フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月19日(日) 晴れ

2007-08-20 02:02:49 | Weblog
  昨日購入した岩城宏之『音の影』(文春文庫)を読み始めたら、すでにどこかで読んで知っているエピソードが立て続けに出てきた。あれ、どうしてだろうと思ったら、何のことはない、同じ本をすでに単行本(2004年刊)でもっているのだ。こういう場合、「歳をとって物忘れがひどくなった」と嘆く人が多いが、私はそうは思わない。もし本当に物忘れがひどくなったら、同じエピソードを読んでもそのことに気づかないであろうから。蔵書がある限度を越えると(加えて数箇所にそれが分散している場合)、すでに持っている本を再度購入してしまうということはどうしても起こってくる(さすがに三度というのはまだありませんけどね)。今回の場合は単行本と文庫本だから、厳密に言うと、同じ本ではない。文庫本には単行本にはなかった「解説」(佐渡裕)が付いている。これがけっこうお値打ちものなのだ。
  武満徹は軽井沢に別荘をもっていて、一年の半分以上をそこで過ごし、朝から晩まで作曲の仕事をしていたそうだ。

  「いつかNHKが、「仕事場の武満徹」というドキュメンタリー番組を作ったが、画面では作曲に疲れた武満さんが庭に出て、いろいろな苔やきのこを観察しているシーンがあった。あとでご本人は、照れくさそうに言い訳していた。「作曲家が頭を休めるシーンとして、苔とかきのことか、芸術家らしいのを撮らされたんだけど、まさか近くの町の外国人ホステスが何人もいるキャバレーに遊びに行っているのは出せないもんね」と笑っていた。」(21頁)

  「さあこれから作曲を始めようというとき、武満さんは必ず30分ほどヨハン・セバスティアン・バッハを聞いたそうである。いつも『マタイ受難曲』だった。バッハを聞くと心が静かになって、新鮮な気持ちで作曲を始めることができるのだと言っていた。武満さんの音楽はドビュッシーとメシアンに、多くの影響を受けていた。バッハの影響を受けているとは思えない。きっと、自分とはまったく次元の違うバッハの、透明でもあり劇的でもある世界で心を静め、作曲にとりかかったのだろう。」(22頁)

  岩城宏之はエッセーの名手である。それは指揮者の余技なんていう水準をはるかに超えている。ちょうど東海林さだおのエッセーが漫画家の余技なんていう水準をはるかに超えているのと同じだ。一番の傑作は『楽譜の風景』(岩波新書、1983年)。私はこれを読んで一発で彼の文章のファンになった。音楽評論の最高峰は吉田秀和だと思うが、音楽エッセーの最高峰は岩城宏之だと思う。エッセーの急所はどういうエピソードをどういう順序で出すかにある。武満徹についてのエピソードで言えば、まず笑わせて、次に感心させる。その後で、武満が病床で最後に聞いた曲が『マタイ受難曲』であったというエピソードを紹介して、しんみりさせるのである。そして、最後に、半泣き半笑いのエピソード(どういう内容かは省略)で締めくくる。間然とするところがない。
  武満徹が亡くなったのは1996年である。岩城がこの文章を書いたのは、それから5年後の2001年である。それからさらに5年後の2006年、岩城宏之は亡くなった。われわれはこうして、亡くなった人の思い出を語っている人もすでに亡くなっているという感慨の中で、文庫本『音の影』を読むのである。それはもちろん単行本『音の影』を読んだときにはなかったものである。