フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月23日(火) 晴れ

2019-04-24 14:43:52 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼食は「テラス・ドルチェ」に食べに行く。 

今日が定休日の「一二三堂」の前で骨董商が露店を出している。 いつも思うのだが、こういうものを買う客がいるのかしら。

 おっ、「リオ」が営業している。高齢のマダムが体調を崩されてしばらく休業していて、このまま閉店に至るのではと思っていたが、営業再開はうれしいニュースだ。

「テラス・ドルチェ」に活気が戻ってきた。お店の方(若いマスターの妹さん?)にそういうと、「はい、そうなんです」と安堵されたように答えられた。全面禁煙に踏み切った直後は「今日はお休みかしら」と思うほど客が激減していたが、いままで近寄らなかった非喫煙の客が徐々に増えてきたのだろう。 

 焼肉ピラフのセットを注文。 

食後にブレンドコーヒー。

以前、途中まで読んで止まっていた安藤宏『「私」をつくるー近代小説の試み』(岩波新書)を再び読み始めているのだが、本当に知的刺激に満ちた面白い本である。

「明治前半期にはさまざまな文化的な背景を持つ文体が林立していたが、やがてそのうちの一つに過ぎなかった「言文一致体」がヘゲモニーを握っていくことになる。写実主義の風潮のもとこの平明な文体は正確で客観的な表現を可能にする手立てとして期待され、三人称のよそおいが与えらえていった。その最大公約数的な合意として、「話者の顔の見えない話し言葉」が立ち上がっていくことになったわけである。/しかし考えてみると、匿名化し、誰が話しているのかがわからないこの文体はたしかに奇妙なものだった。ほどなくしてその反動が現れ、今度は明確に話者の「顔」を表に出す「ひとりごと」化が進んでいくことになる。背景には近代個人主義の浸透があったわけだが、ひとたびその理念が称揚されるようになると、今度はその「ひとりごと」に対する反発が生じ始めることになる。あらためて「言」の持つ対話の息吹を注入しようとする動きが現れ、書き手から読み手への「呼びかけ」文体が現れるのである。ただし書き言葉である以上、実際にはバーチャルなものでしかない「あなた」をも求めるこの企ては、語り手の自意識過剰を招き寄せることにもなるのだった。」(67-68頁)。

と、この部分だけ引用すると高度に抽象的な議論のように見えるが、「話者の顔の見えない話し言葉」の例として夏目漱石、「ひとりごと」の例として志賀直哉、「呼びかけ」の例として太宰治を取り上げて、その文体を具体的に分析していく手際は見事である。 

「テラス・ドルチェ」を出て、「理髪一番」へ。床屋は二カ月ぶり(基本のペース)である。 

散髪を終えて、大学へ。駅ビルで今日の演習で配るスイーツ(35個)を買っていく。 

5限は演習「現代人と社交」。3つの大テーマ(若者の友人関係、サードプレイス、通りすがりの人たちとの社交)を与え、発表の単位となる3、4人一組の小グループ を話し合って決めてもらう。小グループの数は10.5月21日からグループ発表を開始して、最後の7月23日までの順番を決めた。

演習を終えて、研究室に戻り、しばらくすると卒業生のキョウコさんが仕事終わりにやってきた。彼女は国会議員の秘書をしているのだが、議員会館の売店で売っているおまんじゅうをお土産に持ってきた。右翼っぽいね(笑)。 

今日はいつもよりフォーマルが装いをしていますねと聞いたら、何かの委員会に議員と一緒に出ていたのだという。 

研究室で30分ほどおしゃべりをしてから食事に出る。 

完成した早稲田アリーナをちょと見学。 

バドミントン部とバスケットボール部が練習をしていた。 

GW中もキャンパスには入れるので、卒業生は見学に来たらいいんじゃないかしら。 

キャンパスの入口付近の風景がずいぶんと変わりましたよ。 

「すぎうら」へ行く。 

新元号「令和」記念サービスをというのを4月29日から5月2日までやるそうである(GW後半はお休み)。 

海鮮サラダ。

 豚の角煮。ここで早くもご飯と味噌汁を注文。煮汁をご飯にかけて食べるためである。

 活きアナゴの照り焼き。これで活きアナゴの天麩羅、白焼き、照り焼きをコンプリートした。三者三様に美味しい。

春の天麩羅盛り合わせ。

 天麩羅やウドにタラの芽フキノトウ たかじ

ほかにもタケノコ、ゴボウ、アスパラが揚がっている。塩で食べる。 

先日の統一地方選挙では荒川区の候補者の応援に行ったそうである。荒川区と聞いて思い浮かんだ顔があるので、その候補者の名前を聞いたところ、「清水ひろし」とのことだった。彼のことは知っている。二文の卒業生である。(いい意味で)生意気な学生だった。キョウコさんは私と清水君が知り合いだったと知ってびっくりし、その場で彼にメールを送った。すぐに彼から「大久保先生が自分のことを覚えているとは!」と返信があった。私が彼のことを覚えているのは、何かの件で彼と授業中に口論をしたことがあったからである。教師と授業中に口論をする学生というのはいまでは絶滅危惧種だが、20年前の当時でも珍しかったのである。卒業してしばらくして彼が政治の道を志して区議会議員に立候補したと聞いたときは、「彼ならやれるだろう」と思ったものである。今回で4期連続の当選である。現在43歳。「体は細いが、芯は太い」がキャッチフレーズとのことだが、40代は働き盛り、健康管理に留意して頑張ってください。

「すぎうら」の支払いは私の誕生日のお祝いとのことで彼女がしてくれた。ごちそうさまでした。

食後のお茶は「カフェゴトー」で。今日は空いている。

私はチーズケーキとレモンティー、彼女はタルトタタンとアップルティー。 

 彼女は論系ゼミ1期生だが、学士入学で入ってきたので、他の一期生よりも年長でいま30代の半ばを迎えている。この先も議員の秘書という仕事を続けていくのか、いや、仕事も含めてどういう生活を送っていくのか、これからのライフプランを模索する時期である。やはり議員の秘書をされている旦那さんとはとても仲がよいようで、人生を相談しながら歩いていける人がいるというのはよいことである。

 「カフェゴトー」には閉店時間(9時50分)まで滞在した。同じ地下鉄に乗り、彼女は飯田橋の駅で降りた。次回はたぶん夏カフェになりますね。

11時、帰宅。

明日はいつもより早起きをしなくてはならないから早く寝ようと思いつつ、結局・・・

2時、就寝。