橋さんの3つの弁当のうちの一つから、キャベツの上に載っているレモンの輪切りとパセリを取って、代わりにマヨネーズを載せて置くように指示を出していたことだ。高橋家の子どもたち一人ひとりの好みまでちゃんと把握しているのだ。私の隣の席の若い女性は「半ひれかつ定食」というのを注文していた。ひれかつ定食のかつの量を半分にしたものである。これなら、かつは食べたいけれどカロリーが気になるという若い女性もOKだ。この店に足しげく通う客たちは、この店のかつだけでなく、この店の人たちのことが好きなのだろう。

           

  食後の珈琲はルノアールで。ルノアールにしたのには訳がある。今日はここで長居をするつもりなのだ。読書でも執筆でもなく、持参したノートパソコンで『デジャブ』のDVDを見るのだ。私はモバイル用のノートパソコンは富士通のFMV-LOOXという機種を使っているのだが、液晶画面が大変に美しく、いまのデスクトップパソコン(富士通のFMV-DESKPOWER)を購入する前までは、自宅でDVDを観るときも、画面の大きさよりも画面の質を優先してこのノートパソコンを使っていたくらいだ。で、今日は、午後のひと時を、このノートパソコン持参で、喫茶店で映画を観ようと思い立ったのである(私の書斎は午後は西日がきつくていられないし、テレビのある居間では妻がビーズの講習会をやっているのである)。2時間ちょっとの映画なので、いつものシャノアールの椅子では疲れるであろうし、隣の客との距離も近すぎる。その点、ルノアールは椅子も空間もゆったりしていてシアターとして活用するには申し分ない。ただし珈琲一杯で2時間ちょっと居座るというのは私の感覚ではNGなので、1時間が経過したあたりで、二度目の注文(今度はレモンスカッシュ)をした。その結果、ルノアールの利用料は千円ほどになったわけだが、快適な環境で映画を楽しめたので(映画館はもっと混んでいるし、しばしば冷房が効きすぎている。もちろん上映中に冷たい水や熱いお茶のサービスなんてない)、高いものには感じなかった。これまで喫茶店は読書あるいは会話の場所として利用してきたが(執筆も試したことがあるが論文レベルのものは無理)、映画鑑賞の場としてもこれからは利用していこうかと思う。

            

  映画を観終えて、散歩がてら福家書店へ行き、以下の新書5冊と『ローマの休日』のDVD(500円)を購入。

  樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書)
  大沢久子『今から考える終の棲み家』(平凡社新書)
  北野圭介『大人のための「ローマの休日」講義』(平凡社新書)
  上川あや『変えてゆく勇気-「性同一性障害」の私から』(岩波新書)
  佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』(ちくまプリマー新書)

  それにしても今日も暑い暑い一日だった。街を歩いていても自然と日陰を求めて歩いている。それでも陽に焼けてしまう。私は生来の色黒なのではなく、陽に焼けやすい体質なのだ。夕方になると、いくらか凌ぎやすくなる。清少納言は「秋は夕暮れ」と言ったが、今年の東京に関しては、「夏も夕暮れ」である。

          
        芥子(けし)咲くやけふの心の夕映えに  水原秋櫻子