フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月25日(火) 晴れ

2009-08-26 15:56:58 | Weblog

  7時半、起床。子雀に朝食を与えてから、自分自身の朝食。カレー、トースト、オレンジジュース。

  午前中は原稿書き。ここ一週間の遅れを挽回して、なんとしても今週中にケリをつけねばならない。昼食はカップ麺。
  昨夜の『ブザー・ビート』第7話(15分拡大スペシャル)、ようやく直樹が男らしい行動に出た。窓辺で、泣きながら、「もう会わないなんていわないで」と哀願する茉莉の姿を見た直樹は、マンションの階段を駆け上がり(行け!)、ドアを叩き(行け!)、玄関先で茉莉を抱きしめてキスをしたのである(よし!)。でも、キス自体はちょとおとなしい感じだったんじゃないかな。ここにあいかわらずの優しさ(=優柔不断さ)が残っている。階段を駆け上がった流れからすれば、もう少し荒々しい感じのキスの方がよかったんじゃないか。キスは唇だけにするものではないだろう。ところで、この場面で、妻が「靴はどうしているのかしら」と言った。直樹が靴のままで部屋に上がっているのかどうかを気にしているのである。熱烈なラブシーンで、女は細かいところを気にするものだと思いつつ、実は、私もそのことが気になっていたのである。よく見ると、直樹は靴は抜かずに玄関の三和土(たたき)にいた。茉莉は上がり口の廊下にいる。ちょっと不自然な感じがした。靴を荒々しく脱ぎ捨てて、茉莉と同じ床のに立っている方が自然なのではないか。これ、まだ二人は同じ場所に立てないでいるということを意図した演出なのだろうか。
  子雀の飛行能力がまだ一段アップした、上昇はまだだか、同じ高度を維持したまま、部屋の隅から隅まで飛べるようになったのである。昨日はできなかったことが今日はできている。今日はできなかったことが明日はできるようになっているだろう。


餌も自分で食べるようになった


8月24日(月) 晴れ 夕方一時雷雨

2009-08-25 13:53:42 | Weblog

  7時、起床。睡眠時間4時間半は少々つらい。子雀に餌をやってから、自分の朝食(卵かけご飯)。子雀を鳥かごに入れて2階のベランダに出すとき、リビングを通らないとならない。リビングには「はる」がいる。「はる」はまだ子雀の存在を知らない。自分と子雀が同じ屋根の下で暮らしていると知ったら、おそらく驚天動地、欣喜雀躍、呉越同舟、阿鼻叫喚・・・、とにかくトップシークレットである。


最近、あまりかまってもらえていない気がする

 
今日のベストショット「こいつ~」

 昼から外出。今日は新宿でゼミの学生数人と食事会。合宿の発表の相談をしたい学生もいるだろうと出かけていったのだが、なんと、まだ誰も発表の準備に着手していないことが判明。おまけにセミナーハウスの利用券と宿泊費の請求書を幹事から受け取るつもりでいたら(私が事務所で手続きをするのに必要)、サバサバ・サオリめ、家に忘れてきたという(いつものサバサバした口調で)。あのなあ・・・。雀の子の世話から解放されて都心に出てきたら、もっと手のかかる雲雀の子らが待っていたという感じなり。 中国留学から戻ってきたOさんが合宿に先立って本日の食事会に参加。身長170センチは女子学生の中では一番の長身である。友人からはライオンに似ているといわれるそうである。なるほど。ちなみにゼミにはヒョウに似ているといわれるている女子学生がいる。対決が楽しみだ。


ピーチク、パーチク

  蒲田に戻って来て、くまざわ書店で、都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』(水声者)と天野郁夫『大学の誕生(上)(下)』(中公新書)を購入。
  「日本人がアメリカ文学を研究する意味なんてどこにあるのだろうと思っていた」という一文で『偽アメリカ文学の誕生』は始まる。「アメリカ文学」の部分は他のいろいろな言葉に置き換えることが可能だろう。欧米の圧倒的な影響の下で学問や芸術を学んできた近現代日本の学者や芸術家は誰でも一度は同じような思いにとらわれたことがあったはずだ。都甲は留学先の指導教員から「日本人なんだから日本文学か、それが無理なら日系人の研究に変えたら」と言われてしまう。「おまえがサリンジャーやドン・デリーロについていくら語ったところで、この国で聞きたいと思うやつは一人もいないよ」と言われたも同然だった。都甲は柴田元幸の教え子である。村上春樹の仕事を「日本語でアメリカ文学の模造品を高度な技術で書くこと」だと述べた上で、恩師の仕事について彼は次のようなことを言っている。

  「同じようなことは柴田元幸についても言えた。彼の翻訳はすばらしい。オースターにしてもエリクソンにしても、巧みでスタイリッシュな文章で読者の心の中にずんと入ってくる。そして同じ作品を英語で読んだ人ならみな知っているように、彼の翻訳ともとの本とは決定的に異なる。英語ではオースターはもっと稚拙なまでに簡潔な文章を書いているし、エリクソンはバカみたいに暴力的である。これは別に、柴田元幸の翻訳を非難していって言っているのではない。翻訳は原文のコピーであるという数千年来変わらない考え方を破壊したいと思っているだけだ。第一、ただ原文を写すだけなら、どうして柴田元幸の天才が必要なのか。どうして書店に並ぶすべての翻訳が素晴らしいとは言えないのか。
  答えは簡単。翻訳された本は、もとの本と非常に似てはいるが根本的なところでまったく違う別の本だからだ。だいいちオースターやエリクソンが日本語をしゃべるわけがないではないか。つまり柴田の身体を通じて彼らが日本語で語り出したとき、そこには決定的な詐術が立ち現れる。英語の世界で起こったただ一度の芸術的な事件に匹敵するような表現を、日本語や日本文学の歴史を超高速で検索しながら柴田は捏造しているのだ。そしていわゆる、もし作家が日本語で書いていたら、という作品を生み出すのである。だがもちろん、アメリカ作家たちは永久に日本語で語ることはないし、したがって日本語に置き換えて瞬間、それは決定的に偽物になる。こうしてオースターの作品でも柴田元幸の作品でもなく、同時にその両方である書物ができあがるのだ。これはいったい何なのか。優れた翻訳家とは、いったい一生懸命に何をしているのか。
  アメリカに生まれたわけではないわれわれに本物のアメリカ文学を生み出すことはできない。しかし創作や翻訳という形で、それを材料とした偽物は作れるのではないか。そして限りなく品質を上げることができれば、いつしかそれは偽物としての性質を保ったまま、それはそのものとして本物になるのではないか。これが、村上と柴田の作業をぼくなりに理解した結果である。偽アメリカ文学の誕生、とでも言おうか」(13-14頁)

  「模造品」「偽物」という言葉は、ここでは、マイナスの意味では使われていない。かつて加藤周一が「雑種」という言葉で表現したことを、都甲は「模造品」「偽物」という言葉で表現しようとしているのだ。「ハイブリッド(異種混合)」とでも言えば聞こえはいいが、そういう流行語は使わずに、あえて「模造品」「偽物」と偽悪的な言い方をしてみせたのは、羞恥心とプライドが強いせいであろう。柴田元幸が本書の帯に寄せたコピー。「塵に訊け!」とかつてジョン・ファンテは言った。「都甲幸治に訊け!」と私は言いたい。<偽アメリカ文学の誕生>を告げる本書は、すぐれた<偽アメリカ文学者>の登場を告げてもいる。アメリカ文学のいまを知る上で最良の書。 


8月23日(日) 曇り

2009-08-24 02:22:13 | Weblog

  8時、起床。いつもなら朝飯前の一仕事なのだが、今週はそれが子雀の食事の世話になっている。子雀に振り回され、「やれやれ」と言いながら、そのことを楽しんでいるようなことろがある。19歳の小娘(ユカリ)に翻弄される石川達三の小説『四十八歳の抵抗』の主人公(西村耕太郎)のような気分といったらいいだろうか。いや、あの小娘はとんでもない性悪女だったから、純心無垢な子雀と一緒にすることはできない。やはり赤ん坊の世話に喩えるのが一番ピッタリくる。


餌は耳かき棒の先にのせて与える

  食事の世話、糞の始末、ベランダに出して親鳥に鳴き声を聞かせること、そしてもう1つのワークが、飛行訓練だ。和室の鴨居の上(回り縁)に子雀を置いて、「さあ、飛んでごらん」と声をかける。しばしの逡巡ののち、子雀は意を決してダイブする。羽をバタバタさせながら、スキーのジャンプの選手のような放物線を描いて落下してくる。飛翔というよりも滑空という表現がピッタリだ。まだ上昇こそできないけれど、本人も自分が鳥であることを実感しているようだ。


本日のベストショット「なにごとじゃ?!」

  深夜、「世界陸上」を見ながらブログの更新。これで「世界陸上」も終わりか。高校野球も明日で終る。熱狂が去った後の、ひっそりとした時間が好きなのだが、今年は「ひっそり」とはいきそうもない。


8月22日(土) 晴れ

2009-08-23 03:51:44 | Weblog

  8時、起床。ハムとレタスのサンドウィッチ、牛乳の朝食。昨日、ペットショップで購入した鳥かごに子雀を入れて、ベランダの軒下に吊るす。子雀の鳴き声を親雀に聞かせて、あわよくば、餌を運んできてもらおうというというわけである。ほどなくしてベランダの近くの電線に5、6羽の雀が集まってきた。なんだかヒッチコックの映画「鳥」みたいだ。そして鳥かごの周りを飛翔したり、鳥かごに止ったりした。しかし金網越しに餌を与えるところまではいかなかった。30分ほどで鳥かごを室内に取り込み、子雀に餌を与える。親鳥へのアピールはこれから毎日続ける予定。子雀を自然に戻すには欠かせないワークだ。
  子雀は人に馴れる。最初から警戒していないのだ。エリクソンの自我の発達理論の用語を使えば、人間に対する基本的信頼がまず最初にあるのだ。成鳥になると人間を警戒するようになるが、あれは人間に痛い目にあってのことではなく、たんに親鳥の行動を模倣する結果であろう。諺に「雀百まで踊り忘れず」というのがある。チーちゃんの場合、親鳥たちの元への復帰が遅れると、成鳥になっても人間を警戒しない雀になるのだろうか。


体重が軽いので入力はできない

  昼食(キムチ炒飯の目玉焼きのせ)の後、大田区民ホール(アプリコ)へ早慶ジョイント・マンドリン・コンサートを聴きに行く。ゼミの学生のSさんが早稲田マンドリン楽部の部員で、彼女からチケットをいただいたのだ。マンドリンの演奏は聴いたことはあるが、マンドリンオーケストラの演奏を聴いたのは初めてである。最初、私は誤解をしていて、オール・マンドリンの演奏なのだと思っていたが、そうではなくて、マンドリンを中心として編成されたオーケストラの演奏なのであった。具体的には、第一マンドリン、第二マンドリン、マンドラ(マンドリンよりもちょと大き目)、マンドロンチェロ(マンドラよりもさらに大き目)、ギター、コントラバスの弦楽6部編成を基本として、管楽器(フルート、クラリネット)と打楽器が加わっている。今日の演目はたまたまなのか、一般にマンドリンオーケストラの作品はそうなのか、エキゾチックな曲が多かった。シベリウスの「カレリア組曲」、ケテルビー「ペルシアの市場にて」、ハチャトリアン「仮面舞踏会」、ファリャ「恋は魔術師」「三角帽子」・・・。通常のオーケストラでバイオリンが占める位置をマンドリンオーケストラではマンドリンが占めているわけだが、バイオリンとマンドリンの決定的な違いは、バイオリンは弓で玄を弾(ひ)き、マンドリンはピックで玄を弾(はじ)くので、バイオリンは持続音が出せるが、マンドリンは出せないということである。マンドリンで持続音を表現しようとする場合には、同じ音を連続して小刻みに弾(はじ)くトレモロ奏法を使う。バイオリンの持続音が海のうねりであるとすれば、マンドリンのトレモロ奏法は小川のせせらぎである。波動と粒子。ちょうど3ヶ月前に、場所も同じ大田区民ホールで、早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団が演奏する「仮面舞踏会」を聴いていたので、比較がしやすかった。マンドリンの軽快で清冽、それゆえにはかなさを漂わせた演奏が、エキゾチックな曲に合うのかもしれない。
  演奏会の後、「カフェ・ド・クリエ」でホットドックと珈琲。ゼミの合宿用の文献を読む。これで6本の文献全部に目を通し終えた。
  くまざわ書店に寄って、面白そうな小説がないか、チェックする。けっこうある。でも、購入するのは、原稿を書き終えてからだ。


もう少し待って


8月21日(金) 晴れ

2009-08-22 01:01:28 | Weblog

  7時半、起床。子雀のせいで普段より早起きになっている。それは私だけではなく、今日の(子雀の)第一食の担当の妻も同じだ。早起き自体は健康的なイメージだが、私も妻も寝るのが遅いため、早起き=寝不足気味となり、結局、非健康的なのである。子雀の体内時計に合わせてわれわれも生活時間を変えなくてはならないのだろうか。ハム&エッグ、トースト、牛乳の朝食。
  飼い猫の「はる」がいるため、普段、子雀は私の書斎にいる。A4のコピー用紙が5束入っていたダンボール箱にティッシュをたくさん敷き詰めて(真ん中に窪みを作って寝床にしてやっている)、その中に入れている。ダンボール箱の上辺までは30センチほどあり、頑張ってもせいぜい20センチのジャンプ力しかない子雀には到達できない高さなのだが、今日、私が書斎で仕事をしていると、いつの間にか箱から飛び出して、机の下にいるではないか。何回かに一回の会心のジャンプをしたようだ。それにしても子雀のジャンプ力の発達のスピードには驚かされた。発達しているのはジャンプ力ばかりではなく、餌の食べ方も上手になってきている。耳かき棒の先に餌をのせて顔の前にもっていってやらなくても、机の上に餌を置くだけでけっこうついばむことができるようになってきている。
  餌をある程度食べると、眠くなるようで、ダンボール箱の中でおとなしくしている。1~2時間すると、再び活発になり、鳴いたり、ジャンプをくりかえすようになる。箱から出してやると、あちこち探索活動を始める。そしてまたお腹が減ると、チーチー鳴く。その繰り返しだ。子雀の相手をしていると、子どもの頃の夏休みを思い出す。「いま、ここ」の世界を生きていた夏休みの日々を。


チーちゃんを探せ


ここだよ


包まれている感覚を好む


出てきた


うん?


上がらしてもらうよ


原稿は進んでるかい?


邪魔みたいだな


空でも見てるよ


If I were a bird・・・、「おまえ、鳥だろ」ってツッコミを入れてね