King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

夕陽のガンマン

2006年09月20日 23時26分53秒 | 日々のこと
昨日『夕陽のガンマン』を見てその世界が
妙に心に残りました。セルジオ・レオーネという
監督が黒澤映画に触発して作ったという『荒野の用心棒』
から、クリント・イーストウッドが主演で連作するのですが、
まあ最初でヒットしたから作ったんでしょうが、それぞれ
続編のようでいてそうではありません。

日本では、クリント・イーストウッドを世に出した映画と
されていますが、アメリカで西部劇が作られなくなって
なんかそれじゃつまらないという監督が作ったのが、この
一連のシリーズで、私は日本に伝わる話と現実は微妙に
違っている感じがします。例えばリーバン・クリーフがこの映画
に出ていますが、これもこの映画で売れたようにいう人がいますが、
クリント・イーストウッド同様多くの西部劇に出ています。

だから西部劇をヒットさせただけなんだと思います。セルジオは。
それは彼の銃のこだわりだったり、早打ちシーンだったり、黒澤映画
風の娯楽性だったり、ストーリー展開とか娯楽映画と西部劇で
一山当てたということでしょう。その後、映画のこだわりというのが
出てきて色々印象に残る作品を撮っています。

日本のへぼい題名で傷ついていますが、『続・夕陽のガンマン』は
この連作の中で一番いいと私は思います。昨日見た夕陽のガンマンは
妥協と馴れ合い的なところがあり、賞金稼ぎが金をあきらめたり
ひとりでたくさんやっつけすぎたりという主人公にはまったく玉が当たらない
というワイアット・アープ的な現象とビリーザキッドでさえ現実には
7.8人しか殺していないという西部にあって本当に映画でやるほど
奪略や強姦、強盗、銀行強盗、賞金首が多かったのか疑問です。

しかし、その悪が渦巻くなかでストィックに正義を通すから主人公
が格好よくなり、物語が成り立つのです。そして、この最後の
続の方は、今までの正義と悪の対比のほかに味付けに悪党という
のが出てきます。原題ではthe uglyで醜いです。この登場で、物語
が深くなり味わいもでています。さらにこの映画は古きよき時代
の映画でCGもない時のものです。墓場のシーンは、実際にロケで
制作されたものでしょうし、橋もわざわざ作られたものでしょう。
そういう意味で3時間の長い映画もぜんぜん苦になりません。

この映画は、何度も見ていますが、テレビの吹き替えで見ると
つまらないのを覚えています。最後が墓場で終わる西部劇と
言うのはいくつかあり、テレビ用にずたずたにされてしまうといろんな
映画とごっちゃになってしまいます。今日フルサイズでみれてとても
よかったと思います。それも字幕でしたし、最初と最後にgood
bad、uglyとでても全体の映画の感じが崩れません。

監督の美学なのか、このシリーズでイーストウッドのポンチョと
葉巻のスタイルと銃の撃ち方は変わりません。そして、ストーリー
で必ず正義の主人公は一度はぼこぼこのボロボロになるのです。
そして最後はかっこよく、よみがえって悪を打つのでカタルシスが
あるというわけです。この映画を安っぽくしないためにも、フルサイズ
でやってもらいたいです。しかし、それができるのはNHKだけでしょう。
今回は本当によかったと思います。
コメント
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