King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

天空の心その続き

2014年06月04日 10時49分56秒 | 珈琲
印象派の時代から光の当たり方を西洋絵画の世界では
大切にしてきました。

いえそれは中世期の文芸復興の頃から絵画に
より多くの光をとらえた作風と表現が現れたのかも
しれません。

舞台の登場人物のように絵画上でも人物にスポットライト
をあてたようなレンブラントの絵だとか、フェルメールの
構図だとかすぐに例を牽くことができます。

つややかな油絵具にはそれだけ自然の光が当たった
かのような透明感と輝きを表現しやすかったのでしょう。

一方遠近法とか投射法などの構図を持たない日本絵画は
一般的に平面にのっぺりとした描き方で構図も限られていると
思われています。

そんな二次元表現に光は何を意味して何を表すものとして
使われてきたのでしようか。

光の当たり方をとってもモネの睡蓮のように実際に目に見える
以上の世界を描く試みを見れば画家がただ目の前の風景に
今ある美以上のものを込めたのが解ります。

それは日本絵画でも全く同じで、墨で描かれた襖絵にも強烈な
光を感じることがあります。

東山魁夷の道なども天空の心が現れている作品です。

その平面の絵の中に込められた時間と空間のスケールを超えた
宇宙を人々は感じます。

21世紀の発見として宇宙は膨張していてより遠くの宇宙ほど早く
遠ざかっているという観測結果が得られました。

まだそれに見合う宇宙像を表現する数式を人類は持ちません。

どんなものか宇宙の形すらまだわからないのです。

どうはじまりどう終わりがあるのか。

それなのに地球上の物理法則はほぼ出尽くしています。

それが量子クラスでは通じなかったり、宇宙では計り知れなく
なったりするわけです。

今目の前に見えている事象ですら人に正確に伝えるには難しい
のですが、それは座標的時間経過で表そうとするからではないで
しょうか。

そんなことを思わせるのは横山大観の切通しの絵だったり、瓦屋根
に雨後を描いた福田平八郎の『雨』とか天空の心を持つ絵だと思います。

さらに印象派ではルノアールのムーラン・ド・ギャレットの木漏れ日の表現も
まさにそんな感じです。

名まえこそさえない名になってしまった今月のブレンド『光芒』は
そんな天空の心をテーマとしています。

天空の心を感じてしまった人。天空の心を持つ人。

そんな人に飲んでもらいたい今月のブレンドです。
コメント
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