King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

押付けの美について

2010年07月25日 22時44分34秒 | ライブ・コンサート・展覧会
埼玉にも美術館はありますが、これはという名品は
無いように思います。

わざわざ埼玉の美術館に絵を見に行くことも中々
ありません。それだけ、都内にいい美術館や絵画展が
多く、その近くでそれに対抗しうる物をやるのも
大変なのでしょう。

今日は、栃木の宇都宮美術館に行ってきました。

ここは、マグリットの『大家族』があり、いつか行って
見たいところでした。

今日出かけたのは、今日が最終日でゴッホの『郵便配達人
ルーラン』が見られるからです。

今年、安比高原に行った経験上、宇都宮なんてすぐだと
思って出かけたものの、中々大変なドライブでした。

森の中の美術館は、アプローチと大谷石の階段と途中の
彫刻と計算されたものをシンプルな構造の中に感じました。

名画に出合えるという気持ちを増長させる感じです。

今回、一番の目的のゴッホの絵より、陽咸二の彫刻や
大家族に強い印象が残りました。

それはジャコメッティに通じる形作ることによる
破壊であり、壊した事による創造です。

そんな事を考えると、計算された美術館の構造やそこに
企画された作品展より、商業的な美術展より、もっと
熱いものが見たいと感じるようになりました。

昨年、埼玉では西武の車両工場で芸術家が集まって見せる
催しがありました。

そんな商業的でなく、たいしたマスコミの注目もなくても
芸術家が勝手に集い勝手に見せる場所をつくり、人が自然と
集まってしまうところがあっても良いと思います。

いやこれはあるべきでしょう。

自治体主導でもなく、商業的な目的でもなく、ただ自由と感動
だけを掲げて自然と芸術家が集まり、作品を発表している
拠点が本当の美術展であり美術館ではないかと最後は思い
夏の美術を巡るドライブは終わりました。
コメント
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