King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

おもてなしの心と味について

2014年06月27日 11時03分41秒 | 日々のこと

一昨日は雨の中走り、昨日はまるきり濡れることなく
走り切れました。

これはほんの気まぐれの空の成り行きで、いつ降りいつ晴れるか
正に天のみぞ知る移り変わりの激しい空模様です。

さて、そんな折にいろいろ去来する思いにふと考えさせられる
ものが、昨今よく耳にするおもてなしの心という言葉です。

最近日本の緑茶の魅力が海外でも注目され需要が伸びている
そうです。
粉末にしたお茶と不撚織りのパックに入れられたインスタントの
ものがよく売れているんだとか。

そんなインスタントのお茶が本物の茶だと思ってしまう人が増えて
本物の味を知らないで、おもてなされて癒されてしまっているんだ
ろうかとふとどうしても納得のいかないものにとらわれてしまうのです。

例えば、コーヒーにしてもお茶も何も用意がないからと自販機から
缶コーヒーを買ってきて出されることがあります。

若いうちならそれも喜んで飲んでうれしいサービスなのかもしれません。

本当のお茶やコーヒー豆から一杯の茶やコーヒーを出すコストは
缶コーヒーより安いのは誰でも知っています。

ここで世にも珍しい名水を出されてこれは当家主人が朝日の出る前に
何々より汲みし甘露のような名水と簡単な説明で出されたものと
貴方ならどう評価しますか。

ここのところそういう精神的な価値と実際の価値と実際の味と得られる
ものと整合性が著しく損なわれているのではと感じるのです。

どこかでそんな名水をもてなされてそれを体験した人が、まねして
味は変わらないからとどこかのミネラルウォーターを箱買いして、
口上だけ平成の何々の名水ですとお出しするということが最近は
多いのじゃあないでしょうか。

つまりわからない人はそんな外見上のものをまねてさもおもてなしを
マスターしていると勘違いして堂々と押し付けてくるのです。

おもてなしとは人の心を知りものの感動を知った人でしか体現できない
ものなのです。

それでも勘違いした人は年々増長し、自分の勘違いをどんどん
押しつけてくるのです。

劃してオリンピック開催を勝ち取った日本も新スタジアムの国立の
デザインと規模を縮小し、新しく作るはずの会場も既存の埼玉スタジアム
で済ますなど早くもプレゼンとは違う内容に修正しようという動きが出て
います。

珈琲の世界でも手回しのサンプルロースターで堂々と自家焙煎と
称して豆を売る人や電動のオートのロースターでできたて新鮮な
豆として売っている人などがいて、世の中というのはこういうのに
みんなごまかされる世界なんだと思えてきます。

コンビニで100円で新鮮なコーヒーが飲めるという宣伝を聞き、
それが年間二億杯にも及ぶヒット商品と聞き、そんなものと
私どもが売る自家焙煎珈琲と差がないものと思ってしまう人の
精神の貧困さを嘆いてしまうのです。

当店では試飲は無料です。

それを知った人が無料目当てに来店することはありません。

臭いにつられ珈琲好きはずんずんうちの奥まで迷わず進み
珈琲を飲ましてくれと言います。

旅先でも自家焙煎店を訪れるのを趣味として、また旅先で
自家焙煎の豆を味わう喜びを知っている人なんだと思われる
数々のコメントを残し、豆を買っていかれます。

ひとりでは不安なのか、お供を連れて来る人でもせいぜい二人です。

連れの人の得したという表情とは別に違う満足感とともに
豆を買っていただきます。

そんな精神的な違いをいくら強調したところで何も変化は
ないのでしょうが、それがひとつのよすがとなっているのは
事実です。

コメント
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