フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月25日(土) 晴れのち曇り

2011-06-26 09:46:03 | Weblog

  8時、起床。ハム&エッグ、トースト、牛乳の朝食。晴天だが、天気予報によれば、これから曇って、気温も下がるらしい。
  午前中はゼミ関係の仕事。来週から4年生は二回目のライフストーリー・インタビュー調査が始まる。ライフストーリー・インタビュー調査は私のゼミの核にあるもので、3年生の秋と4年生の夏に行う。現代という状況やそこでの人間の意識については、社会学や心理学の本を読めばわかるけれども、生身の人間と出会って、彼らの語るライフフトーリーに耳を傾けることが大切だと、私は考えている。

  午後、昼食を家でとってから、散歩に出る。天気予報どおりの曇り空になった。今日は駅の方ではなく、呑川とJRの線路の向こう側に行ってみようと思う。私の家があるのは西蒲田と呼ばれる地区で、JR蒲田駅の西口を出た方だ。線路の向こう側は蒲田と呼ばれる地区で、JR蒲田駅の東口を出た方だ。 線路を越えて向こう側に行くことはたまにしかない。東邦大学の大森病院へ行くとき、梅屋敷商店街で買物をするとき、区役所やジムに行くときくらいのものだ。長年蒲田に住んでいても、日常の生活圏は蒲田のごく一部に過ぎない。
  線路の向こう側へ渡るルートは、踏み切り、歩道橋、地下道、蒲田駅ビル内の連絡通路などがあるが、家から一番近いのは、歩道橋である。この橋の名前は「そとかわだこせんじんどうきょう」というのだが(そう板切れに書いてある)、「じんどうきょう」は「人道橋」だが(人道的な橋みたいだ)、「そとかわだこせん」というのが意味がわからない。どういう漢字をあてるのだろう。
  *後記:「こせん」は「跨線」のことでしょうと、ブログの読者から教えていただく。残るは「そとかわだ」。地名のように思えるが、現在、蒲田周辺には「そとかわだ」という地名はない。昔の地名なのだろうか。

 

   線路の向こう側は蒲田一丁目一番地だった。昔、その町の一丁目一番地を訪ねる散歩番組があったのを思い出す。巨大なマンション(蒲田グリーンパーク)がある一方で、古い民家や、もう営業はしていない商店や、営業をしているのかしていないのかわからないビルがある。「昭和」の残存率は西口よりも大きい印象を受ける。

  公園に子どもたちの姿がたくさん見られるのも昭和的な風景である。

 

  御成橋通りの商店街をちゃんと歩いたのは初めてのような気がするが(これまでは横断するだけだった)、けっこうな人通りである。商店街は町を一枚の葉っぱに喩えれば、葉脈に相当する部分で、ここに人の流れがあることが大切だ。蒲田一丁目は活気のある町であることがわかった。

  商店街を歩いていくと御成橋のところに出る。やはり川のある町というのはいいものである。決して美しい川ではないが、川があると空が広くなり、そして風の通りもよくなる。

  いま来た道を引き返し、再び線路を渡り、わが町、西蒲田五丁目に戻る。