フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月20日(木) 晴れ

2009-08-21 09:30:09 | Weblog

  5時半、起床。私にとっては「嘘でしょ」というような時刻である。昨日拾った子雀(チーちゃん)に本日最初の餌を与えるためである。しかし、これは私の判断ミスであった。子雀はまだ寝ていた。屋外の雀は起きて活動をはじめている時間でも、部屋を暗くしているので、子雀はまだ夜だと思って寝ていたのである。こんな時間にわざわざ寝ている子雀を起こして餌をやる必要なぞなかったのである。ね、ねむい。


おはよう

  餌をやった後、私は二度寝をする。その2時間後の餌やりは妻に頼んだ。9時、起床。頭がボーっとしている。机に向うが能率が悪い。そうこうしているうちに子雀に本日三度目の餌をやる時間になる。昔、大学院生だった頃、生まれて間もない長女にミルクをやったり、オシメの交換をしながら、その合間に論文を書いていたことがあった。あのときの感じに似ていなくもない。
  午後から大学へ。2週間ぶりの大学である。1年間の中国留学から帰ってきた現代人間論系3年生のOさんと研究室で面談。彼女は9月の合宿から私のゼミに参加することになっている。洋菓子と北京大学グッズであるポロシャツをいただく。私からは合宿で読むテキストをさしあげる。
  事務所に成績関係の書類を提出してから、「ごんべえ」で遅い昼食(ごまだれうどん)を食べる。生協で以下の本を購入。上野千鶴子が『at』創刊号から連載していた「ケアの社会学」がついに完結した。全14章(+序章)。今日気づいたのだが、生協ではガリガリ君を売っている(しかも8月中は特別価格の50円だ)。

  橋本良明『メディア・コミュニケーション学』(大修館書店)
  毛利嘉孝『ストリートの思想 転換期としての1990年代』(NHKブックス)
  片田珠美『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)
  L.リチャーズ『質的データの取り扱い』(北大路書房)
  『atプラス01』(大田出版)


早稲田の杜 戸山の林


ピースでなくチョキ


秋めく空 でも、夏休みは続く

  夕方、和光大学の道場先生が研究室にやってくる。11月23日に大田区の嶺町集会室で開催予定のシンポジウム「東京南部の青春―いま甦る1950年代サークル運動の世界」のお話をうかがう。
  8時、帰宅。大田区男女平等推進区民会議関連の資料の作成にとりかかる。本当は昨日が期限だったのだが、雀の子騒動で一日遅れてしまった。深夜、仕上げてメールで各委員へ送る。


8月19日(水) 晴れ

2009-08-20 02:11:02 | Weblog

  「思うようにいかないのが人生だ」と昨日のフィールドノートに書いたが、今日はそれを実感する一日となった。
  8時半、起床。いつものように、朝食はとらず、とりあえず机に向う。1時間ほどして朝食用のパンをトースターに入れようとしていたとき、ベランダで洗濯物を干していた妻が、「雀の子が鳴いている」と言った。見ると、向かいの家の私道に植えられた木の枝にティッシュペーパーの空箱が紐でくくりつけられていて、その中に雀の子がいるのだ。近くの電信柱の高所にある接続箱の中に雀の巣があるのだが、そこから落下したのをお向かいの方が拾って、そこにおいてやったらしい。親鳥を呼んでいるのだろう、さかんに甲高い声で鳴いている。しかし、どう考えても場所が悪い。野良猫が簡単に登れる高さだし、カラスの目にもつきやすい。やられるのは時間の問題だ。弱肉強食の世界のこととはいえ、小さな命が目の前で失われるのを見るのは忍びない。外に出て、近くにいって、箱の中を覗いてみる。ヒナというよりも幼鳥で、まだ空が飛べるほどには羽が成長していない。後ろ髪を惹かれる思いで家に戻るが、やはり気になる。松尾芭蕉の『野ざらし紀行』の中に、富士川のほとりに捨てられて泣いている3歳くらいの子どもに、握り飯を1つやって、「おまえ自身の運のなさを泣け」と心の中で呟きながら、そこを立ち去る場面がある。私も芭蕉に倣おうかと思ったが、無理だった。再び子雀のところに行くと、箱の中に子雀の姿がない。見ると、地面に落ちて、草の中でチーチー鳴いているではないか。私は子雀を両手で拾い上げて、家に連れて帰った。


口ばしは黄色く、顔はペンギンに似ている。

  怪我はしていない。元気な声で鳴いている。しかし、保護してしまった以上、餌を与えなければならない。ご飯粒をやる。食べない。口を開かない。自転車を飛ばして梅屋敷通り商店街のペットショップで小鳥の餌(粟玉)を買って来て、教えられた通りお湯で柔らかくして与えるが、やはり食べない。妻が摺り鉢で摺って与えてみるがやはり食べない。スポイトを使って水滴を口ばしにつけてみると、これは飲んだ。とりあえずホットする。人間なら水だけで一週間は生きられるが、子雀はそういうわけにはいかない。割り箸が太いのかもしれないと、母の使っている耳かき棒の先に摺った粟玉を付けて与えてみたら、はじめて自分から口を開いて食べた。


君の名前は?


キーボードの上で「S-P-A-R-R-O-W」と跳ねた

  インターネットで雀の飼育の仕方、野生への戻し方などを調べる。なかなか面倒なことが書いてある。餌は2時間おきに与えること。赤ん坊の世話と同じではないか。これでは落ち着いて仕事ができない(実際、今日はできなかった)。親は姿の見えなくなった子をしばらくは捜しているから(巣に連れて帰れなくても餌は与えるらしい)、子雀をベランダに出して、鳴き声で親を呼び寄せ、放してやること。しかし、放してやるといっても、まだ飛ぶことができないのだから、地面をピョンピョン跳ねるだけで、それでは親から餌はもらえても、自らが野良猫の餌になってしまうだろう。事実、室内の窓際でチーチー鳴かせていたら、電線に親鳥らしき雀がやってきたが、同時に、「なつ」もやってきて、ニャーニャー(ちょうだい、ちょうだい)と訴え始めたではないか。


ご対面


ロミオとジュリエットか

  というわけで、親鳥の元へ返すのは、もう少し飛行能力がついてからでないと無理だ。食後(子雀の)、座布団の上で落下訓練。一応、羽はパタパタするが、あえなく落下するのみ。そうこうしているうちにまた食事の時間。ゆで卵の黄身をすりつぶしたものを与えると、よく食べた。
  こんな調子で、今日は全然原稿が書けなかった。いま、チーちゃん(さきほどそう命名した)は書斎の一隅で眠っている。木で編んだ籠の中にタオルを敷き、さらにその上にティッシュを敷き(糞の除去が楽なように)、ティッシュを丸めて小さな窪みを作り、そこにチーちゃんを置き、上にティッシュを何枚かかけ、タオルで遮光すると、鳴くのをやめて寝る体勢に入った。やはり鳥だ。夜は寝るのだ。人間の赤ん坊とは違う。しかし、あまりおとなしいとそれはそれで心配になり、ときどき、生きていることを確認する。朝は4時、5時頃から鳴き始めるらしい。ふぅ。


8月18日(火) 晴れ

2009-08-19 02:40:55 | Weblog

  8時半、起床。朝食は昨夜の残りの夏野菜カレーを、パンがなかったので、ライスで食べる。

  午前中は原稿書き。出版社の方には今週中に書き上げますといってあるが、どうだろう。すべてが思うように運べばなんとかなる計算なのだが。でも、これまでの人生で、「すべてが思うように運ぶ」なんてことはあっただろうか。思うようにいかないのが人生で、それでも、まあ、そこそこ、なんとかなる、というのがわが経験的人生訓である。


我輩もそう思う

  3時を過ぎた頃、A4判用紙が切れそうなので、島忠家具センターに自転車で出かける。3束購入。帰りに「甘味あらい」に寄って、宇治金時ミルクを食べる。やっぱり、美味しい。私の後に入ってきた母子が、品書きをみながら、女将さんに「宇治金時クリームと宇治金時ミルクはどう違うのですか?」と聞いていた。氷アズキに甘い宇治茶がかかっている点は同じで、そこに前者はアイスクリームが添えられていて、後者は練乳がかかっているのだ。私は両方食べたが、後者を推す。小さな女の子の将来がこの選択にかかっているような気がして、私は心の中で「宇治金時ミルクにするんだ」と念じた。その若い母親は、少し考えてから、「じゃあ、宇治金時ミルクを」と言った。よかった。
  まだ昼食をとっていなかったので、向かいの蕎麦屋「蓮月庵」で冷やしきつねそばを食べる。店の奥のラジオから高校野球の中継が聞こえてくる。智弁和歌山が9回に逆転して勝った。


油揚げは短冊に切れ込みが入っている

  自転車の後輪の空気が抜けてしまったので、帰り道は呑川沿いの道を自転車を押して歩く。風が気持ちよい。自転車と徒歩とでは同じ道を歩いても目につく風景が少し違うように思った。

  帰宅すると、玄関先で、母が花に水をやっていた。ニルバーナカスケード。インド産の草花で、和名を日々草(ニチニチソウ)という。


8月17日(月) 晴れ

2009-08-18 10:50:36 | Weblog

  9時半、起床。朝食はとらずに、10時に予約してある近所の歯科へ。マウスピース、ギブアップ宣言。これを装着したまま寝るのは私には無理です。ただ、歯を食いしばることをしないように意識するようになったせいか、頬の内側、奥歯の横の瘢痕は薄くなってきているとのこと。パソコンに向っているときなどに、「あっ、いま、歯を食いしばってるな」とわかるときがある。そういうときは、あごの力を抜く。口は開けないで(それだとバカっぽい)、あごの力だけ抜くと、1センチほど面長になる。ハンサムになる(ような気がする)。一石二鳥だ。
  帰宅して、遅い朝食(ベーコン&エッグ、ご飯、冷麦茶)。原稿の材料にするため、社会学の調査実習の報告書を書棚から取り出して目を通す。「そして彼らは30代の半ばになった―バブル崩壊の前後に大学を卒業した若者たちのライフストーリー」(2004年)、「戦後日本の人生問題とライフストーリー」(2005年)、「ポピュラーカルチャーとライフストーリー」(2006年)の3冊である。いずれも学生たちが対象者のところへ出向いて行って長時間のインタビューを行い、ライフストーリーとして編集し(大変に時間のかかる作業だった)、分析したレポートである。調査実習は3年生のときの科目だったから、彼らはいま、大学卒業5年目、4年目、3年目である。それぞれの場所で、人生のさまざまな局面に遭遇していることだろう。

  今日は妻と娘が一緒にジムに行った。娘はジムの会員ではないが、8月は会員同伴で無料でジムが使えるのだ。姉妹に間違われたそうだ(妻談)。冗談もたいがいにしなさい。山口百恵と上戸彩は全然似てないですよ。
  夕方から、上野の東京文化会館へ、東京バレエ団の公演「オマージュ・ア・ベジャール」を観に行く。第12回世界バレエフェスティバルの特別プログラムとして企画されたもので、東京バレエ団とは縁の深かった振り付け師モーリス・ベジャール(2007年に80歳で死去)の作品から、「ルーミー」「ザ・カブキ」「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」「鳥」「アダージェット」「バクチⅢ」「さすらう若者の歌」「ボレロ」の8作品で構成されていた。原初性、呪術性、エキゾチズム、エロス、同性愛、ポップス・・・といったベジャールらしさを堪能した。男性ダンサーは上半身裸だが、女性ダンサーもセパレーツの衣装を着ていたので、ロマンチックバレエでは目にすることのない、彼女たちの鍛え上げた腹筋に見惚れた。「世界陸上」のアスリートのようである。最後、観客たちは総立ちで拍手をおくった。スタンディング・オベーションというやつである。私は初めての経験だった。前の人が立つと舞台が見えなくなるので、私も立つほかはなかったのだが、これって悪くない。バレエフェスティバルも最終日ということで、後夜祭的な気分が場内にあふれていたように思う。

  10時頃、帰宅、シャワーを浴び、夕食(夏野菜カレー)をとりながら、録画しておいた「ブザービート」第6話を観る。いよいよ人間関係が混沌としてきた。混沌の中から本当の愛を見つけ出すというのが群像物のラブストーリーの基本であるから、それはいいのだが、おい、川崎コーチ(伊藤英明)、全然男らしくないぞ。


8月16日(日) 晴れ

2009-08-17 12:33:49 | Weblog

  10時、起床。普段は9時には目が覚めるのだが、昨夜は寝たのが午前4時を回っていたので、いたしかたない。ウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、アイスカフェラテの朝食。


朝食の定番

  朝刊に佐藤正午の新しい小説『身の上話』(光文社)の広告が出ていた。是非、読んでみたいが、いまは手を出すわけには行かない。あと1週間、待ってね。
  昼間、近所を散歩。お盆休みで閉まっている店と元々シャッターが下りている店が相俟って商店街は閑散としている。見上げると、陽射しは強いが、青空に広がる雲は秋めいている。


  昼食は海老シュウマイ、ブロッコリーとトウモロコシとベーコンの炒め、ご飯、冷麦茶。書斎で原稿を書いていると、いつのまにか夕方になる。

  夕食は肉じゃが、焼き鮭、玉子スープ、ご飯。食後、腹ごなしに、くまざわ書店に出かけて、佐藤正午『身の上話』を購入。ほかに、濱口桂一郎『新しい労働社会』、(岩波新書)と上野千鶴子・辻元清美『世代間連帯』(同)も購入。
  深夜まで原稿書き。今日は9枚書いた。それでちょうど切りのいいところまでいった。TVでは「世界陸上」をやっている。寝たのは3時半ごろ。男子100メートル決勝までは起きていられない。(後からすごい記録が出たことを知る)