フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月8日(土) 雪

2014-02-09 03:36:41 | Weblog

       7時、起床。未明から降り始めた雪が積もっている。雪はこれから本格的に降るらしい。

       スープパスタとマフィンの朝食。

       昼食は「phono kafe」に食べに行く。雪はさらに降ってきた。しかも風が強くなってきた。 

       客は私一人。「今日は誰もいらっしゃらないのではないかと思っていました」と大原さん。そうかもしれないと思って来たのである。こういうときこそ常連客(=サポーター)の出番である。

     ご飯セットを注文。惣菜は、玄米と豆腐のタルト(人参ソース掛け)、薩摩芋のコロッケ、牛蒡のフリットの三品。どれもとても美味しい。

       デザートはクランベリーのマフィンと紅茶。

      大原さんの義姉さんお手製の新しい柄のランチョンマットがあったので購入。後から気づいたのだが、支払いのとき、ランチョンマットの金額が入っていなかったのではなかろうか。これは雪の中をわざわざやってきた客に対するサービスではなくて、単純に大原さんがうっかりしているのだと思う(笑)。実際、大原さんはときどき請求額を間違える。しかもつねにその金額が過少であるのが彼女らしいところである。

     自宅の三階のベランダからの眺め。ビルが霞んでいるのは、吹雪いているからである。

     夕方、ポストに手紙を出しに行く。

     雪の降る街を歩くのは好きである。「雪の降るまちを」という歌も好きである。

      ポストに雪が積もって、しかも吹き付けて、入口が半分塞がれている。この雪では一日くらい着くのが遅れそうだ。

     自転車たちも雪原の鹿たちのようである。

     外出から戻った妻と玄関前の雪かきをする。

      夕食は寄せ鍋。雪の降る夜にふさわし。

     深夜、コンビニに買い物に行く。俄か雪国である。 

     1954年2月と1969年3月の30センチに次ぐ積雪であるという。1954年2月は私の生まれる2か月前であるから、雪のことは記憶にないが、1969年3月の雪のことは覚えている。その日は確か都立高校の合格発表の日だったはずである。中学3年生だった私は、田園調布高校に合格発表を見に行って、雪の校庭の合格掲示板で、合格と、入学先が都立小山台高校であることを知ったのである。当時は学校群単位の入試であったので、どの高校へ振り分けられるかは合格発表のときに分かるのである。合格は間違いないと思っていたので(内申書がよかったのだ)、関心は小山台と田園調布、どちらの高校に振り分けられるのかという点にのみあった。田園調布を希望していたので、小山台と知ってがっかりしたのを覚えている。田園調布高校は多摩川の河畔の丘の上にある陽あたりのいい学校だった。石坂洋二郎の小説『陽のあたる坂道』のイメージがあった。一方の小山台高校は武蔵小山駅の目の前、商店街の中にある古い(前身は府立八中)建物の学校だった。田園調布高校が私服OKだったのに対し、小山台高校は制服制帽着用だった。そういう訳で、最初は浮かない気分だったが、結果的にみて、小山台高校へ進んだことはよかった。理由はいろいろあるが、妻と出会ったことをあげておくと妻の機嫌がよいと思うので、そうしておく。