フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月25日(日) 晴れ

2014-05-26 10:41:03 | Weblog

     8時、起床。

     夕食の残りの回鍋肉をマフィンではさんで、サラダと冷麦茶の朝食。

     午後、散歩に出ようとしたら、妻が「冷やし中華、作ろうと思うんだけど」と言う。頭の中には「喜楽亭」のチキンカツ定食のイメージがあったのだが、体重を2か月で3キロ減らすと昨日決意したばかりなので、どちらが適合的な昼食であるかはら明らかである。「食べるよ」と返事をする。

     結局、昼寝をしたり、本を読んだりしていて、散歩に出たのは夕方近くになった。とはいってもまだまだ明るい。

     電車に乗って、東京ステーションギャラリーで昨日から始まった「ジャン・フォートリオ展」を見物に行く。電車の中では藤堂志津子『ある女のプロフィール』(集英社文庫)を読んでいた。自宅で読んでも、喫茶店で読んでも、電車の中で読んでも、小説の味わいは変わらないとすれば、電車の中での読書は楽しんでいるうちにもう一つの楽しみのための場所に移動できるという点で優れている。

     日本で初のフォートリエの本格的な回顧展である。

     フォートリエは日本ではなじみのある画家ではない。もっともフランスでだってそうかもしれない。館内で流されていたドキュメンタリー番組で、ナレーターが、フォートリエが生涯(1898-1964)で世間から注目されたのは三度だけだったと言っていた。三度目が1945年だったから(レジンスタンスの弾圧をモチーフにした「人質」シリーズ)、戦後は一部の批評家が「アンフォルメル」(不定形)の先駆者として注目した以外は不遇であった。

     画風の変遷の大きかった人で、初期の人物画はリアリズムというよりもむくんだような顔や体の人物を好んで描き(あるいは人物の顔や体をむくんでいるように描き)、こういう作品を買って自宅の居間に飾ろうとする客はたしかに少ないだろう。やがてそうしたリアリズムは姿を消し、人体はフォルムとして描かれるようになっていった。

     「好き画家は数人いるが、名前はいいたくない。大切なのは画家ではなく作品だ。一番好きな作品は自分の絵だ」というようなことをさきほどのドキュメンタリー番組の中で語っている。「彼には師匠はいなかった。弟子は一人いたが、その弟子は『フォートリエといると頭が悪くなる』と言った」とナレーターが語っていた。15分ほどの番組だが、フォートリエは一貫して「変わり者」として描かれていたし、実際、彼自身も「変わり者」を演じていたように思う。一般に変わり者が多いと思われている芸術の世界の中で、「変わり者」として見られるというのは凄いことなんじゃないかと思う。

     フォートリエは日本に一度来たことがある。1959年のことで、日本で「アンフォルメル」がブームになったいた頃のことだ。当時の彼の作品は自宅の居間に飾っても違和感のないものになっていた。私もポストカードを何枚か買った。

     回顧展は7月13日まで。年間パスポートがあるので、会期中に何度か来ることになるだろう。 

 

     東京駅丸の内北口。

     7時、帰宅。

     夕食はメロの照り焼きと茄子とベーコンの煮物、そしてとろろ芋。

     『ある女のプロフィール』読了。交通事故で突然29歳で死んだ諸岡多絵子という女とかかわりのあった6人の男たちが各自の視点から彼女の実像に迫る。男女の心理を描いた小説はたくさんあるし、この小説も広義にはその中に入るのだろうが、諸岡多絵子は徹底的に不可解な女として描かれ、最後に彼女の高校時代の担任だった男の視点から一応の謎解きはなされるのだが、それで「謎はすべて解けた」という感覚を読者はもつことができないだろう。あくまでも提示されのは解の一つで、他にも解がありそうな感じを漂わせたまま物語は終わる。しかし、読後感は消化不良ではない。6人の男たちは「諸岡多絵子とは何者だったのか」を追求する過程で、実は、彼女の実像ではなく、自分自身と向き合うのである。諸岡多絵子とのかかわりの中で一体自分は彼女に何を求めていたのかが明らかになるのである。重要なのはそこである。「諸岡多絵子」という「謎」は、解かれるべきものではなくて、6人の男たちが自分自身と出会うための扉を開く「鍵」であったのだ。


5月24日(土) 晴れ

2014-05-25 10:40:31 | Weblog

     8時、起床。

     毎朝の習慣の体重測定。今日はジムに行かねばと思う。

     4月・5月の2か月で体重が2キロ増加した。体重増の一般的原因は、(1)食べ過ぎ、(2)運動不足の2つである。過去2か月の生活を振り返ってどちらもあてはまる。なぜ食べ過ぎたのかといえば、春になって食欲が増えた(食欲の春)というわけではなく、会食の機会が多かった(主要には還暦効果)からである。一方、なぜ運動不足であったのかといえば、寒かったり、忙しかったりでジムに行く機会が少なかったからである。

     これから6月・7月の2か月で3キロの減量を固く心に誓う。

     マフィンと紅茶の朝食。

     昼食は一週間ぶりの「phono kafe」で。

     ご飯セットを注文。

     おからボールと竹の子のくずあん。

     蕎麦の実、長芋、茗荷の山葵醤油。

      きのこと新玉ねぎのマリネ。

     ハニーブッシュ。こういう食事を続けて入れば、2か月で3キロの減量は簡単なのだが・・・。

     近所を散歩しながら、久しぶりに「あるす」に顔を出す。

     モカを注文。

     お菓子や、(コーヒーを飲み終わると)紅茶のサービス。

     マスターご夫婦は東京オリンピック(1964)の頃に結婚されたので、この秋で金婚式を迎えられる。「蒲田はとても住みやすい街です」と奥様。生まれてから23歳まで船橋で暮らし、その後の50年間を蒲田で暮らして来られたのだ。他の街で暮らした経験がほとんどないわけだから、比較の上での話ではないだろう。50年間の結婚生活が幸せなものであったということと同じ意味だろう。聞いたわけでないが、これまでお子さんの話が出たことは一度もないので、たぶんお子さんはいらしゃらないのではないかと思う。仲睦まじいいお二人を見ていると、幸福の家族の物語に「子ども」は必ずしも不可欠の登場人物ではないことを改めて認識する。

     自宅に戻り、昼寝。

     夕方、ジムへ行く。筋トレは省略して、有酸素運動(クロストレーナー)を45分。最初の10分を時速11キロ、次の10分を時速12キロ、次の10分を時速13キロ、次の10分を時速14キロ、そして最後の5分を時速15キロで漕ぐ。こうやってペースをだんだん上げていくやり方が自分流である。同じペースでずっと走っていると飽きてしまう。理論的には、最初にハイペースで、徐々にペースを落としていくという方法も考えられるが、そういう右肩下がりの方法はモチベーションが上がらないだろう。630キロカロリーを消費。次は月曜日に来よう。週2ペースを守ること。

     夕食は回鍋肉。デザートはメロン。

     減量するからといって夕食のメニューに注文は付けない。満腹になるまで食べなければよいだけである。

      深夜、スポーツニュースを観ていたら、『ルーズベルトゲーム』に野球部の新たなエース役の工藤阿須可が今日の西武対ヤクルト戦で始球式に登場し、114キロの直球を投げて球場を沸かせていたが、彼の父親が元巨人の工藤公康投手であることは知らなかった。へぇ、そうだったのか。


5月23日(金) 晴れ

2014-05-24 12:26:04 | Weblog

     8時、起床。

     朝食は豚汁のみ。

     お昼に家を出て、大学へ。

     神楽坂で途中下車して「SKIPA」で昼食をとる。同じ一軒家の向かって左が「SKIPA」、右が「トンボロ」。入口は別々だが、中でつながっている。

     定食を注文。鶏肉団子と春雨のスープ煮。

 

     食後にアイスチャイ。今日はアイスチャイを飲んでいる人が多かった。

     3時から研究室でN君のゼミ論指導。スイーツはN君持参の和風ショークリーム。

     この時期、N君に限らず、問題意識が「〇〇についてやりたい」という領域のレベルにとどまっていて、まだ具体的な「問い」が立っていない人が多い。たとえば「女性と労働」といっただけでは問いになっていない。もっと踏み込んで、たとえば、「男性に比べて女性の働き方は多様だとよくいわれるが、その多様性とはつまることろ女性が労働市場において二次的な労働力として扱われていることに由来するものであって、必ずしもよいことではないのではないか?」というのは「問い」である。

     問題意識が領域にとどまっているゼミ論は勉強ノートのようになり、具体的な「問い」を出発点とするゼミ論は論文と呼べるものになる。

     5限・6限はゼミ。

     5限の3・4年生合同ゼミは、3年生のMさん、Fさん、Sさんのグループ発表(海老名パーキングエリアのフィールドワークの報告)。時間をあと5分ほど短縮した方がよかったと思うが、全体としてよく準備された発表だった。「日常」「非日常」というのは、他のグルールの発表においてもキーワードになると思うが、なにが「日常」で何が「非日常」なのかは、一度、じっくりと考えるべきものだろう。

     5限と6限の間のスイーツタイムのスイーツの用意は、今週から3年生が担当することになった。まずはゼミ長のA君が担当。

     6限は学年で別れてのゼミ。4年生はS君とMさんのゼミ論中間発表。3年生はテキストを読んでのディスカッション。私は後者に出席。今日は時間を1時間延長して8時45分まで行った。みんな、ほんとによく喋る。

     あるトピックスについてディスカッションをしていて、それを別のトピックスに切り替えるときのタイミングはなかなか難しい。その直前にしゃべっていた人の意見はそこで捨て置かれることになるからだ。なのでその役目は私がすることが多いのだが、今日はNさんが何度かその切り替え役を演じてくれた。私の意見は二度ほど捨て置かれました(笑)。

     9時過ぎに大学を出る。蒲田についてから「そば新」で遅い夕食。遅い夕食は軽めにというのがセオリーであるが、ちくわ天うどん+コロッケは軽いのかどうか難しいところだ。 

     帰宅してシュークリームと紅茶。結果的に軽めの夕食とはいえなくなった。まずいな。いや、おいしいけど。


5月22日(木) 曇りのち雨

2014-05-23 11:10:18 | Weblog

     9時、起床。

     アサリと山椒の佃煮、サラダ、ご飯、冷麦茶の朝食。

     佃煮はお茶漬けで。

     11時過ぎに家を出る。雨がパラパラと降り始めた。引き返して二階のベランダの洗濯物を取り込むべきか。でも、西の空は明るいし、天気予報では雨は夕方から降ると言っていた。だからこれはすぐに止むパラパラ雨だろうと考えて、そのまま駅に向かった。この判断は間違っていたことがやがて明らかになるのだが、今日の東京はおかしな天気だった。 

     昼休みの時間にゼミ3年生のグループ発表の事前指導。今年のゼミでは3つの新しい試みをしている。第一は、4年生のゼミ論個別相談のルーティン化。ゼミでの中間発表の一週間前に個別の指導を行い、それを踏まえて教室で(みんなの前で)中間発表を行うというもの。「相談があったら来なさい」ではなく、全員、発表の前の週に必ず個別相談を行うことにしたのである。第二は、3年生のグループ研究。最終的な成果物であるゼミ論は個人個人が書くものだが、ゼミがスタートしたばかりの3年生には、飲み会や合宿を通じてゼミ生同士が親しくなるというインフォーマルなルートだけでなく、グループワークを通して親しくなるというフォーマルなルートもあった方がよいと考えたのである。第三に、それと関連して、ゼミ論の中間発表と同様、本番のグループ発表の前に研究室で事前の指導をすること。事前指導なしで、私も他の学生と同様に初めて教室で発表を聞いて、コメントを述べるというのが普通の方法だが、これだと「後の祭り」的になりやすい。発表の後に改善点を指摘しても、それが生かされる「次の機会」はなかなかやってこない。要するに丁寧に指導するということだが、そのためには正規の授業時間外に指導の時間をとらなければならないわけで、昨年までのように週に8コマの授業を担当していてはそれは無理である。もちろん不可能ではないが、それをやると、ブラック企業で働くサラリーマンのようにサービス残業の時間が正規の就労時間と同じくらいになってしまう。コマ数をたくさん持つことは「超過勤務手当」としてペイされるが、1コマの授業で正規の時間外に学生指導をいくら行ってもそれはボランティアであってペイはされないのである。しかし、多忙を理由に丁寧な指導を行えずにいるというのは、教員として忸怩たるものがあった。

     今年度、特別研究期間をいただくにあたって、したいことの一つがこうした丁寧な指導であった。研究と教育を別のものと考えている人には理解できないことであろう。

     3限は大学院の演習。

     4限・5限に予定したことがキャンセルになったので、早めに大学を出る。

     東京駅から「まやんち」へ電話をして、例のキャラメルタルトはまだ残っていますかと尋ねたら、2つ残っていますとのことだったので、それを予約して(1つは店で私が食べ、もう1つは妻へのお土産)、4時頃、「まやんち」に到着。

     昼食がまだったので、野菜のサンドウィッチと紅茶(春摘みのダージリンが入荷していた)と木の実とドライフルーツ入りキャラメルタルトを注文。今日はデジカメを家に忘れてしまい、ガラケーのカメラで撮ったのだが、春摘みの紅茶は色が淡いのがわかるだろう。でも、味が薄いわけではない。とてもさわやかなスッキリとした味わい。

     タルトの写真はお土産で持ち帰ったものをデジカメで撮影。妻も「美味しいね」と言って食べた。キャラメルにほんの少し苦みがあって、甘々ではないところがいい。そのために一口一口の甘さが後を引かずに(蓄積しないで)、最後の一口まで美味しく味わえるとのこと。なるほどね。

     話は前後するが、「まやんち」を出て、「くまざわ書店」で文庫本と雑誌を購入。

        グレアム・グリーン『情事の終わり』(新潮文庫)  名作の新訳だ。

        藤堂志津子『ある女のプロフィール』(集英社文庫)  多元的自己論の教材になるのではないかと。

        忌野清志郎『エリーゼのために』(角川文庫)  忌野清志郎詩集。

      「NHK俳句」6月号。櫂未知子の選んだ「今月の一句」は富安風生(とみやすふうせい)の「一生の楽しきころのソーダ水」。いいなあ、これ。子どもがソーダ水を飲んでいる姿を傍らで見つめる大人(父親か?)のまなざし。あるいは、ソーダ水を飲んでいるのは小さな子どもではなく、若い娘たちかもしれない。楽しそうに笑いながらソーダ水を飲む夏服を来た女たち。一生で一番楽しい時期というのは、子ども時代か、青春時代か、少なくとも、中高年ではないだろう。あるいは、ソーダ水を飲んでいるのは作者自身で、子どもの頃に飲んだソーダ水の味を思い出しているのかもしれない。「失われし時を求めて」のソーダ水版だ。俳句というのはこちらの想像力を刺激してくれる。

     昨日、作った俳句、「かき氷少女は赤き舌を出し」だが、「少女」を「女」に変えると、意味合いはずいぶんと変わる。「かき氷女は赤き舌を出し」。こっちの方が面白いかも。ただし、R15指定。「よい子の俳句教室」の教材には使えません。

     なんだか鎌倉本が増えた気がするんですけど、『続・最後から二番目の恋』の放送に合わせたのだろうか。

     5時、帰宅。3階のベランダから撮った雨上がりの空の写真3枚。上から、東の空、南の空、西の空。どこか不安定で、案の定、この後、また雨が降った。

     夕食は鰹のタタキ。

     深夜、『続・最後から二番目の恋』第6話を録画で観る。ドラマが終わった後に流れる中井貴一と小泉今日子のデュエットがいい。


5月21日(水) 雨のち曇り

2014-05-22 10:48:34 | Weblog

     8時、起床。雨が降っている。 信州から東京に戻ってき途端の雨である。非日常と日常との間にくっきりと線が引かれたような感覚。

     海老フライ、ポタージュスープ、パン、サラダの朝食。

     1997卒のSさんと2000年卒のMさんが昨日、「SKIPA」で食事をして、初対面にもかかわらず、あっと言う間に打ち解けておしゃべりを楽しみましたという報告のメールが、Sさん、Mさんそれぞれから届いた。そもそもの事の始まりは、私がブログで、Sさんのウェッブサイトを紹介したことにある(4月22日)。それを読んだMさんは、自分が日頃愛読しているウェッブマガジンのライターがSさんであることを知ってびっくりし、Sさんにメールを出したいと思うというメールを私に送ってきた。Sさんが研究室にやってきたとき(4月25日)、Sさんにそのことをお伝えすると、自分のメールアドレスをMさんに教えて差し上げてくださいと言われた。こうしてMさんがSさんにメールを出し(一種のファンレターである)、昨日、二人は初めてリアル空間で会うことになったわけである。

     二人からのメールには「あっという間に打ち解けた」ということが書かれていた。同じ第一文学部の同じ社会学専修の卒業生であること、年齢が近いこと、同じような年齢のお子さんがいること、住んでいる場所が近いこと、そうした共通点や類似点があることに加えて、MさんがSさんの文章の愛読者であること(つまりスタート時点から好意的な感情が存在していること)が大きく作用していることは間違いないが、しかし、それだけではないだろう。もし同じような設定であったとしても、これが男性同士であったら、カフェで会って食事をして「あっという間に打ち解ける」というプロセスを経ることは難しいのではないかと私には思えるのである。ここには「女子的な」人間関係のメカニズムが作用しているように思えてならないのである。私はSさんへの返信のメールでこの点について言及し、このあたりのことを考察した文章をウェッブマガジンか彼女自身のブログに書いていただけないかとお願いした。

     ところで、SさんとMさんがリアル空間で会うことになったそもそもの事の始まりはSさんのウェッブサイトを私がブログで紹介したことにあると書いたが、なぜそういうことを私がしたかといえば、卒業から17年、その間一度も連絡を取り合ったとのないSさんから「突然のメール失礼いたします」というメールが届いたからである。電話や、手紙や、メールは、「突然の連絡」をするのに便利なメディアであるが、Sさんが突然のメールを送ってよこした直接のきっかけは「maruharu」閉店の記事を私のブログを読んだことにある(私のブログはある時期から読んでくださっていたのだが、もちろん私はそのことは知らない)。しかし、Sさんは言及していなかったが、その背景には、Mさんたち2000年卒の教え子たちが私の還暦を祝う会を開いてくれて(4月5日)、その後、彼らとの個別的な社交(研究室訪問)の様子がブログに頻繁に紹介されるようになったことがあるのではないだろうか。それまでは、比較的最近の卒業生(文化構想学部のゼミの卒業生)が登場することが多かったのだが、4月は現在30代半ばから40代にかけての昔の卒業生が次々に登場するようになったのである。Mさんもその一人、というか、最初に登場した人である(4月14日)。こうした状況がSさんが「突然のメール」を出しやすくしたのではないかと思う。

     このブログは私の日常生活が舞台で、卒業生との社交は主要なテーマの一つである。それを読んだ卒業生の間に社交が派生していくというのは予想し期待もしていたことであるが、それは旧知の卒業生同士の間の社交(久しぶりに会わない?)で、今回のSさんとMさんのようなケース、直接の面識のない卒業生同士の間で社交が生まれることまでは考えていなかった。1997年卒のNさんと2007年卒のTさんのように、私が2人のブログを私のブログで紹介し、お互いが敬意をもって相手のブログの読者になっているというケースはあるのだが、まだ、リアル空間で2人が対面するまでには至っていない(対面するときは「モスラ対ゴジラ」的状況ではないか私は想像している)。だから今回のケースは「社交空間としてのブログ」(書き手と読者だけでなく、読者同士の社交を産み出す場所)というものを考えて行く上で貴重なものだろうと思うのである。

     お昼に家を出て、大学へ。

     3限は研究室で読書会。弁当(崎陽軒のシューマイ弁当)を食べながら(学生にスイーツを振る舞う)。

     4限はCさんの卒業研究指導。

     5限はA君のゼミ論個別相談。A君が手土産にもってきた「梅花亭」の麦羽二重餅(むぎはぶたえもち)。小豆餡を求肥の皮で包み、少し焦がした麦の粉をまぶしたものである。口にしようとする瞬間に香ばしい麦の薫りがするという繊細なお菓子でである。「梅花亭で買い物をするときお店に人に大久保先生のことを尋ねたのですが、ご存じありませんでした」とA君が意外そうに言った。私は「梅花亭」では、ときどきやってくる甘いもの好きのおじさんで、店の方は私の名前も職業も知りません。

     6時半頃、大学を出る。

     夕食は鶏肉とアスパラと茄子とインゲン豆の炒めもの。

     信州旅行の記事を読んで何人かの方からメールをいただきました。事実関係にかかわることでひとつだけ紹介しておきます。長野の映画館「相生座」、築100年というのは本当でした。すごいな。(弘前大学の高瀬君からのご指摘。彼は私が長野に行く3日前まで当地に滞在していたそうである。びっくり。)