6時、起床。体内時計が乱れている。オリンピックのせいだ。みんな雪のせいだ。
浅田真央は勝負の女神には見捨てられたが、スケートの神様には最後に微笑んでもらえたようである。
朝食はとらず、2016年度のカリキュラムについての書類作り。新しい科目を1つ作ろうと思う。
昼食はクリームシチュー、パン、サラダ。パンは「phono kafe」で昨日購入した胡桃入りのパンで、もっちりとして、ワインの香りがする。
食後、散歩に出ようかと思ったが、眠くなったので、昼寝をすることにした。身体が深部から眠りを欲している。身体に眠りを与えてやらねばならない。
夕方、散歩に出る。ジムに行こうかとも思ったが、今日はやはり体を休めた方がよいと判断した。
駅の近くまで来たとき、ケータイに妻から電話が入った。今日は妻は千葉のそごうデパートに講習会の仕事ででかけている。
「猫にエサあげてくれた?」
「あげたよ」
「洗濯物は取り込んでくれた?」
「取り込んだよ」
「いま、どこ?」
「散歩に出たところ。駅のそば」
「私もいま蒲田に着いたところ。東急のスーパーにいる。夕食どうする?」
「外で食べようか」
「そうする?」
普段、金曜日の夜というのは、私はゼミがあるので、夕食はいつも外で済ませてくる。妻は仕事から帰って、簡単な夕食をとるのが習慣になっているのだ。
どこで食べるか、少し迷って、結局、「テラス・ドルチェ」でカフェご飯にすることにした。いつもは一人で来る私が、二人連れで来たので、中国人のウェイトレスさんが「まぁ、お珍しい」という顔で私を見た。めったに座らない4人掛けの席に座る。
私は生姜焼きライス、妻はキノコのピラフを注文。
後から店に来た老人が、「いつものやつ」とウェイトレスさんに注文したので、なんだろうと思っていたら、私と同じものが運ばれてきた。この人はよくこの時間にここに来て生姜焼きライスの夕食をとるのか。晩年の永井荷風における本八幡の「大黒屋」のカツ丼みたいなものだろうか。荷風jは亡くなる前日も「大黒屋」のカツ丼を食べたことがその日記(断腸亭日乗)から知られている。
「いつものやつ」という言葉を私は使ったことがない。人生で一度も使わないであろう言葉というのはいくつか思いつくが、「いつものやつ」はその一つである。行きつけの店は何軒もあるが、決まって同じものを注文するのは、「喜楽亭」のチキンカツ定食くらいのもので、「さあ、何を食べようかな」と考えるのは食事の楽しみの重要な一部である。「喜楽亭」でも、一応、メニューを眺めて考えてから(考える素振りを見せながら)、「チキンカツ定食を」と注文する。ご主人も心の中で「チキンカツ定食でしょ」と思いつつ、私がその言葉を口にするのをじっと待っている。「いつものやつ」という言葉を使うのが恥ずかしいのだと思う。仮に、恥ずかしさを振り払って、「いつものやつ」と注文して、「なんでしたっけ?」と聞き返されたら、きっとその場で舌を噛み切って自害するのではないかと思う。そんな辱めを受けて生きていく自信はない。
「テラス・ドルチェ」の生姜焼きライスは、メニューの注釈によれば、「人気ナンバーワン・メニュー」である。
食後のコーヒー。「いいカップね」と妻。後からお皿の裏を見たら、鳴海製陶のものだった。「トンボロ」のカップも素敵だと妻は言う。「カフェゴト―」もいいカップを使っていると私は思う。それと、たまにしか行かないが、大井町の「pottery」のカップもいい。店名からして当然か。
行きつけのカフェのカップのことを思い浮かべたついでに、「フィールドノート」によく登場するカフェを一覧にしておこう。「スタンプラリー」の参考にしてください(笑)。
蒲田:「phono kafe」、「まやんち」、「あるす」、「テラス・ドルチェ」、「ムッシュのんのん」、「グッディ」、「シャノアール」、「ルノアール」
早稲田=神楽坂:「SKIPA」、「トンボロ」、「カフェ・ゴトー」、「maruharu」、「D-Style TOKYO」、「JAZZ NUTTY」(たまにですが宣伝のため)、「フェニックス」(いまはもうありませんが感謝の気持ちをこめて)、「シャノアール」