フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月25日(水) 曇り

2008-06-26 02:46:36 | Weblog
  久しぶりで大学で会議のない水曜日だが、夕方から、大田区男女平等推進区民会議に出席。全国のどの自治会にも男女共同参画社会の実現のための施策というものがあり、それが計画通り進められているかを点検する諮問機関がある。私の住む大田区では男女平等推進区民会議がそれにあたる。委員の任期は2年で、私は去年の4月に就任したので今年度が2年目である。会長(議長)は日本女性学習財団理事長の大野曜(てるこ)氏で、私は平の委員の一人として好き勝手にあれこれ発言していたら、今年度は彼女に代わって私が会長ということになった。会長と名のつく役職は中学校のときの生徒会長以来だから40年ぶりで、いささか荷が重いが、みなさんよろしくお願いしますと会議の冒頭で挨拶をして、さっそく平成19年度のプラン実施状況の点検作業に取り掛かる。区役所の各担当課から上がってきた自己点検のデータの妥当性の点検である。あらかじめこちらが注文していた自己点検の基準は2つで、第一は、平成18年度の実績と平成19年度の実績を比較して、前進しているか、同じか、後退しているかというということ。第二は、他の自治体と大田区を比べて、高水準、平均的水準、低水準にあるのかということ。しかし、今回上がってきた自己点検のデータは、第一の基準による自己評価で、第二の基準による自己評価はほとんど行なわれていなかった。また、第一の基準による自己評価についても、自己評価の根拠となるデータがきちんと示されていない箇所があった。というわけで、データの追加提示を要請しつつ、来月の会議でも引き続き点検作業を行なうことにした。さらに担当課から上がってくる書類だけの点検では不十分なので、担当者(課長)からのヒアリングや、委員が現場へ出向いての点検もできる範囲で実施することにした。会議は9時に終わり、区役所の近くの「さくら水産」という居酒屋で懇親会。あれこれ注文したわりに一人1300円ですんだのには驚いた。みなさん、私のところに1300円をもってくるので、会長ではあるが会計も務めることになった。

6月24日(火) 晴れ

2008-06-25 01:39:34 | Weblog
  よく晴れた夏日だった。東京駅の丸の内北口前の横断歩道。信号が青に変るのを待つ人たちは、陽射しを避けて、建物で日陰になっている場所に留まっていた。そして信号が青に変ると、少しばかり気合を入れて、オフィス街へと歩き出すのであった。

         

  3限の授業の最初に、担当の大藪先生から少し時間をいただいて、試験の話をする。ざわついていた教室がスーッと静かになる。1年生にとっては入学して初めて経験する試験とレポートの日々がもうそこまで来ている。怒涛のごとく押し寄せる試験とレポートをひとつひとつ乗り越えて、最後の波濤の向うに、光り輝くナ○○○ミを迎えてほしい。

         
            イワン・アイヴァゾフスキー「第九の波濤」(部分)

  昼食は大学に来るときに蒲田駅のコンコースの売店で購入した「万世かつツサンド」と野菜ジュース。3時から研究室で学生3人と面談。S先生の基礎演習の学生たちで、私の教材論文をプレゼンテーションで取り上げるので、質問に来たのである。木曜日にはまた別のクラスの学生たちが昼休に来ることになっている。私の教材論文の利用度は全体(約100本)の10番目くらいと聞いているが、トップ3の先生方はけっこう大変なんじゃないか。
  面談を終えて、「シャノアール」に息抜きに行く。久しぶりにクリームソーダを注文し、十川信介『日本近代文学案内』(岩波文庫別冊)を読む。(1)「立身出世」物語―「故郷」と都会の往還、(2)近代文学のなかの別世界―他界と異界の話、(3)移動の時代―「交通」のはなし、の3部構成。いわゆる文学史とは違う切り口の、どちらかというと社会学的な、面白い本である。窓際に近い席だったせいか、冷房はそれほど強くなく、私には快適だった。

         

  今日は本を2冊頂戴した。

  作道信介編『近代化のフィールドワーク』(東信堂)
  小沼純一『発端は、中森明菜』(実務教育出版)

  『近代化のフィールドワーク』は弘前大学人文学部の研究者グループの共著(「21世紀教育」という授業のテキスト)で、著者の一人である高瀬雅弘君が送ってくれたものである(彼だけは教育学部の所属である)。「著者紹介」の頁には著者たちの写真が掲載されていて、日頃、彼のブログにイニシャルで登場する先生方のお顔を拝見することができた。なるほど、なるほど。ところで例のプロジェクトの進捗状況はどうなっているのだろうか。
  『発端は、中森明菜』とは変ったタイトルである。「発端は」の後の「、」に著者の思い入れが表れている。そして「ひとつを選びつづける生き方」というサブタイトルが付いている。これだけでは、無論、なんのことかわからない。幸いなことに本には帯というものがあり、そこにはこう書かれている。「東大ゼミでも話した中森明菜をめぐるあれこれ。」なるほどね、って「あれこれ」って何? でも、帯の反対側の面にはこう書いてあった。「もともとは、まわりにある慣習をただ無反省に遵守するのではなく、自らの思うように生きてきたというただそれだけ―のことが、不幸を招きよせるとしたら、どうなのでしょう。/正直に生きることの困難さ。ある程度は突っぱることで男性との、恋人との、他者との関係をつくってきた。それを「歌」をとおして世間にアピールしてきた。それが中森明菜の姿勢だったのです。」う~む、なんとなくわかってきたぞ。つまり「中森明菜とその時代(1980年代)」ということでしょうか。小沼先生は私より5つ年下だから、1980年代というのはほぼ彼の20歳代と重なっている。「一九八〇年代、私は自分がどうしたいのか、ぼんやりと思い悩むばかりでした」と「はしがき」に書いてある。そうでしょう、そうでしょう。
  大学からの帰り、丸善丸の内店に寄って、関川夏央『家族の昭和』(新潮社)と愛用のゲルインクペンの替芯を購入。外に出ると、夕方の空になっていた。

         

6月23日(月) 曇り

2008-06-24 10:25:04 | Weblog
  不安定な空模様の一日だった。午後、ジムへ出かけるとき、ベランダの洗濯物を取り込んでおいたほうがいいかどうか迷ったが(午前中から外出の妻からは取り込んで出かけるようにと厳命されていた)、空を見上げて、少なくとも夕方までは大丈夫であろうと判断し(妻は天気予報の信奉者だが、私は自分の目で見て判断することを常としている)、そのままにして出かけた。結果的に大丈夫であったが、外出中、何度も空を見上げることになった。

         

  今日のジムでのトレーニングでは失敗をした。普段は昼食をしっかりとって(たとえば「鈴文」のとんかつ定食)、1時間ほど休息の時間を挟んで(喫茶店で食後の珈琲)、トレーニングに臨むのであるが、今日は時間がなかったので家を出る前にトーストを一枚かじっただけだった。そのため、腹に力が入らず、気力が維持できず、ランニングの途中(40分を経過したあたり)で失速してしまった。まるで東京国際女子マラソン(2003年)の高橋尚子のようであった。ジムの後、「テラス・ドルチェ」でスパゲティ(アラビアータ)と珈琲。明らかな手順前後である。
  夜、NHKスペシャル「マネーの暴走が止まらない~サブプライムから原油へ~」を見る。先日(20日)の「追跡・秋葉原通り魔事件」同様、丁寧な取材と、よく整理された構成で、問題の本質を見事に伝えている。学生にはぜひ視聴してもらいたい番組だが、一体、何パーセントの学生が見ているのだろうか。いま作成している来年度のゼミ要項の履修条件欄に「NHKスペシャルを毎回欠かさず視聴していること」というのを付け加えたいくらいだ。なお、以下のサイトで放送・再放送の予定をチェックすることができる。

                     NHKスペシャル

         
                     ボクも見てます。

6月22日(日) 雨

2008-06-23 01:25:13 | Weblog
  久しぶりの雨の一日。小雨ではない。窓の外の雨の音がちゃんと聞こえる。梅雨らしい雨の一日だった。
  朝食(ベーコン&エッグ、トースト、紅茶)のあと、居間のTVで将棋の対局(NHK杯)を観戦していたら、遅く起きてきた娘も朝食をとりながらそれを観ていた。勝負は北浜七段の勝利に終わり、感想戦が始まった。敗れた石田九段があれこれ喋り、北浜七段は恐縮したように言葉少なである。娘にはそれが不思議な光景にみえたらしいが、感想戦とはたいていこのようなものである。喋ることで(これが敗着だった、ここでこうやっていればよかった、という反省が主である)、敗者は悔しさを発散し、そうですね、そう指されていたら私の方が悪かったと思います、と勝者は自分の勝利がたまたまのものであったこと(将棋の用語でこれを「指運」という)を認める。これ、一種の礼儀作法である。勝ったのは自分が強いからで、負けたのはあなたが弱いからである、もしあの局面であなたがこう指したとしたら、自分はこう指すつもりだった、それでやっぱり私の勝ちである、というような対応は中途半端に強い棋士のすることで、本当に強い棋士は将棋に対して謙虚である。数日前の朝日新聞の夕刊のコラム(素粒子)が鳩山法相のことを「死神」呼ばわりして論議を呼んでいるが、その同じコラムの中で羽生名人を「将棋の神様」と書いていて、私はこちらの方が驚いた。棋士も観戦記者も将棋ファンも羽生名人を「将棋の神様」だなんて思っていない。神様はミスをしない。しかし人間同士の将棋はミス(最善手以外はすべてミスであるとすれば)ばかりで、それは羽生名人も同様である。彼の強さは最後に相手のミスを誘う念力のようなもの(「羽生マジック」と呼ばれている)をもっているいところにある。将棋は最後にミスをした方が負けるのである。羽生名人のことを「将棋の神様」と呼んだあのコラムニストは将棋のことが全然わかっていない。しかし世間は「死神」の方ばかり問題にしている。日本将棋連盟も朝日新聞に遠慮して黙っている。ここは一つ、羽生名人には名人就位式の挨拶のときに「私は神様ではありません。名人です」と人間宣言をしてもらいたい。

                 

  午後、雨の中を散歩に出る。空気がひんやりしていて気持ちがいい。「テラス・ドルチェ」で昼食をとる。焼肉ピラフと珈琲のセットを注文。焼肉ピラフは豚肉の生姜焼きの肉汁でバターライスを炒めたものと思ってもらえればよい。子供の頃、あの肉汁をご飯に掛けて食べるのが大好きだった。焼肉でご飯を二杯食べ、肉汁を掛けてもう一杯食べていた。焼肉そのものよりも肉汁の方が好きだったかもしれない。大人になると、とくに食堂では、肉汁をご飯に掛けて食べるというマネはしにくい。せいぜい付け合せのキャベツを肉汁をドレッシング代わりにして食べるくらいである。この焼肉ピラフはピラフ全体にまんべんなく肉汁がしみこんでいる。私が求めていたのはこれだったのだ、という思いがこみ上げてくる。至福といってもいい。「肉汁の神様」と呼んでもいい。

         

  食後の珈琲を飲みながら、石川啄木の「二筋の血」という随筆を読む。大正3年に雑誌『生活と芸術』に掲載された啄木の遺稿である。啄木の小学生時代の「忘れえぬ人」のことを書いたもので、深く心にしみる文章である。しかし、肉汁の話を書いた後でこの作品について語るのははばかられるところがある。この作品のことは、日を改めて、居ずまいを正して語りたいと思う。

6月21日(土) 曇り、夜になって雨

2008-06-22 02:30:26 | Weblog
  今日はてっきり終日雨だと思っていたら、そうではなく、昼過ぎには雲の切れ間から太陽がのぞいたりした。昼食をとりがてら散歩に出る。「Zoot」で味玉ラーメンを食べたのだが、店内は冷房が効きすぎていて閉口した。こういうこともあろうかと上着を肩に引っ掛けていったのだが、それでも寒かった。私は冷房が苦手である。一番いいのは風通しのいい店。次は弱い冷房で除湿をしてくれている店。でも、レストランだけでなく喫茶店もそうだが、冷房の強い店がとても多い。サービスのつもりなのであろうが、ありがた迷惑だ。これから夏場の散歩のときは、弱冷房の店をチェックしておかなくてはならない。食事を終えて、冷えた身体を暖める意味もあって、池上線沿いの道を池上まで歩く。

         

  池上まで歩いたのはもう一つ理由があって、今夜のテレビ東京の「出没!アド街ック天国」で池上が取り上げられるのだが、その中で「甘味あらい」も紹介されると聞いているので、そうしたらしばらく番組を見てやってくる客で混み合うことが予想されるから、そうなる前に行っておこうということである。いくら「甘味あらい」の贅沢あんみつが美味しいといっても、行列はいやである。満席の店内で食べても、寛いだ気分にはなれそうにない(神楽坂の「紀の善」がそうであるように)。贅沢あんみつを食べ、池上線に乗って帰って来る。くまざわ書店、有隣堂、栄松堂を回って、以下の本を購入。

  堀江敏幸『回送電車』(中公文庫)
  前田愛『幻景の街』(岩波現代文庫)
  チェスタトン『木曜日だった男』(光文社古典新訳文庫)
  速水健朗『自分探しが止まらない』(ソフトバンク新書)

  夜、「出没!アド街ック天国」を見たが、池上の見所ベスト30には異論がある。第一に、「甘味あらい」が26位であること。歴史が浅い(開業5周年を迎えたばかり)ことを考慮しても、11位から20位にはランキングすべきである。池上の住人にとって「甘味あらい」は街の誇りといってもいい名店である。ちなみに私が敬愛して止まない岸朝子さん選の『東京五つ星の甘味処』(東京書籍)の中で、大田区から選ばれたのは、今回、3位にランキングされた葛餅の老舗「浅野屋」(宝暦2年創業)と「甘味あらい」の2店のみである。第二に、池上駅が入っていないこと。池上の駅舎は古く、東急線で唯一構内踏み切りが残っている駅である。お会式の観光客のことも考えてプラットホームの幅も広くとってある。ベンチに座って電車を待っていると、時間がゆったりと流れているのを感じる。第三に、呑川(のみがわ)が入っていないこと。街中を流れる川というものが、その街にとって、その街に住む人々にとって、どれだけ重要なアクセントになっているかということがわかっていない。外からやって来る人にとっては、呑川は本門寺の参道の途中で渡る小さな橋の下を流れる水量に乏しい川に過ぎないが、池上の周辺に住んでいる人は、呑川の流れに沿って散歩をしながら本門寺にやってくるのである。

         

  西島三重子という歌手が歌った「池上線」(1976年)という歌がある。70年代的叙情を漂わせた歌である。