フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月20日(金) 曇り

2008-06-21 02:31:41 | Weblog
  週末は雨だという。確かにそうだろうなと思わせるどんよりとして曇り空の一日だった。昼から大学へ。去年の社会学の演習の学生だったSさんから、早稲田祭にサークルで模擬店を出したいのだが、顧問(保証人みたいなもの)になっていただけないでしょうかというメールが今朝届いた。確か今日が申請書類の締め切りのはずである。わかりました、君との信頼関係において顧問になりましょうと返事をし、昼休みに研究室に来てもらって申請書類に署名と捺印をする。Sさんには言わなかったが、私は教え子の頼みは、「ドラゴンボール」に登場する神龍(シェンロン)にならって、3つまでは聞いてあげることにしている。今回彼女はそのうちの1つを使ってしまったわけで、残りはあと2つである。大事に使ってほしい。
  3限の授業(日常生活の社会学)の直後、教壇から降りてきたときに、学生からプリンを1個いただく。なんだか営業で地方回りをしている売れない演歌歌手みたいな気分だ。TAのI君と「メルシー」で昼食(チャーシューメン)を食べ、研究室に戻ってきてから、デザートにプリンを食べた。
  5限の卒論演習は途中で場所を第4会議室から社会学専修室に移して(会議室の延長使用はできなかったので)7時まで行なった。終わってから、生協戸山店の自販機コーナーでジュースを購入し、生協の前のベンチに座って、しばし寛ぐ。もしかしたら一週間の中で一番寛ぐ時間かもしれない。

         

  生協で以下の本を購入。家路に就く。

  和田芳恵『ひとつの文壇史』(講談社文芸文庫)
  宮本常一『家郷の訓』(岩波文庫)
  井上芳保編『セックスという迷宮』(長崎出版)
  須藤廣『観光化する社会』(ナカニシヤ出版)
  大泉実成『萌えの研究』(講談社)
  押山美知子『少女マンガジェンダー表象論』(彩流社)
  大東和重『文学の誕生』(講談社選書メチエ)
  岡田利規『三月の5日間』(白水社)

6月19日(木) 曇り

2008-06-20 01:35:23 | Weblog
  沖縄が梅雨明けをしたそうだ。例年より1週間ほど早いとのこと。関東の梅雨明けは沖縄よりも1ヶ月ほど後というのが例年のパターンだから、今年は7月20日ごろになるのだろうか(そういう単純な話ではないのかな)。その頃の私は授業はもう終わっていて、テストの採点に追われているであろう。テストの採点は大変だが、それを終わらせれば「な○○○み」が待っている。い、いけない。まだその言葉を口にしてはいけない。封印を剥がすのはもう少し先だ。ふぅ、危ないところだったぜ。
  お昼から大学へ。電車の中で武者小路実篤「お目出たき人」を読む。妄想的な恋愛小説である。恋愛には多かれ少なかれ妄想的な要素がある。しかし、これほどの妄想にはめったにお目にかかれまい。剥製にして博物館に保管しておきたいような妄想だ。主人公の26歳の青年は、近所に住む「鶴」という女学生のことが好きになり、一言の言葉も交わさないまま、彼女も自分のことを好きに違いないと確信し(ここがすごいところなのだ)、人を介して彼女に求婚し、そして断られる。しかし、その後、何度も求婚し、その度に断られ、しまいに彼女は主人公の知らない男と結婚してしまう。さすがに主人公は打ちひしがれ、涙する。ところが、最後の最後で彼はこう思うのだ。

  「其後暫らくして自分は何時のまにか鶴は自分を恋していてくれたのだが父や母や兄のすすめで進まずながら人妻になったのだと理由もなしに思うようになった。そうしてそれから一月もたった。今は鶴をあわれむような気分になった。そうして鶴の運命が気になりだした。/自分はこの感じがあやまっているか、いないかを鶴に逢って聞きたく思っている。/しかし鶴が『妾(わたし)は一度も貴君のことを思ったことはありません』と自ら云おうとも、自分はそれは口だけだ。少なくも鶴の意識だけだと思うに違いない。」(新潮文庫版『お目出たき人』109頁)

  恐るべし。ゾンビのような妄想である。この主人公ははたして実篤その人なのであろうか。それとも、実篤が造形したキャラクターなのであろうか。世間では前者と考えられているようで、私もそのつもりで読み始めたのだが、しだいに、やはりそれはないんじゃないか、いくらなんでも実在の人間とは思えない、仮に実篤本人がこういう人物であったとしても、ここまで自分の異常さ(楽天的というよりも病的なまでのナルシシズムである)を世間に晒すものだろうか、と考えるようになった。でも、それを平然とやってしまうところが、ある意味での天才なのかもしれない。それにしても「鶴」が登場するたびに「鶴田真由」を連想していた私も尋常ではないかもしれない。

6月18日(水) 曇り

2008-06-19 00:45:49 | Weblog
  今日は会議日。10時半から基礎演習ワーキンググループ。それが12時に終わって、すでに始まっている社会学専修の教室会議に途中から参加。昼食は「たかはし」のお弁当。2時から教授会。これが延々6時間続いて、終了したのは8時。午前中から10時間近くずっと会議だったことになる。去年までは火曜日が会議日だったが、今年から水曜日になった。週の真ん中が会議日になった。一山越えて、後半戦という感じだが、水曜日に疲れてしまうと、木曜・金曜(とくに木曜)の授業がしんどく感じる。今日が締め切りの来年度の開講科目リストを、教授会の最中に作成し周りの先生方と相談しながら完成させ、事務所に提出する。「ごんべえ」で夕食(カツ丼)を食べて帰る。
  帰宅して、風呂を浴び、「ホカベン」の最終回を観る。う~ん、もしかしてと思ったが、やっぱりそういう終わり方であったか。全力を尽くして戦った裁判の判決が言い渡される瞬間、判事が「主文・・・」と読み上げ始めたところで、ドラマは終わった。ある意味、すっきりした終わり方である。大切なのは裁判の勝ち負けではないというメッセージがはっきりと示されているわけだから。視聴率は稼げなかったようだが(8%台か)、今期、私が最終回まで一回も欠かさずに観た唯一のドラマということになるだろう。
  基礎講義のレビューシートにコメントを返そうとPCを起動したら、昨日と今日の二日間で新しいレビューシートが51通アップされていた(累計349通)。毎日、その日の分のレビューシートにコメントを返しているのだが、昨夜は眠かったので、サボって寝てしまったのだ。しかし、二日分にしても多すぎる。先週末、事務所から1年生全員に基礎講義の単位取得の条件についてのメールが送信され、基礎講義は36コンテンツ以上視聴してそれにレビューシートを提出しないと単位取得ができませんよと言われて、急にペースが上がったようだ。最初のうちは一日に数通だったので、コメントを返すのも楽々であったが、こうなってくると大変だ。先着300通までというのもチラリと考えたが、300通を越えたからといって、いいかげんなレビューシートが増えるということはなく(それは最初の段階から一定の割合である)、ちゃんとしたレビューシートにコメントを返さないというのは寝覚めが悪い。乗りかかった船だ。もうしばらく、いけるところまでいってみよう。

6月17日(火) 曇り

2008-06-18 02:21:45 | Weblog
  今日は曇天で湿気がある。梅雨っぽいが、雨は降らなかった。土俵際ぎりぎりで堪えた感じだ。昼から大学へ。3限の「現代人間論系総合講座1」は今週と来週が心理学の大藪先生の担当。テーマは「育児不安」。先週までの文学作品を素材にした(安藤先生・草野先生による)講義とはガラリと趣を異にするが、乳幼児と母親の関係は、子供のパーソナリティー形成という点からも、成人女性のパーソナリティの安定という点からも、重要な問題を含んでおり、この総合講座のテーマ「現代人の精神構造」にふさわしいものである。今回の講義は、今日の午前中までパワーポイントの資料に手を入れていたそうだが、構成が巧みで、論旨が明快で、資料映像も興味深いものばかりで、時間も過不足なく終わる、見事なものであった。今日も熱心に聴講されていた安藤先生も感心しきりだった。
  雑用を一つ片付けてから、遅い昼食をとりに「フェニックス」へ。腹ペコだったが、今夜は会食の予定があるので、サラミのピザと珈琲にする。持参した『近代評論集Ⅱ』(日本近代文学大系58、角川書店)所収の「白樺論争」関連の4本の評論に目を通す。「論争」というのは面白い。そこに論者それぞれの文学観、人間観、社会観、そして文章の腕前が反映されているからだ。

  「雑誌と云へば、今日の日本の文藝雑誌の中で、僕は「白樺」が一番好きだ。創作にしろ評論にしろ、早稲田や三田や帝文などの、とても及ばぬ新味と深味とがあるやうだ。/白樺の人達は貴族の坊ちゃんと云はれるのが何よりも嫌いだと云ふ。しかし事実は事実に違いない。そして僕は此の事実から、あの人達の行動を少なからざる興味を以て見てゐる。/由来貴族は、物質的にも精神的にも、そして善い意味にも悪い意味にも、社会の道化者として大役を勤めたものである。・・・(中略)・・・白樺は此の貴族の血を受けて、そして一面に於て父祖からの悪弊に反抗すると同時に、他面に於て成上がりのブールジョワジーに反抗する、若い貴族の人達から成る。/僕等は白樺を見るたびに、いつもトルストイやクロポトキンの少年期を想う。トルストイやクロポトキンは、白樺の連中のやうな若い貴族が、更にもう一つ改宗した人ぢやあるまいか。」(大杉栄「座談」大正1年)

  「雑誌「白樺」の第一巻第一号が生れたのは、今から六七年以前のことである。当時のわが文壇は自然主義跳梁の後を享け、あらゆる方面に新機運の動きつつある時代であつて、・・・(中略)・・・この新機運を享けて、白樺派の諸活動が一種の人道主義的傾向を辿つたことはかなり興味に値する事実であつて、予はこれを人生の否定乃至人生の回避に基づく自然主義的人生観及び享楽主義的人生観に対する反動として解釈したい。」(赤木桁平「白樺派の傾向、特質、使命」大正5年)

  「そもそも白樺派のもつてゐる善いところとは何であるか。/それは白樺派の連中自らが、並びに彼等に雷同的の共鳴をしてゐる連中が、彼等の善いところとして数へ立ててゐるものの中から、私がここに彼等の悪いところとして指摘するものを控除し去つた残余であると思へばよろしい。/所謂白樺派のもつてゐる悪いところとは何であるか。精一杯手短な言葉に代表さして云へば、「お目出度き人」と云ふ小説か脚本を書いた武者小路氏のごとく、皮肉でも反語でもなく、勿論何等の漫罵でもなく、思切つて「オメデタイ」ことである。/・・・(中略)・・・彼等は彼等自らのオメデタイことを誇りにしてゐる。そして彼等のオメデタイのは、トルストイやドストイエウスキイなぞのオメデタイのと同じ意味に於てオメデタイのだと自惚れてゐる。まことにいい気なものである。/・・・(中略)・・・所謂白樺派の人生の肯定は、何の造作もなく、ただナイイヴに、ただオメデタク人生を肯定してゐるのである。彼等の肯定に意義がないのは、彼等がその前に必要な手続きとして一旦人生を否定して来てゐないからである。」(生田長江「自然主義前派の跳梁」大正5年)

  「僕は自分で自分を「お目出たい」と云つた。しかしそれは世間をからかつて云つたのは分り切つたことだ。世間は僕をお目出たく思ふだらう。長江氏のやうに、その上氏は世間と同じ考へをもつてゐる。しかし見よお目出たく思ふ僕こそ、実は本当の道を歩いてゐるのだ。自分はそのことを事実によつて示せることをあの時から知つてゐた。それで当時一番人にいやがられる名、「お目出たき人」「世間知らず」と云ふ名をつけたのだ。生田長江氏も知つてゐるであらう。当時は浅薄な人間が如何に深刻がりたがり、馬鹿な人間が利口がりたがり、深い経験もない人間がどんづまりの経験した顔をしたがつたことを。そんな顔をしなければ文壇に生きてゆかれなかつたことを。そして世間からそれに同感されるのを笑つてゐたのだ。今時になつて読みもしない長江氏がその題をとつてよろこんで僕をからかうのは、五六年おくれて僕の落とし穴におつこつたようなものだ。」(武者小路実篤「生田長江氏に戦を宣せられて一寸」大正5年)

  これらの評論を読んでいてて気づいたことだが、「白樺」論争においては武者小路実篤が「白樺」を代表する人物として扱われていて、志賀直哉と里見の二人はその文体の巧みさにおいて、無技巧ないし非技巧を特徴とする白樺派の作家たちの中で、別格扱いをされていたということである。この点は白樺派礼賛者も白樺派批判者も同じである。志賀直哉崇拝(小説の神様!)の源流はこのあたりにあるのだろうか。生協戸山店で、武者小路実篤『お目出たき人』(新潮文庫)を購入。
  夕方から、安藤先生、兼築先生、草野先生、宮城先生たちと立川の蕎麦屋「無庵」へ出かける。兼築先生ご推薦の店で、雰囲気のある、いい店だった。立川へ行ったのは初めてである。私の行動範囲は吉祥寺かせいぜい三鷹あたりまでなので、ずいぶんと遠くまで来たな(あと数駅で八王子だ)という感慨があった。帰りは立川から南武線に乗って川崎経由で蒲田へ。南武線に端から端まで乗ったのも初めてであった(55分かかった)。ずっと立ち通しだったらつらかったと思うが、二つ目の駅で目の前の座席の人が降りて、座ることができた。蒲田に着くまでに『お目出たき人』を読み終えようと思ったが(そのために生協で購入したのだ)、文庫本を鞄から取り出す前に眠気に襲われてしまった。

6月16日(月) 晴れ

2008-06-17 02:02:16 | Weblog
  今日も晴れた。梅雨の中休みではなくて、いきなり休みである。新入社員が勤めた途端に「僕、会社いくのやだ」と言い出すみたいなものである(違うか)。晴れてくれるのは嬉しいのだが、これでは梅雨前線の顔が立たないのではないか。梅雨入り宣言をしてしまった気象庁や、それをTVで伝えたお天気おじさんやおねんさんの立場がないのではないか。しかし、「今年の梅雨は空梅雨か?」と即断してはいけない。これから本格的な梅雨が始まって、それが7月下旬まで続くのである(たぶん)。

         

  午後、自転車に乗って郵便局へ。古本の代金を振り込む。その後、昼食をとりに梅屋敷通り商店街の喫茶店「琵琶湖」へ。歩いたらかなりの距離だが、自転車だと一漕ぎだ。木漏れ日の道を走る。名物のやきそば風スパゲッティを注文する。これを食べるのは二度目だが、スパゲティでソース焼きそばを作ったらこうなりますという一品。反対に(?)、焼きそばでナポリタンを作ったらどうなるのだろう。今度、自分でやってみるか。食後の珈琲を飲みながら、明後日までに事務所に提出する現代人間論系の来年度の開講科目のリストを作成する。営業で外回りをしているサラリーマンのような気分になる。

         

  「琵琶湖」を出て、ジムへ。これも歩くとかなりの距離だが、自転車なら一漕ぎだ。ウォーキング(時速6キロ)&ランニング(時速9キロ)を60分。距離にして7.5キロ。消費カロリーは630キロカロリー(焼肉弁当一個分)。

  ジムの後、いつものように「ルノアール」に行こうと思ったが、あまりにいいお天気なので、多摩川に行ってみることにした。やっぱり自転車なら一漕ぎである。自転車という乗り物は本当に素晴らしい。途中で、道を歩いていた東欧系の若い女性に声を掛けられる。道でも尋ねられるのかと思ったら、物売りだった。自分はウクライナから日本語を勉強にきた学生ですが、学費のたしにするために民芸品を売っているのですと言って、持っていた木箱を開けて見せた。中にはマトリョーシカ人形とか彼女が「幸福の玉子」と呼ぶトールペインのキーホルダーなどが入っていた。新手の物売りであることは明らかだが、先を急いでいるわけでもないので、少し話をする。こういう物を売りたいなら、道で声をかけるより、駅前とか人のたくさん集まるところに行ったほうがいいんじゃないのと言ってみたが、私の日本語がよくわからないのか(あるいはわからない素振りをしているのか)、首をかしげてニッコリしている。しかし、考えてみると、駅前や人通りの多い商店街でマッチ売りの少女のように物売りをするよりも、住宅街の道で歩いている人に(ときには自転車に乗っている人に!)声をかけたり、民家を一軒一軒回った方が何か買ってもらえる確率は高いであろう。彼らはそのあたりのことはちゃんとわかっている。私はポケットからカメラを取り出して、「モージナ・ファタグラフィーラヴァッチ?」(写真を撮っていいですか?)とロシア語で聞いてみた。彼女は目を丸くして、「モージナ、ノ・ナーダ・シトータ・クビーチ、カクーユニブチ・ミェーラチ・バジャールスタ」(いいですが、何か小さなものでいいので買ってからにしてください」と反射的にロシア語で答えた(NHKの「ロシア語会話」みたいだ)。彼女は目の前の日本人のおじさんがいきなりロシア語を話したのでびっくりしたようだった。どこでロシア語を勉強したのかと聞くので、昔、シベリアに抑留されていたときに覚えた。抑留は辛い経験だったが、いまではこれで飯を食っている。大学でロシア語とロシア文学を教えているんだと冗談を言ったら、本気にしてしまったようで(私を何歳だと思っているんだ?)、どこの大学ですか、もしかしてワセダですかと聞くので、そうだ、よくわかったねと答えたら、彼女はますます目を丸くして、ワセダ大学は日本で一番有名な大学ですと言った。そう言われると悪い気はしない。じゃあ、何か一つ買ってあげようと、彼女の一押しの「幸福の玉子」のキーホルダーを千円で購入。たぶんどこかで五百円くらいで売っている品ではなかろうか。でも、いいのだ。上乗せ分は、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」になったつもりでさしあげることにした。

         

  多摩川は気持ちのいい風が吹いていた。一足早く、夏を迎えに来た感じだ。「夏休み」という言葉が危うく口から出そうになる。いけない、いけない。いまはまだ禁断の言葉だ。それにしても、いまの時期は、お天気さえよければ、とても日が長い。われわれは梅雨のせいでうっかり忘れているが、一年中で一番日が長いのは6月なのだ。サイクリングコースをゆっくりと走る。