フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月25日(木) 雨

2010-03-26 03:51:21 | Weblog

  8時、起床。ソーセージとキャベツの炒め、トースト、紅茶の朝食。昨日のガイダンスのときに、個人的な質問はメールで受け付けますと言った効果で、さっそく3人の学生から問い合わせのメールが来た。それぞれに回答のメールを返す。
  午後から大学へ。途中、「テラス・ドルチェ」で昼食をとる。生姜焼きセットを注文。生姜焼き、キャベツ、コンソメスープ、ご飯、そして食後に珈琲。これで960円。定食屋で生姜焼き定食を食べて、喫茶店で食後の珈琲を飲むよりも安上がりだ。食事のできる喫茶店のよさはここにある。

   珈琲を飲み終えて、さて店を出ようかと思っているところへ、隣の席に若い女性の2人客が座り、一人は生姜焼き、もう一人は生姜焼きの大盛を注文した。若い女性、それも小柄な女性が生姜焼きの大盛を注文したことに驚き、大盛とはどの程度のものなのかにも興味があったので、しばらく待つことにした。ほどなくして運ばれてきた生姜焼きの大盛は、たしかに、肉の分量もご飯の分量も多かった。
  今日は卒業式。まずは二文の卒業パーティーに顔を出す。社会学基礎演習の学生たちに会いに行く。会場のカフェテリア前でキョロキョロしているとすぐに10数人の学生と出くわした。用意しておいた紅白のイートンペンシルはたちまちなくなってしまった。ひさしぶりに話をする学生が多かったが、みんな、元気そうで何よりである。社会学基礎演習は入学したての1年生のための授業で、学生たちの目が生き生きしていたから、こちらも張り合いがあった。彼らのよくしゃべること、しゃべること、私がじゃあ今日はこのへんでと言ってもおかまいなくしゃべっていた。いま、それぞれの進路も決まり、あの頃と同じように彼らの目は生き生きとしている。




唐突ではあるが、彼らのリクエストに答えて、ここで小雀の写真を載せる。


キーボードの上で爪楊枝をくわえて遊ぶ小雀


珈琲カップに映る自分の姿と戯れる小雀

  7時から、恵比寿ガーデンプレイスにあるウェスティンホテルでの一文の社会学専修の謝恩会に出席。今年度の卒業生の多くは1年生のときに私の社会学基礎講義をとっていたと思うが、大教室での講義ゆえ、履修者の顔は覚えていない。顔を覚えているのは2年生のときに私の演習をとっていた学生たちだけで、3年生、4年生のときは、もう私は現代人間論系の方にポジションを移していたので、卒論指導を2名担当したのみだった。それで、会が始まって最初の頃は、手持ち無沙汰であったが、途中から、会話の量がどんどん増えていった。 私にジャンケンで3連勝して『日常生活の社会学』をゲットする学生も現われた。



那須先生のゼミの学生たち


木村先生のゼミの学生たち(木村先生も入っているが知らない人にはわかるまい)


2年生のときの私の演習の学生たち


この2人も(上とダブっている人が本をゲットした)


この2人も


今日初めて話をした人もいる


司会や受付をやってくれた


幹事で頑張ってくれた

  9時半に閉会。みなさん、お元気で。木村先生と恵比寿の駅まで歩く。動く歩道で東京の人は歩かない人が多いですねと、大阪出身の木村先生は言った。


3月24日(水) 雨

2010-03-25 11:20:43 | Weblog

  8時、起床。ハムトーストと珈琲の朝食。朝からしっかりと雨が降っている。しかも寒い。コートを仕舞わないでおいてよかった。午前中は午後の会議や催しの準備。昼食に冷凍の牛丼の具を温めて、卵と一緒にご飯にのせて食べる。たまに食べるならこういうものも悪くはない。食べ終わって、大学へ。コートを着ている人は思いのほか少ない。寒そうである。クリーニングに出してしまったのだろうか。いや、実質的に冬の気温であるにもかかわらず、「3月末」という観念がコートを着るという行為にブレーキをかけているのだろう。人間が規範的に行為する動物であることがよくわかる。百均ショップへ寄って、今夜のパーティーで使う紙コップ、紙皿、名札カードを購入。
  午後2時から、「早稲田社会学ブックレット」の編集委員会。第2期の最初の委員会で、なんとなく、暗黙の合意で、私が委員長になる。2008年3月にシリーズの刊行が始まったが、当初の刊行予定の3分の1くらいしかまだ出ていない。刊行の促進がわれわれの任務である。とりあえず未刊の巻の執筆者に手紙を出すことから始める。
  午後3時から現代人間論系の教室会議。キャンパスでは2010年度の授業がこれから始まるところだが、今日の議論の中心は2011年度のカリキュラムについて。次年度のカリキュラムというのは6月くらいまでに決めないとならないのだ。
  午後5時から現代人間論系の新2年生を対象にした科目登録ガイダンス。あいにくの雨だが、出席状況は良好。最後に全員で集合写真を撮る。とても一枚に収まる人数ではないが(100名超)、それを承知で撮る。2年生全員が一堂に集まる機会はめったにないからだ(次は7月のゼミ・卒研ガイダンス)。
  引き続いて午後6時から新3年生・4年生を対象にしたガイダンス。就職活動まっただなかの4年生の出席状況が芳しくない。実際に忙しいということもあるだろうが、気持ちの余裕がないということもあろう。でも、忙中に閑あり、というのは大切なことなんだけどね。
  7時から学内の一室を借りて私のゼミの3年生・4年生の顔合わせパーティー。3年生は全員出席(18名)。4年生は3名が欠席の15名出席。合計33名。乾杯(ノンアルコールです)をして、まずはお腹に食べ物を入れてから、3年生の自己紹介、再び飲食タイムがあって、4年生の自己紹介、残り物を平らげて、9時に終了(実際にみんなが部屋を出て行ったのは9時半ごろ)。私のゼミは原則として3年生と4年生は別々で授業を行うが、今日のパーティーの成果で、キャンパスですれ違ったときなどに、ちゃんと挨拶ができるはずである。私はケーキを食べ損ねた。今日、一番の失敗だ。
  研究室でメールのチェックなどをして、大学を出たのは10時。雨は小止みなく振っている。明日は雨の卒業式になりそうだ。


36号館の前庭にて


3月23日(火) 曇り一時小雨

2010-03-24 09:03:17 | Weblog

  8時、起床。玉子焼、豚汁、ご飯の朝食。10時に予約している近所の歯科医院へ。名前を呼ばれて、診察室に入り、指示された一番手前の診察台に座るとき、可動式のアームにおでこをぶつけて、歯科衛生士さんに大丈夫ですかと心配されつつ、クックックッと笑われる。「はい、エプロンしますね~」の彼女である。彼女の名前は知らないが(名札とかは付けていないので)、武蔵村山の出身とのことなので、「武蔵村山さん」とここでは呼ぶことにしよう。彼女は武蔵村山のことを私が知っているのに驚いて、東村山じゃありませんよ、武蔵村山ですよと念を押した。確かに志村けんの「東村山音頭」のおかげで東村山は全国的に有名だが、東京に住んでいる人間なら武蔵村山の名前ぐらいは知っている(でもないのだろうか?)。武蔵村山は私の教え子でいまは弘前大学で教えている高瀬君の実家のあるところで、彼のブログにはしばしば登場する(たとえばこちら)。私にとって武蔵村山が周知の場所であるのはそのためかもしれない。
  その武蔵村山さんから、「私、先生のブログのファンなんです」と告白される。私がブログをやっていることは、私が宣伝したわけではなくて、患者さんの中に私のブログの読者(正しくは読者のお姉さん)がいて、その方が発信源なのだが、最初、ときどき読む程度だったのが、いまでは毎日欠かさず読むようになり、更新の遅い日などは(スミマセンね)、まだかな、まだかな、と何度もチェックをするまでになったという。最近の金沢旅行の記事を読んで、自分も金沢に行きたくなりました。ヒツジキッチン、行ってみようと思います。ところであの雀ちゃんとは一緒に寝ているのですか?矢継ぎ早の感想や質問。こちらは診察台に寝ているので、なんだか問診を受けているようである。歯の掃除をしてもらって、「歯の磨き方、だいぶ上手になりましたね~」とほめられる。ばぶー。
  午後から大学へ。「maruharu」に寄って、明日のゼミの顔合わせパーティーの料理(サンドイッチ、オードブル、ケーキ)の支払いを先に済ませておく。3万5千円也。ついでにトーストサンドと珈琲の昼食をとる。


本日のサンドイッチは豚肉のロースト(美味しかったです)

  午後1時から早稲田社会学会の理事会。それが4時過ぎに終わり、事務所に行ってあれこれの用事を片付ける。帰りがけに論系室に顔を出す。助手のAさんとS君が明日のガイダンス用の資料の作成作業をしていた。隣接する2部屋は最近間仕切りを撤去してワンルームとして使えるようになった。テーブルと椅子を調達してくれば、教室会議やサブゼミ用の部屋として十分使える広さである。新年度の準備が着々と進んでいる。最初の授業(火曜4限の「現代人間論系総合講座1」)まであと2週間だ。


キャンパスの八重椿


研究棟裏の斜面に咲く花だいこん

  あゆみブックスで以下の本を購入。

  風間孝・河口和也『同性愛と異性愛』(岩波新書)
  辰濃和男『ぼんやりの時間』(岩波新書)

  蒲田に着いて、駅ビルの無印良品で小物を何点か購入。私が愛用しているコクヨの測量野帳(スケッチブック)と仕様がそっくりの「手のひらサイズポケットノート」といういうのが出ていて、びっくり。


3月22日(月) 晴れ

2010-03-23 01:52:48 | Weblog

  8時、起床。卵かけご飯、しらす干し、なめこの味噌汁の朝食。明後日の論系進級科目登録ガイダンスの資料の作成(途中まで)。10時半に家を出て、鶯谷の菩提寺に墓参りに出かける。母、妻、息子と私。現地で妹夫婦、甥と合流。総勢7名。

  墓参りを済ませて、いつもの「錦華楼」で食事。昨日の予想どおり、母はレバニラ炒め定食を注文した。同じレバニラ炒めでも見た目はずいぶんと違うものである。私の注文した油淋鶏もよく行く「秀永」のものとは見た目がずいぶんと違った(油淋鶏については「秀永」の方がずっと美味しい)。妹の注文した蟹玉定食がなかなか運ばれて来ず、ずいぶんと長居をした。


母一人では食べきらない量で、私も手伝った。

  夕方、サントリーホールで行われる早稲田交響楽団のコンサートに出かける。今回の作品は以下の3つ。

  ブラームス 悲劇的序曲 作品81
  R.シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28
  ブラームス 交響曲第1番 ハ長調作品68

  前半の2曲はゴチャゴチャした印象を受けた。とくに2番目の曲は、元来がおもちゃ箱をひっくり返したような曲なのだが、そのおもちゃ箱をひっくり返したような感じが表現されたものなのか、オケの素の部分が出ているのか、わからないところがあった。しかし、休憩後のブラームスはとてもよかった。曲自体がいいということもあるだろうが、弦楽器の作る安定した土台の上で、管楽器がのびのびと歌っていた。とくに一場えりかのオーボエがよかった。楽器によって、あるいは同じ楽器でも奏者によって、身体を大きく動かす人とあまり動かさない人がいる。一場は大きく動かす人である。どちらかといえば小柄な彼女が、音楽に合わせて、大きく身体を動かしながら演奏する姿は、音楽に没入しているというのか、見ていて清々しい。音楽にとって重要なのは聴覚であって視覚ではないという意見もあろうが、コンサート会場へ足を運んで音楽を聴く者にとっては視覚もまた音楽を楽しむための重要なファクターである。
  アンコール曲の奏者として安田真理奈が登場したときは驚いた。ブラームスの交響曲1番を聴きながら、彼女はいまどこでこの演奏を聴いているのだろう、舞台の袖か、楽屋か、あるいは客席かと考えていたので、彼女の登場には本当に驚いた。思わず、口の中で小さく「おぉ」と言ってしまった。周りの人たちはあまり驚いていないようなので、もしかして、みんなことのことを事前に知っていて、サプライズ気分を味わっているのは私だけなのかと疑った。曲はモンティのチャルダッシュ。マンドリンのための独奏曲をヴァイオリン用に編曲したものだが、今回はヴォイオリン独奏でなくて、オケが付いて小さいながらヴァイオリン協奏曲になっている。4年生の安田は2月のコンサートでチャイコフスキーのヴァオリン協奏曲を弾くはずであったが、体調を大きく崩して断念したという経緯がある。その安田が最後の最後で「ヴァイオリン協奏曲」を弾いた。粋な計らいである。本当によかった。彼女の回復を祝して、CDを購入して帰る。


昨年のヨーロッパ公演のCD(2500円)


3月21日(日) 晴れ

2010-03-22 01:35:25 | Weblog

  8時、起床。夜来の雨と風が止んで、暖かな一日。昨夜の残りのハヤシライスのルー、トースト、牛乳の朝食。
  妻の実家の墓参り。横浜で義母、義姉と待ち合わせ、タクシーで三ツ沢墓地へ。お彼岸の中日にしては空いている。
  タクシーでまた横浜駅に戻り、「紅虎餃子房」で昼食。妻と義姉は坦坦麺と餃子のセット、義母は五目あんかけ焼そば、私はレバニラ炒め(辛味)と鶏の唐揚げにご飯。義母がレバニラ炒めを一度も食べたことがないというので驚いた。私の母はレバニラ炒めが好物で、たぶん、明日、我が家の墓参りの後の食事は中華料理店であろうから、母はレバニラ炒めを注文するのではなかろうか。


赤唐辛子がたっぷり入っている

  高島屋でビーズグランプリ2009というのをやっていて、妻の作品が佳作で展示されているので、みんなで観に行く。昨年の夏に日本橋高島屋で展示会があり、その後に札幌東急で開催され、今回の横浜高島屋が最後である。


これが妻の作品「Blue Flame」(本人の解説はこちら) 

  展示会場を出て、女性陣とはここで別れ、高島屋の中を散歩する。子どもの頃、母に従って歩いたデパートや結婚してから妻に従って歩いたデパートは疲れるだけであまり楽しくなかったが、一人で気ままに歩くデパートは楽しい。何か特定の買物があるわけではなく、へぇ、こんなものが、あんなものがと見て歩くのが楽しい。伊東屋でZEQUENZ360の小型の赤い手帳を購入。同型のモールスキンの手帳の3分の1の価格。これが適正価格と思う。近頃の手帳は高くなりすぎた。
  「清月堂」で白玉クリームぜんざいを注文して一服。デパートのよいところは、本屋は一軒、レコード屋は一軒、中華料理屋は一軒・・・という具合に店同士の競合がないところだ。かつての地域の商店街もそうであったように記憶している。それがコンビニが進出してきた頃から、仁義なき戦いが始まったのだ。同じ通りにコンビニが何軒もあり、百円ショップが何軒もあり、同工異曲のチェーン店のカフェが何軒もある。ハーモニーがなく、不恰好である。デパート業界は不振が続いていて、デパートという形態そのものが時代遅れだと言われているが、デパートの楽しさというものが必ず再認識されるときが来ると私は思う。