8時、起床。
トースト、サラダ(ハム、トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。
ドーナツを一つ。ソフトなミルクドーナツ。子供の頃食べた不二家のドーナツを思い出す味だ。
午後、散歩に出る。 晴れていて暖かい。でも、生ぬるいような暖かさで、こういう日は散歩日和とはいえない。
昼食は「ちゃんとした洋食」を食べよう」と思う。となれば、めざすは「西洋料理SUZUKI」だ。
サンライズ商店街のアーケードを抜けて、
池上線の踏切を越えて、
多摩川線の踏切の手前に「西洋料理SUZUKI」はポツンとある。
本日のランチ(1500円)を注文。
コーンポタージュスープ。
鯛のポアレ、ビーフシチュー、サラダ。
「ちゃんとした洋食」のポイントは各種ソースが味わい深いことである。
パンをチョイス。ビーフシチューを食べるときはパンに限る(ソースをきれいに食べられるから)。
ここでコーヒー+デザートに直行せず、単品で海老フライ(1600円)を注文する。
いつかのランチで食べた海老フライがとても美味しかったからだが、そのときは海老フライとビーフシチューのワンプレートで、海老フライは2本だったのだが、今日は単品で注文したから倍の4本かなと予想していたら、予想は外れ、大ぶりの海老フライが2本出てきた。ワオ!
トンカツをフライの王様とすれば、海老フライは女王様である。ナイフとファオークで食べるにふさわしい貫禄である。
タルタルソースのほかに「どうぞお好みで」とウースターソースも付けてくれた。でも、この海老フライはタルタルソースが一番合う。
尻尾も食べる。贅沢なかっぱえび煎を食べているようであった。
食後にコーヒー(400円)を注文するとでデザートがサービスで付いてくる。
ああ、美味しかった。ごちそうさまでした
ランチメニュー+アラカルト(一品)は、量的に食べ過ぎというほどではない。メニューの中のあれこれの料理を楽しみたいときはいいやり方ではないかと思う。ただし、ランチとしては贅沢である(今回は3500円)。井之頭五郎みたいである。せいぜい2週間に一度程度かな。
駅ビルの文具店で買い物をてから帰宅。しばらくして鞄の中に手帳(先日購入したばかりの4月始まりのほぼ日手帳ウィークス)がないことに気付く。文具店で手帳のフォルダーに差して使うための3色か4色のボールペンを探していて、実際にペンホルダーに差し込んだりしてみたのだが、そのとき鞄に仕舞い忘れてしまったような気がする。文具店に電話をして、手帳の忘れ物ないし落し物がなかったかを尋ねると、「手帳のお色は?」と聞かれたので、ああ、あるのだな思った(なければ色など聞かないだろう)。キウイー色というのも鶸(ひわ)色というのも相手には伝わりにくいだろうと思い、「黄緑色です」と答えたら、「はい、ございます。駅ビルの防災センターの方へ届けました」とのこと。ああ、よかった。さっそく防災センターまで取りに行く。そこでは手帳の中味まで聞かれたので、「4月始まりの手帳なのでまだスケジュールの書き込みはほとんどありませんが、メモのページにゼミの学生の名簿をプリントアウトして貼ってあります」と答え、「はい、間違いないですね」と言われる。
大切なものを落としたり置き忘れたりして、それが戻ってくるという経験はもう何度目だろう。われわれの社会はそういう社会である。
「もしもし」
「はい忘れもの・落しものセンターです」
「失くしものがあるのですが・・・」
「はい、何を失くされました?」
「恋を1つ」
「どんな恋ですか?」
「甘く切ない恋です」
「もう少し具体的な特徴はありませんか?」
「最後から二番目の恋です」
「だいぶ絞り込めました。もう一息です」
・・・・そんなやりとりの末に失くした恋は見つかった。
「いつ取りに来られますか?」
「取りに行かないといけませんか?」
「えっ、そのためにお問い合わせいただいのではないのですか?」
「そうなんですが・・・。1つ質問してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「もう一人の落とし主からは問い合わせはありましたか?」
「いいえ、そういう記録はありません」
「そうですか・・・。ですよね。ならばけっこうです。新しい恋を探すことにします。」
「この恋はどうしましょう?」
「そのままにしておいてください。いつか思い出して・・・」
「きっと泣いてしまう(笑)。そのフレーズいま流行ってますね。では、グッドラック!」
夕食は仕事で帰りが遅くなった妻と外で食べることにした。「phono kafe」に電話してみたが、満席だったので、駅ビルの「トーフク」で食べる。
二人ともお豆腐ハンバーグ・プレートを注文。
豆乳と桃のジュース。
豆腐のハンバーグ、おからのサラダ、デリ+セルクルごはん、豆乳スープ。
デザートは豆腐のミルフィーユ。
「くまざわ書店」で『文藝春秋』3月号を購入。
深夜、『この国の空』をDVDで観る。去年は戦後70年という節目の年であったたかか、『野火』、『日本の一番長い日』など戦争を題材にした作品がいくつか作られた。この作品もその一つ。終戦間際の東京、でも、疎開せずに東京に残っている人々は終戦間際であることは確実にはわからない。明日への希望の持てぬまま、母と暮らす19歳の女性が、妻子を疎開させて隣りの家で一人暮らしをしている38歳の銀行員と恋仲になるという話。道ならぬ恋ではあるが、明日の命も知れぬ状況下でのその恋は、純愛めいたものである。娘の言葉づかいが小津安二郎の作品に登場する女性の話し方にそっくりで、もしかして当時の日本の若い女性がみんなそういう話し方をしていたと誤解しているんじゃないだろうなと妙に気になってしまった。なんだか作品全体が当時の日本映画のパロディーのようであった。戦後70年も経つと、もう映画の現場に戦時中の日本のことを本当に知っている人はいないのだろう。