8時、起床。親子丼の具とパンと麦茶の朝食。
午後から外出。東京都写真美術館へ行く。美術館は恵比寿ガーデンプレイスの中にある。歩いていると、「大久保先生!」と声を掛けられる。ゼミ3年生のNさんだった。韓国から来た友達を案内して東京見物をしているところだそうだ。よい一日を!
ガーデンホールの入口から長い長い列が美術館の横まで続いている。何だろうと整理にあたっている係の人に尋ねたら、何かのオーデションの結果発表があるのだそうだ。夢見る若者たちの行列。この中のほんの一握りの人たちが夢への階段を一歩のぼるわけか。
「世界報道写真展」の会場に入ったところで、「大久保先生!」と声を掛けられる。二文の卒業生のFさんだった。今日は午前中から美術館に来ていて、開催中の3つの展示会を全部観て回っているのだという。「ずいぶんお痩せになられましたね」とびっくりされる。スローダイエットの成果であることを話したら、安心してもらえたが、中高年がダイエットをすると、一年間で6キロ程度の減量でも、やつれた印象を与え、病気ではないかと心配される。だから「元気そうに」振舞う必要がある。中高年のダイエットは、体重管理だけでなく、印象管理にも気を使わなくてはならない。
「世界報道写真展」はインパクトの強い作品が並んでいる。日本の報道写真と違って、死体が写っているのが一番の理由だろう。そして、世界には紛争や暴力や飢餓が存在するというあからさまな現実。展示会のポスターや図録の表紙に使われている、鼻を削ぎ落とされた若い女性の写真は、ジュディ・ビーバーという女性写真家の作品で、今回の大賞受賞作である。若い女性の名はビビ・アイシャ(18歳)。夫の暴力に耐えかねて実家に逃げ帰ったが、追手の男達に捕まって、山中で両耳と鼻を削ぎ落とされた。妻に逃げられて面目を失った(=鼻を失った)夫がそれと同じ報復をするというのが現地(アフガニスタン中部のウルズガン州)の慣わしとのことである。ジュディはこの写真を撮ったときのことをこう語っている。
「彼女は小さな部屋にいました。床にカーペットが敷かれ、壁際にクッションがあるだけの部屋です。私はカメラと三脚とレフ板だけを持って中に入りました。最初に少し話をしてリラックスさせようと思ったのですが、まったく効果がないことがわかり、しばらくしカメラは置いたままにしていました。話している間にアイシャが驚くほど美しいことに気づきました。恥ずかしがりで悲しみに満ちてはいるのですが、内に秘めたものが少しだけ表に出るようなときには、見とれるほどの美しさでした。私は思わずこう言いました。「あなたは本当に美しい。それ写真に撮りたいの。あなたの強さと内なる美しさを。何か気持ちが明るくなることを考えて。内から力があふれてくるような」。その結果が、大賞を受賞した作品です。彼女が見せてくれたあの表情、あの目は、私の力で引き出せるものではありません。」(図録付録1頁)。
「世界報道写真展」をFさんと一緒にひとわたり観てから、「シャンブル・クレール」で一休み。私はコンビーフとポテトのサンドウィッチとオレンジジュース。Fさんはアイスコーヒー。Fさんは大手の出版社で働いている。最近、誰もが知っている雑誌連載コミックの担当になったそうだ。「写真集で写真を見るのと、こうした会場で写真を見ることの違いは何ですか?」とインタビューのような質問を受ける。これは写真に限らず、美術館で絵画を観ることと自宅で画集で絵画を観ること、映画館で映画を観ることとと自宅でDVDで映画を観ること、コンサートで音楽を聴くことと自宅でCDで音楽を聴くこと、どれにも同じように当てはまる質問である。理由はいろいろあるが、第一に、写真の大きさ。拡大・縮小率を変化させても作品の構造は変らないが、受ける印象は変ってくる。たいていの場合、大きな写真で観た方がいい。第二に、写真と他の写真の配列。写真集でも最初の頁にどれを載せて、次の頁にどれを載せてという配列(編集)が考えられている。展示会の場合も、どういう順路にしたがって作品を配置するかという点は重要で、そこに企画者の意図があり工夫がある。写真展に行くことは、たんに個々の作品と出会うということではなく、たくさんの作品で構成される「写真展」という作品と出会うということである。第三に、ライフスタイル。写真展に出かけて行かけていくためには時間とエネルギーといくらかのお金が必要である。そういうハードルを乗り越えて、「写真展に出かける」という行為をする(それを続ける)ということは、それが自分の生活や人生にとって意味があると考えているからである。・・・そんなことを答えた。隣のテーブルの客には本当のインタビューのように見えていたかもしれない。「シャンブル・クレール」の支払いはFさんがしてくれた。私が持とうと思っていた矢先に伝票をとりあげられた。社会人となった教え子のそうした行為には、「ありがとう。ごちそうさま。」と素直に言うことにしている(ただし一度だけ)。Fさん曰く、「今日は父の日ですから(笑)」。なんだ、それは。
Fさんと別れた後、前回観た「子どもの情景(戦争と子どもたち)」展をもう一度、そして「世界報道写真展」をもう一度観る。戦争で傷ついた子どもの写真を見て、高齢の女性が「まあ、ひどい」「かわいそうに」と声に出している。普通は静かに観るものだが、むしろ今日はそれが自然な振る舞いであるように思えた。「作品は静かに鑑賞しましょう」というルールは、時と場合によっては、破ってかまわないものだと思う。そんなことを考えいたら、展示場の入口に「15:00-18:00おしゃべりタイム」という掲示が出ていた。一緒に来た方とどうぞ遠慮なくおしゃべりをしながら観てくださいということのようである。日曜日だけの限定企画らしいが、わが意を得たりという気分になった。
写真美術館を出て、ガーデンプレースを歩く。たくさんの人たちが思い思いに休日のひと時を楽しんでいる。
「サンジェルマン」のテラスで一服していたら、人に馴れた雀が足元にやってきたので、パイのかけらを放ってやると、一生懸命ついばんでいた。