5時に目が覚めて、2時間ほど机に向かった後、二度寝して、9時起床。
朝食はとらず、昼食を食べに出る。
近所の家の庭に梅の花が咲いている。梅を詠んだ句といえば、蕪村の辞世の句「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」がすぐに思い浮かぶが、服部嵐雪の「梅一輪一輪ほどのあたたかさ」も有名だ。
現代俳句にはどんな作品があるだろうかと歳時記を見たら、こんな句があった。
青天へうめのつぼみがかけのぼる 新田祐久
蒲田西口駅前のサンライズカマタ商店街の一番奥(アーケードは途切れている)に新しいスーパーマーケットが出来て、人の流れがそちらまで行くようになったようである。
新しいスーパーの近くに「和蘭豆」が出店したのも人の流れを見越してのものだろう。
イトー・ヨーカドーが撤退した跡に入っていたつるかめランドが今日で閉店することになったのも、新しいスーパーマーケットの誕生のせいだろう。
「西洋料理スズキ」はそのサンライズカマタ商店街を出て、さらに池上線の踏切を越えたあたりにある。ディープな場所にあるが、料理は本格的である。昨日、「フィールドノート」によく登場する食事処のリストを作っていて、しばらくスズキに行ってないことに気づいた。
店の前に出ていた本日のランチ(1500円)を注文する。料理はスープ、サラダ、メインディッシュの順に運ばれてくる。
コーンポタージュスープ。
サーモンのサラダ仕立て。
ハンバーグステーキ。パンをチョイス。
食事の後、コーヒーを追加注文(400円)すると、デザートがサービスで付いてくる。
ごちそうさまでした。蒲田にはかなり有名なレストランが一軒あるのだが、そちらはここの倍くらいの値段で、少々敷居が高い。ひとりランチで、気楽に、ちゃんとした洋食が食べたいときは、「西洋料理スズキ」がいい。30代半ばくらいの男性シェフとそのお母様(たぶん)のお二人でやっているお店である。
「花見煎餅」で煎餅を買って帰る。
帰宅して、煎餅をかじりながら、録画しておいた山田太一のドラマ「時は立ちどまらない」を観る。東北の海沿いの街。結婚を約束した若い男女とそれぞれの家族。両家の挨拶がすんでから数日後にあの地震が起こる。若い女性の方の一家は4人(祖母、両親、娘)とも無事で、家も壊れなかったが、若い男性の方の一家は、男性本人が死亡、祖母も母親も亡くなり、祖父、父親、弟だけが生き残る。家は全部津波でもっていかれた。親戚になれなかった二つの家族は、一体、どうつきあっていけばいいのか。主人公は婚約者を失った若い女性ではなく、彼女をその一部として含むところの、二つの家族なのである。山田太一の家族ドラマの世界に震災というモチーフを取り込んだらどういうことになるのか、これまで山田太一の家族ドラマは基本的に登場人物たちの個人的な出来事によってドラマが展開してきたが、震災という社会的な出来事がモチーフとなったとき、どういうことが起きるのか。期待と不安があった。不安というのは、山田太一の世界と震災とが不協和音を起こすのではないか、震災というモチーフは山田太一の世界の内部では処理しきれないのではないかという不安である。しかし、それは杞憂であった。山田太一の世界は崩れなかった。それは山田太一の世界が強固であるためというよりも、柔軟であるためだろう。ドラマの最後の場面で、死んだ若い男性の方の家があった場所に両家の者たちが勢ぞろいするのだが、生き残った若い娘が妻と嫁と孫を失くした祖父(義理の祖父になれなかった老人)に両家の挨拶のときに撮った集合写真(それは震災後にゴミの中から見つかったものである)を手渡すのだが、このシーンを観て、ああ、これは「海辺のアルバム」なのだな、と思った。
夕食は湯豆腐。普通の湯豆腐ではなく、お湯に入れるととろりとなる豆腐を、鶏のスープで煮たもの。初めて食べたが、とても美味しい。
深夜、コンビニ行って、ハーゲンダッツの新製品、クランチ―クランチ(ストロベリーミルク)を買ってきて食べる。ツイッターでゼミの卒業生たち(二期生のSさんと三期生のNさん)が「美味しい!」と騒いでいるのを見て、興味をそそられたのである。老いては教え子に従え。なるほど、美味しかった。ほどよい甘さとカリカリ感がいい。「買った、食べた、美味しかった」と二人に返信する。ツイート・オブ・スイーツ。
2月はあと一週間ある。客観的には一番短い月だが、1月よりも長く難じるのはなぜだろう。大雪が二度も振ったりしで、波瀾万丈だったせいだろうか。