フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月21日(土) 曇り

2007-07-22 09:17:17 | Weblog
  昨日であらかた授業は終了した。しかし、それほど解放感がないのは、第一に、来週はほぼ毎日会議や補講や卒論指導の予定が入っているからであり、第二に、昨日実施した「現代人の精神構造」の試験の採点作業が残っているからであり、第三に、まだ梅雨が明けないからである。
  7月14日のフィールドノートで娘が出演する芝居の宣伝をしたが、それを読んだMさんという二文の学生から「娘さんの公演、ぜひ拝見したいです!」というメールをいただいた。お申し込み第一号である。ありがとうございます。娘に成り代わりまして御礼申し上げます。
  昼食の後、散歩に出る。3時から日本基督教団蒲田教会で蒲田アカデミアという勉強会(?)が企画した阿部真大さん(バイク便ライダーの実態を参与観察した『搾取される若者たち』の著者で新進気鋭の社会学者)の講演会があるので、聞きに行く。発起人のN氏(蒲田在住で高校の先生をされている)からいただいた案内によると、「働きすぎる若者たち」というテーマの今回の講演会は「若者の現在」という連続セミナーの第一回に当たるものであるという。聴衆は老若男女さまざまな人たちから構成されていたが、私にも経験があるが、こういう場合難しいのは、話の難易度の水準をどの辺りに設定するかである。阿部さんもこれには苦労されていたようで、自身の経験談を随所に織り込みながら(阿部さんは1976年生れのいわゆる「超氷河期」の大学卒業コーホートに属する)、現在の労働市場(主としてサービス産業)における「頑張っても報われない」システムの問題点を指摘し、それに代わるものとしてキャリアラダー(経歴の階段)システムの導入を提唱された。話がここまで進んだあたりで、一旦質問タイムということになったが、あれこれの質問に阿部さんが答えていたら講演の終了時刻になってしまった。その後には茶話会が設定されていて、さらにお話をうかがうことはできたのだが、年輩の同業者が混じっていては阿部さんもやりにくだろうと思い、私はここで失礼することにした。ちなみに発起人のN氏が今日の講演会の案内のメールを私に下さったのは、たまたま私のブログをご覧になって、私が蒲田在住の人間であることを知ったからである。そのメールの追伸には、「鈴文」のとんかつは本当に美味しいですねと書かれていた。

7月20日(金) 晴れのち曇り

2007-07-21 11:05:36 | Weblog
  夕べは早めに(といっても12時は回っていたが)寝たので、今朝は6時に目が覚める。基礎講義のレポートの提出状況をネットで調べたら、現代人間論系へのレポート提出は48名で、現時点(受講生全体の2割程度が提出を終えている)では暫定1位である。もっとも他の論系との差はあってないようなものだが、少なくとも、他の論系に遅れをとってはいないことがわかって安堵する。基礎講義のレポート提出先と論系への進級希望とは同じではないが、それを予測する一つの指標にはなる。さっそく現代人間論系の先生方に「開票速報」のメールを送る。
  昼過ぎ、家を出る。昼食は早稲田に着いてから食べるつもりでいたが、駅に向かって歩きながら、けっこうお腹が空いていることに気がついた。立ち止まって、少考し、意を決して「鈴文」の暖簾をくぐる。火曜日に続いて、今週は二度目である。週に二度のとんかつは掟破りなのではないか、人として許されるのかという思いがあって、逡巡したのであるが、ランチの150グラムのとんかつであれば許されるだろうと判断した。なぜなら、火曜日もランチのとんかつだったので、今回と併せて300グラム、つまり特ロースかつ(300グラム)を週一で食べたのと同じ計算になるから。例によって醤油→塩+レモン→醤油のパターンで食べる。旨い。これだけ食べても飽きないから不思議だ。私が来るのは月曜と火曜のことが多く、金曜の昼に来たのはたぶん初めてだが、かなり混んでいる。週初めより週末の方が人はとんかつを食べたくなるのだろうか。私の右隣のカウンター席には男女のカップルが並んで座っていたが、その若い女性はとんかつだけ食べて、ご飯はほとんど、キャベツにいたってはまったく手をつけなかった。「出されたものは残さず食べる」ことを礼儀作法として教えられて育った世代の人間には正視に耐えぬ光景である。ご飯を残すのはダイエットのためだろう。キャベツに手をつけないのは嫌いだからだろう。百歩譲ってそのわがままを容認するとしても、私がそのカップルの男性であれば、「ご飯とキャベツ、もらってもいいか」と言って彼女のわがままの後始末をつけるであろう。しかし、いまは個人化の時代だからなのか、あるいは二人の関係がそこまでいっていないからなのか、その男性は彼女の残したご飯とキャベツには無関心であった。よっぽど「お嬢さん、そのご飯とキャベツをいただいてもよろしいでしょうか?」と言ってやろうかと思いましたね。そうなったら、さすがに彼氏も「俺の女(のご飯とキャベツ)に手を出すな!」と色をなしたであろう。
  早稲田に着き、フェニックスで珈琲を飲んでから、4限の大学院の演習に臨む。今回のテキストは清水幾太郎が昭和13年の『思想』10月号に発表した「東洋の発見と創造」。昭和研究会文化部会(三木清が中心で、清水はメンバーの一人)が昭和14年1月に発表した「新日本の思想原理」との関係について話をする。戦争(日支事変)の渦中にあって、文筆を業とする知識人やジャーナリストと体制との関係にはいくつかのパターンがあった。体制に迎合する者、体制に逆らって刑務所に入れられる者、筆を絶って沈黙を通した者、清水と三木はそのいずれでもなく、「戦時レトリック」を駆使して、つまり体制に迎合すると見せて体制を批判する文章を書き続けた。それは結局は体制への迎合なのだという見方は成り立つ。成り立つけれども、私はその見方を積極的にはとる気にはなれない。人間というのはもう少し複雑なものだろうと思う。複雑なものを複雑なままで扱っては分析にならないが、抽象化・単純化のレベルの設定を高くし過ぎると、論文ではなく政治的文書(そこでは悪玉と善玉がはっきりしている)になってしまう。
  6限は「現代人の精神構造」の試験。試験監督の依頼を事務所にしておいたので、5人の院生の方が用紙の配布・回収・整理をしてくれた。問題は4人の教員が1問ずつ出して、学生はその中から1つを選択して解答する形式であったが、7割の学生が同じ問題を選択した。それは私の出題した問題であるのだが、おそらく学生はその問題を組みしやすいと考えて選択したのであろう。しかしそういう思考は安全策ではあるものの、「A+」や「A」を狙うのであれば得策とはいえない。なぜならたくさんある答案の中でそれなりに抜きん出た内容でないと「A+」や「A」、とりわけ「A+」は与えられないからだ。古人も「鶏口となるも牛後となるなかれ」と言っている。古人のことはいいとして、私としても5割くらは引き受ける覚悟はできていた。しかし7割とは思わなかった。試験の開始直前に「採点は大久保が一番辛いです」と一言アナウンスすれば、こんなことにはならかったであろう。「安藤先生が一番温情がある」と付け加えれば、さらによかったであろう(もちろんホントかどうかは知らない)。しかし、すべては後の祭りである。「天や」で夕食(大江戸丼)をとり、あゆみブックスで片岡義男の短編小説集『青年の完璧な幸福』(スイッチ・パブリッシング)を購入し、電車の中で冒頭の作品「アイスキャンディは小説になるか」を読む。私もそのうちクリームソーダをモチーフにした小説を書いてみようかと思う。

7月19日(木) 曇り

2007-07-20 07:38:41 | Weblog
  2限の社会学演習ⅠBは昼休みと3限の時間も使って、合宿でやるはずだった7つのグループ報告のうちの3つをすませる。あとの4つはまとまってやる時間がとれず、来週、3日間に分散して行なうことになったが、聞き手の側がちゃんと集まるかどうかが不安要素である。実際、今日の2限は本来の授業時間であるにもかかわらず、無断欠席や遅刻が目立った。いつもより少ない人数を相手では、報告を行なう側ははりあいがないであろう。報告は、話し手と聞き手の相互作用の中で作り上げていくものだが、欠席や遅刻をする学生はそうしたことが十分にわかっていないのであろう。
  4限の時間、文化構想学部と文学部の1年生が二人、研究室を訪ねてきて、オープンキャンパス(8月3日~5日)のときに教員と学生との「トークショー」を企画しているのですが、それに出演していただけませんかという依頼。どこかのイベントサークルの企画かと思ったら、教務の小田島先生(入試・広報担当)の発案で、和田(修)先生を経由しての話であるとのこと。であれば協力するほかはない。他にどういう先生に依頼しているのと聞いたら、お馴染の先生方の名前が返ってきた。3日と4日は大学へ来る予定があるので、うまく時間が合えば出演しますと答えたが、学生の一人が「現代人の精神構造」を受講しているとのことだったので、明日の試験で合格点を取ることを条件に加えておいた。
  帰路、丸善丸の内店に寄り道。文具コーナーを覗いたら、江戸民芸小物の老舗「いせ辰」が出品してて、手刷りの団扇を一目見て気に入り、三千円で購入。本であれば何とも感じない金額であるが、団扇となると、高価な買物という気分になる。そろそろ梅雨が明けてくれて、この団扇片手に本が読みたいものだ。

           

7月18日(水) 曇り

2007-07-19 03:14:31 | Weblog
  8時起床。理想的な起床時間だ。ゆっくり朝食をとって9時から机に向かうことができる。そうすれば12時に家を出るまでの3時間というまとまった時間をとることができる。私の場合、3時間というのが仕事の単位である。「これから3時間ある」と思うとゆったりした気分で仕事にとりかかることができる。もちろん3時間も必要としない仕事もある。そういうときは、3時間を2つ、ないし3つに分割して、複数の仕事を組み合わせればよい。つまり3時間という時間はいろいろと融通がきくのだ。逆に3時間では終わらない仕事もある。その場合は、仕事の方をいくつかのパートに分割して、その一つを3時間で終わらせるのだ。仕事の時間は長ければよいというものではない。実際、3時間を越えると集中力が落ちてくる。主観的には「乗っている」状態にあっても精度は落ちていることが多い。とくに原稿を書いているときにそれが顕著で、「乗っている」文章は「上滑り」の文章と紙一重である。一日に3時間単位の仕事を3つ(具体的には、9時から12時、15時から18時、21時から24時)というのが理想的な生活時間である。ここで肝心なのは、仕事と仕事の間もたっぷり3時間とるという点である。単なる休憩時間ではないということである。「これから3時間ある」という感覚が仕事にゆとりを与えるのと同じく、「これから3時間ある」という感覚は食事や昼寝や読書や散歩といった余暇活動にもゆとりを与えるのである。もっとも自由業ではないから、こういう生活は平日は無理ですけどね。
  今日は平日なので、12時に家を出て大学へ。3限の質的調査法特論では、各自の非参与観察レポートを提出してもらってから、懸案であった、NHKスペシャル『松田聖子 女性の時代の物語』を観る。今回はDVDに録画したものをVHSにダビングしておいたので、ちゃんと観ることができた。4限の卒論演習は時間を1時間半延長して、3名の報告。いつもの社会学専修室ではなく、1つ上のフロアーにある第4会議室を使って行った。社会学専修室は5限に坂田先生の卒論演習の予約が入っているので、時間の延長ができないのだ(いつもギリギリまでやっていてご迷惑をかけている)。第4会議室の広さは社会学専修室と同じだが、本棚とかパソコンとかがないため、広く感じられる。来週もここで行う。
  卒論演習を終え、6時半からの大田区男女平等推進区民会議へ直行する。食事をとっている時間がないのがつらい。キオスクでチョコレートを購入し、車内で人目を忍んで食べる。会議は8時半に終了。役所の向かいの居酒屋「さくら水産」で暑気払い。空きっ腹に生ビールは効く。帰宅して仮眠をとってから、風呂に入り、フィールドノートの更新。

7月17日(火) 雨

2007-07-18 00:50:12 | Weblog
  午前中、地元の大学病院で泌尿器関連の定期健診(レントゲン、採血、検尿)。レントゲン検査が少々混んでいて、会計を済ませたのが、11時半。さて、お昼はどこで食べよう。検査のため朝食抜きだったのでお腹は空いている。病院からは少々遠いが、小雨の中を20分ほど歩いて、「鈴文」へ行くことにした。やはり週に一度は「鈴文」である。先週は特製ロースかつ定食(2100円)だったが、今日は定番のランチのとんかつ定食(950円)。醤油で3切れ、塩とレモンで2切れ、再び醤油で2切れ、という順序で食べる。塩だけよりもレモンの絞り汁と組み合わせると一層美味しい。会計のとき、ご主人がちょうど店の奥に入っていて姿が見えなかったので、話好きの女店員に、周囲で地上げが進んでいるがここは大丈夫なのか尋ねてみた。彼女はちょと顔を曇らせて「少なくともあと2年は大丈夫だと聞いています」と答えた。ついでにもう一つ、以前から気になっていた「鈴文」という店名の由来を尋ねてみた。「マスターが鈴木という名前なんです」。うん、それは知っている。鈴木靖夫の「鈴」だ。問題は「文」の方である。奥さんあるいは娘さんの名前が「文子」あるいは「文」とか・・・。「文はなんとなくだそうです」な、なんとなく?! この世に存在するものには何らかの意味があるという常識が覆された瞬間であった。なんとなく、かよ。いや、待て。人間は真実を語るとは限るまい。ご主人が「なんとなく」と言ったのは、一種の照れであり、やはりそこには何らかの意味が隠されているのではないか。たとえば、奥さんでも娘さんでもなく、初恋の女性の名前が「文子」あるいは「文」であったとか(どうしても女に結び付けたいのか)。やはりいつかご本人に直接尋ねるしかあるまい。えっ、何ですぐに尋ねないのかって? とにかく寡黙な人なんですよ、鈴木靖夫さんは。この人に質問をするというのは、あの高倉健に質問をするのと同じくらい緊張するのである。
  今日は教授会の日。早稲田に着いて教授会が始まるまで1時間ほどあったので、フェニックスで珈琲を飲んでいくことにした。注文をすませ、本を読んでいると、奥さんが「先生、先日これをお忘れではありませんか?」と言って、「uni」の研芯器を持ってきた。あっ、やっぱりここに忘れたのか。とっておいてくれてどうもありがとうございます。お礼にお店の宣伝を1つ。「フェニックス」のよい所は、①戸山キャンパスから至近距離にあること、②店内が明るくて読書に向いていること、③店内に流れている音楽のセンスがいいこと、④アルバイトの女の子(たぶんうちの学生)が上品なこと、⑤混んでいないこと、である。
  教授会はいつも通り2時半からだと思っていたら、それは私の勘違いで、2時からだった。15分ほど遅刻。今日は議題が比較的少なく、6時前には終わるのではと思ったが、最後にちょっと紛糾する議題があって、結局、7時半までかかった。生協戸山店で以下の本を購入し、帰りの電車の中で読む。

  ジェイ・ルービン編『芥川龍之介短編集』(新潮社)
  ドナルド・キーン『私と20世紀クロニクル』(中央公論新社)
  ジグムント・バウマン『廃棄された生 モダニティとその追放者』(昭和堂)

  『芥川龍之介短編集』はペンギン・クラシックス版の翻訳である。もっとも翻訳といっても芥川の小説は元々が日本語で書かれているわけだから訳者はいない。村上春樹の解説(序?)「芥川龍之介-ある知的エリートの滅び」も元々が日本語だから訳者はいない。結局、翻訳は編者であるルービンの「芥川龍之介と世界文学」のみ。村上の解説は興味深かった。その最後の方で、彼は芥川を語りながら自己を語っている。

  「僕の小説家としての出発点は、考えてみれば、かつて芥川のとったポジションに、いくぶん近いところがあるかもしれない。僕は作家として出発したときからモダニズムの方向に大きく振れていたし、半ば意図的に、私小説という土着的小説スタイルに正面切って対抗する立場から作品を書いてきた。リアリズムをいったん離れた文体で、自分の小説世界を追求したいとも考えていた(芥川の時代とは違って、現代には「ポストモダニズム」というけっこう便利な概念が存在する)。また小説のテクニックの多くを外国文学から学びもした。このあたりも芥川の姿勢に、傾向的に似ていたと言えるかもしれない。ただ僕は、芥川とは違って、基本的には長編小説作家であり、またある時点から自前の、オリジナルな物語システムを積極的に立ち上げていく方向に進んでいった。その結果として、僕は芥川とはまったく異なった種類の小説を書くようになったし、まったく異なった人生を送っている。しかし心情的には、僕は芥川の書き残したいくつかの優れた作品に、今でもなお心を惹かれ続けている。」(48-49頁)

  ちなみに、村上は日本の近代文学から10人の「国民的作家」を選ぶとしたら芥川は間違いなくその10人の中に(うまくいけば上位5人の中に)入るだろうと述べているが、彼が考える他のメンバーは、夏目漱石、森鴎外、島崎藤村、志賀直哉、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫。合計9人で、10人に1人足りない。「あとの一人はなかなか思いつかない」そうだ。もしかして自分が入る場所をとっておこうというのだろうか。というのは意地の悪い冗談で、彼は「国民的作家」の条件の一つとして、死後25年(つまり一世代)は経過していることをあげている。だから「村上春樹」は非該当なのである。私なら「あとの一人」には高見順をあげるだろう。