フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月15日(土) 晴れ

2017-07-16 11:19:36 | Weblog

7時半、起床。

ハムトースト、牛乳、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

午前中に大学院社会学コースの推薦入試の面接をする。

昼食は「たかはし」に食べに行く。

肉豆腐定食を注文したら真夏はやっていないようである。豚肉生姜焼き定食にする。

午後に院生の修士論文中間報告会。3名の院生(修士2年生)の報告を聞く。

大学からの帰り途、神楽坂で途中下車して「SKIPA]に寄る。

入口近くのテーブルに座る。

梅ソーダにしようか、シークワーサーにしようか、アイスチャイにしようかちょっと迷ったが、アイスチャイを注文。

東京ステーションギャラリーで開催中の「不染鉄」(ふせん・てつ)の回顧展を観る。初めて聞く名前だった。いや、最初、それが人名だとは知らず、工芸の分野の何かの技法あるいは素材の名称なのかと思ったくらいである。

年間パスポート(4000円)を購入。

不染鉄とはどういう画家なのか。展示場の入口の壁に掛けてある「ごあいさつ」のパネルから一部を引く。

「不染は、稀有な経歴の日本画家です。明治24年に東京で生まれ、本名が哲治、日本画を学んでいましたが、写生旅行先の伊豆大島や式根島で、なぜか漁師暮らしを始めたかと思うと、今度は京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。首席で卒業し、帝展で入選を重ねるなど、才能を高く評価されながら、戦後は画壇を離れ、昭和51年に亡くなるまで奈良で飄々と作画を続けました。・・・(中略)・・・その作品も一風変わっています。富士や海といった、日本画としてはありふれた画題を描きながら、不染ならではの画力と何ものにもとらわれない精神によって表現された作品は、他のどの画家の絵とも異なり、鳥瞰図と細密画の要素をあわせ持った独創的な世界を作り上げています。特に、繰り返し伊豆大島の漁村や南海の島、冨士山、薬師寺東塔などの奈良の風景、黄金に輝くイチョウなど、細密な筆致で描かれた作品は、今も見るものを引き付けます。」

確かに不思議な魅力をたたえた絵だ。年間パスポートの更新がてら立ち寄ったのだが、すっかり魅了されてしまった。

たとえば、「秋色山村」と題された下の絵(後から館内のショップで購入したポストカード)は、小高い丘の上から山間の小さな村を描いたものだが、ここには不染の絵の特徴が凝縮されている。まず、全体を俯瞰する視点。ここでは「小高い丘の上」とか「峠」とかが無理なく想定できるが、漁村を海の側から俯瞰したり、冨士山を俯瞰したりと、実際にそういう視点がない場所でも、不染は対象を俯瞰して描くことを好む。つまり写生ではなく、想像して描かれた風景なのである。そして、その風景は一種のユートピアとしてそこだけで完結している。周囲の山々は外の世界からそのユートピアを守っているかのようである。ユートピアは細部に渡って描かれている。その結果、人家も木も実際よりも大きく、クローズアップして描かれることになる。観る者をそこに誘うかのように。

「子どもっぽい絵」といえなくもないが、無論、不染は子どもではない。終戦後の数年間、公職追放された前任者に代わって、奈良正強中学・高校の校長も務めた人物だ。84歳まで生きて、晩年まで描くことをやめなかった画家だ。よほど強靭な意志がなければ、生涯に渡って「子どもっぽい絵」を描き続けることはできないだろう。

「廃船」と題された下の絵が描かれたのは1969年、不染78歳のときである。この巨大な船は、嵐に流されて、海辺の村の砂浜に乗り上げてしまったものだろう。ユートピア(海辺の村)に突如出現した異物。「廃船」は「敗戦」を掛けたのかもしれない。そして「敗戦」は1945年の敗戦だけでなく、1969年当時の学生運動の「敗戦」も重なっていたのかもしれない。『ワンピース』の登場人物の一人、ガレーラカンパニーの社長アイスバーグならば、この廃船の声を聴くことができただろう。「もっと走りたかった」と。

回顧展は8月27日までやっている。

展示場を出て、椅子で少し休んでいると、閉館の時間(18:00)を告げるアナウンスがあった。出る前にショップで図録とポストカードを購入する。

東京ステーションギャラリーは東京駅丸の内北口の改札を出たところにある。

駅という空間に隣接した美術館というところがよい。

駅は通勤・通学という日常生活の一部を構成するものであると同時に、旅という日常生活からの離脱のための場所でもある。

東京駅発18:07の京浜東北線に乗って、蒲田へ。

蒲田に着いて、「有隣堂」に寄って、外国文学の書棚の前に置かれた椅子に座って、何冊かを手に取る。最初の数頁を読んで、続きを読みたくなった本を購入する。

ジャン=ポール・ディディエローラン『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』(ハーバーコリンズ)

原題は『6時27分発の朗読者』。「パリ郊外の裁断工場で働くギレンは、本を〝死〟へ追いやる毎日にジレンマを抱えている。生き延びたページを持ち帰っては翌朝の通勤電車で朗読して〝往生〟させるのが日課だが、憂鬱な日々はある朝、持ち主不明の日記を拾った時から変わり始めー。」と帯に書いてある。

 蒲田駅に着いたのは6時27分頃だったが、1時間近く立ち読みをしていたので(実際には座り読みだったが)、外に出ると日が暮れていた。

今日の夕焼けは見損なったが、これほどの連日の夕焼け空は梅雨の最中とは思えない。「梅雨の晴れ間」ではなく、「梅雨明け十日」の10日間だったといってよい。

 夕食は親子丼、豆腐の納豆、サラダ、ジャガイモとワカメの味噌汁。

デザートはスイカ。

食事をしながら『セシルのもくろみ』の初回(録画)を観る。主演の真木よう子が頑張っているが、ちょっと頑張り過ぎな感じが・・・。

2時、就寝。


7月14日(金) 晴れ

2017-07-15 08:24:27 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

「梅雨明け」を非公式に宣言するかのように玄関先にハイビスカスが咲いている。

妻と「まやんち」へ出かける。開店(11:30)の時間に予約を入れていおいた。

今シーズン初のピーチメルバを食べるのだ。

まずは昼食。キッシュも予約しておいた。

紅茶は店主のまゆみさんがネパール旅行から持ち帰った初摘み(フォーストフラッシュ)のシャングリラをチョイス。初めて飲んだが、とても清廉な味わい。色も綺麗だ。(薄くみえるが、これは一般に春摘みの茶葉の特徴で、夏摘み、秋摘みと進むにつれて色は濃くなり、渋みが増していく)

デザートはピーチメルバ。形の上ではデザートだが、気分的にはこれがメインディッシュである。コンポートしてスライスした桃(8切れ)にラズベリーソースがかかり、バニラアイスがのっている。バニラアイスの横にラズベリーの実が2つ添えられている。美しい。これが「まやんち」のピーチメルバである。

桃を一切れ→アイスを一口→紅茶を一口、この三拍子で味わう。至福のワルツである。

今年もピーチメルバの夏がやってきた。

「まやんち」を出て、その足で大学へ。

2時からS君のゼミ論指導。神戸の有名な洋菓子を差し入れていただく。

続いて3時からK君のゼミ論指導。桃のケーキを差し入れて戴く。高円寺の「JUN HONDA」というお店のものだという。

桃が一個丸ごと使われている。芯の部分にはクリームが注入され、底はタルトになっている。

一日に二種類の桃のスイーツを食べるとは思わなかった。

5限・6限はゼミ。5限は3・4年生合同で、3年生の発表(ゼミ論テーマのプレ発表)。

休み時間のお菓子は4年生のN君が用意してくれた薄焼き煎餅。昼からスイーツを食べ続けていたので、ホッとするところがある。

6限は学年に分かれてのゼミ。4年生はライフストーリーインタビューの共通質問の設定作業。

3年生は引き続きゼミ論プレ発表を行う。力のこもった熱い発表が続く。指導はクールに行う。

ゼミを終え、夕食は「ごんべえ」のカツ丼セット。

10時半、帰宅。

7月に入って、いくつかの峠を越えた。夏休みまであと2週間だが、あといつくかの峠を越えなくてはならない。

2時、就寝。 


7月13日(木) 晴れ

2017-07-15 01:17:58 | Weblog

8時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日はお盆の入り(東京は新盆でやる)。

菩提寺の住職に来ていただいて、経をあげていただく。

川越から妹もやってきた。

お昼から大学へ。もう梅雨明けと言ってもいいような連日の天気だが、いつの頃からか気象庁は「後だしジャンケン」のように一呼吸遅れて梅雨明けを宣言するようになった。

3限は大学院の演習。ひさしぶりに全員(8名)全員がそろった。

演習を終えてから昼食。おにぎり3個。

5限は講義「日常生活の社会学」。

大学を出たのは6時過ぎ。今年の梅雨は夕焼けをよく見る。

夕食はオムライス、蒲鉾、サラダ、味噌汁。

仏様にもチキンライス。

デザートはスイカ。

 2時、就寝。


7月12日(水) 晴れ

2017-07-13 18:40:44 | Weblog

8時、起床。

スクランブルエッグ、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

10時半ごろ家を出て、大学へ。

事務所で用事を一件すませてから、会議室に顔を出す。

それから本部キャンパスへに用事があって出かける。戸山キャンパス(文化構想学部と文学部がる)と本部キャンパス(政治経済学部、法学部、教育学部、商学部、社会科学部、国際教養学部などがある)は5分ほど離れている。

大隈講堂の前の広場の一隅、大隈通り商店街の入り口あたりに、いまでは使われていない小さな建物がある。

なかなか由緒ある建物なのだ。

このペナント屋さん(?)も昔からある店である。

ゼミのペナント(卒業記念)なんていうのもあるのか。

本部での用事を済ませたから、「アララカララ」で昼食をとることにする。

テーブルの上に置かれたメニュー。

ランチタイムのメニューはこちら。

カレーライスが一押しの店だが、一昨日カツカレーを食べたばかりなので、別のものを注文する。

ポークソテー(870円)。

アップルオニオンソースがかかっている。

食後にコーヒーを注文。

客はほかに二組。静かな時間が流れている。

戸山キャンパスへ帰る途中、馬場下の交差点に新規開店した鯛焼きの店をのぞくく。この場所は「たこ焼き」の店と「たい焼き」の店が夏と冬で交代してきたが、それとは別の会社のようである。鳴門鯛焼本舗。「天然鯛焼」ってどういう意味だろう?「養殖鯛焼」というのもあるのだろうか?

一尾買って、研究室でおやつにする。うん、確かに天然ものは違う(笑)。

4時半からに予定されていた現代人間論系の会議だが、前の会議が押したせいで、6時半ごろまでかかる。

会議の後、助教の熱田さんから本をいただく。

村田晶子・弓削編『なぜジェンダー教育を大学でおこなうのか』(青弓社) 熱田さんも執筆者の一人である。

 蒲田に着いて「有隣堂」で、益田ミリ『今日の人生』(ミシマ社)を購入。

夕食は茄子とひき肉の炒め(ピリ辛)、

海老シューマイ、サラダ、タマゴとワカメのスープ、ご飯。

食事をしながら、『ごめん、愛してる』の初回(録画)を観る。妻が最終回を予言する。「主人公(長瀬)は死んで、その心臓が弟に移植されるのよ」。お、お見通しですか。

2時、就寝。


7月11日(火) 晴れ

2017-07-13 01:38:44 | Weblog

8時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼から大学へ。今日も暑い。

私は扇風機が好きだ。クーラーは身体によろしくない。

3限は院生の研究指導。「カフェゴト―」に冷たいものを飲みに行く。アイスココアを注文。

研究室に戻ってきて、昼食はおにぎり。

5限は演習「現代人と社交」。

授業を終えて、さっさと帰る。

西蒲田五丁目の夕日。昔の地名でいうと、女塚三丁目の夕日だ。女塚の名前は「女塚神社」「女塚小学校」そしこの「女塚通り商店街」の中に残っている。

夕食はメロの西京焼き、ほうれん草と椎茸の卵とじ、茹でたトウモロコシ、吸い物、ご飯。

これはご飯が進む。汁はご飯にかけて食べた。

2時、就寝。