King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

氷の世界とは

2018年12月20日 15時37分16秒 | 珈琲

毎日吹雪吹雪氷の世界。

昔はこんな歌を聞いても別にどんな景色かとも思い浮かべませんでした。

これから年末になるとよく年末年始に出かけたスキーの道中の天候を

思い出します。

大概道中ずっと雪なのです。

そして、これはこの先ゲレンデで新雪が楽しめると喜んでいたかというと

そうではなく、こんな悪天候に出かけた自分を呪うような気持になった

ものでした。

 

果たしてこの先、先もよく見えない吹雪の中目的地にたどり着けるのかと

ずっと不安との戦いでした。

毎年そんな思いをして年内の仕事を片付けやっとの思いで休みに漕ぎ着けたのに

自分はまだなお試練の中にいるという運命に文句をつけていたのですが、そもそも

こんなことをする必要があるのかと思えばそんなことをすることもなく過ごせるのです。

クリスマスや年末年始を雪を見ながら過ごしたいなどとのんきな発想をする人は

未だにいるでしょうが、かつては若者はみんな車でスキーに出かけてスキー場に辿り着くため

の艱難辛苦を共有し、ゲレンデに立つことで青春を具現した気持ちで冬とかスキーの喜びとか

より人生の季節として過ごしていて、別に今となってもこのスキーに固執して過ごしている人は

まれな状況となってしまいました。昨シーズンにスキージャーナルの破産と湯沢でのスキー場閉鎖

と草津の噴火と困難な時局に、未だにそんな困難な時代に困難を潜り抜けスキーに向かうという

人は何をそんなに求めて雪国に向かうのか自分でも考えてしまいます。

 

しかし、昔の困難さから比べたら湯沢でスキーをすることを考えると、かつて17号で峠を越えて

チェーンを巻いたりした時のことを思うと今は格段に楽で目的地も選べば渋滞も天候も快適に

なります。

 

それを思うと別に楽をしようとか悪天候を呪うことさえこれはスキーには必然と考える人には

時にこれは楽しい道行きに違いなく、あの鉛色の空から白い壁のような吹雪といつ閉鎖になるか

と気をもむ高速道路のノロノロ運転さえ全然苦にしない人もいるのでしょう。少ないスキー人口

といいつつ、未だに冬の関越道の土日の渋滞をみればみんなスキーに行っていると解るし、なんで

土日ばかりという思いもします。

 

斯様に人は苦しさの中にいてもそれを感じていなかったり、傍から見ればとんでもないことをして

それを楽しいと喜んでいたりと実に不思議な生き物だと感じられます。

 

日本人は流行とか行列が好きで、なんでも人と同じにしたがりますが、もっと個人の力とカラーを

尊重し、またそれを認めて生かす社会が必要なんじゃないかと氷の世界の歌詞について考えます。

 

今日は午後まで焙煎してふと配達に出ると外は暖かく、さっきまで豆を焼いていた部屋が氷の

ように冷たい空間だったのに、なんと外は小春日和とはいかないまでも冬らしくない穏やかさ

でした。

 

そして、自分はこんなことをしていていいのか雪山に行かなくていいのかとちょっぴり考えて

いるのでした。

 

コメント
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