King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

直接給付と公共事業

2019年04月02日 11時28分23秒 | 日々のこと

先月の3.11以降ずっとこの問題を考えていました。

私は原発は反対ですが、現況と経済の仕組み上今すぐに廃止というのは無理であり、

今あるものは使えるだけ使い、もう次には作らないことがベストだと思います。

核物質の扱いも核が最高の軍事物質であり燃料としても最高であるという先進国の立場は

認めません。今ある核兵器は廃絶すべきであり、核弾頭ミサイルで脅しあう世界など直ぐにやめる

べきです。経済的に考えると原発を稼働するとそれに関連する経済波及効果は公共事業としては

一番波及効果が高く、日本の隅々に恩恵が及ぶのだそうです。

 

かつて民主党が行った政策は子供手当と定額給付や高速道路の無料化など末端に直接給付するという

政策です。これらの政策はことごとく失敗であり、政策としてはまずいものという認識が広がり、以降

自民党の一強時代がつづくわけですが、これによりオリンピックや国土強靭化政策など公共事業に

よるゼネコンばらまきや新幹線の延長、リニアモーターカーの敷設などインフラ建設の大企業に投資し

事業を与える政策が拡大しています。防衛予算の増加などこれらも大企業への投資であり、日本の安全や

国民の財産の保全などの目的より日米同盟などという幻想の世界平和の上にある幻に投資して国民生活や

真の世界平和を望んでのことではないように思います。

 

オリンピックなども国家的建設物のラッシュでもスポーツイベントでは国民も税金の支出に文句や疑問を

いう人は少なく、大企業に事業がばらまかれていても何の危機感も持ちません。同様に被災地の事業も

復興と名が付けば大型公共事業もそれがどんだけ無駄なものの建築でも批判を浴びづらいのです。

 

今年の被災地の様子で被災直後と8年後の今の様子を並べて移す番組がありました。

8000億円をかけかさ上げした土地に誰も戻って家を再建する人がいないというレポートもそれは

そうだろうとなんでそんな無駄な事業をやったんだと思います。それならその事業の代わりに

ひとりに1億円配って移転してくる人にはその二倍配れば人が集まりまた町ができると私はいって

きました。これはまさしく民主党がやった大型公共事業より直接給付という考えで、それは今まで

批判され失敗してきた道です。

 

しかし、時と場合によりそれは有効なのではないでしょうか。今回の様にその額とあまりに与えた影響の多さ

から直接給付してこそ回復が見込める場合はやるべきです。それに現状の大型公共事業が見る影もない

廃墟の町と更地しか残さなかったことを思えばまさに大失敗であり、今なお帰宅できない避難地域や

増え続ける汚染水問題など収束もおぼつかない原発事故に被災地に人に国は何をしてきたのかを見れば

それらを無視してオリンピックや万博などの投資で景気を盛り上げようなどというのはもはや古すぎて

いまさら21世紀の在り方とは思えません。かつて成功したことに未だにしがみつきもはや時代も技術も

進歩しているのにあまりに芸がないとしか言いようがありません。

 

この大企業バラマキが続くのは民主党のみじめな失敗も大きいのですが、それに輪をかけ一般の人々の

政治離れと無関心がそれに拍車をかけているのは間違いありません。テレビを付ければ毎日同じような

旅番組とクイズ番組ばかりで日本は素晴らしいとか日本の技術に世界が憧れているというような自己自賛

番組のオンパレードです。

 

実際には平成時代日本は世界に負け続けて様々なランキングでもトップの座からランク外におちてるのに

人気の国で外国人が沢山訪れてインバウンドで潤っているなどとおめでたいことを言っているのです。

これは通貨安で日本の安全と豊かさを売り渡しているに過ぎず、戦後安全保障でも安保で米軍基地を

駐留を許し諸々目をつぶって先延ばしにしてきた債を抱えています。

 

安保問題では当時民衆は激しく抗議して死者までだしていますが、現在安保どころか憲法解釈だけで

集団的自衛棄権を行使できるようにしてしまったり、その横暴なさまは今まではあった少しの良心も

全くない考えをやめてしまった国民の上にもはや何でもありのように君臨しているように見えます。

我々はもっと自身の国に関心と責任を持たないといけないのではないでしょうか

 

 

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春の武甲山冠雪

2019年04月02日 09時33分11秒 | 珈琲

昨日の昼にも武甲山は雪だという話を聞きました。

芝桜の丘から見る武甲山は逆光で雪がよく見えませんが風は冷たく桜を寒々しく演出しています。

芝桜もぽつぽつと咲き始めていて朝の散歩は実に清々しく気持ちのいい朝でした。

 

当店の二階から最初はとりましたが、雪がよく見えず羊山まで登ってみました。

 

奥秩父の山々はもっと白く変わっていていまだ冬の風情です。

こんなきれいに朝にはいつものブラジルでもいいですが、ちょっと贅沢にクィーンスマトラでも

よいでしょう。

 

芝桜の丘は今なら観光客もなく、今はまだ市民の散策の場です。

 

久しぶりに上った羊山からは変わった西武秩父駅や市役所を見るとその変貌ぶりに

改めてびっくりです。

 

そしてその羊山も桜の木が減少して寂しい感じです。

 

この桜の木の減少が進んだのはなぜなのか。他の市民の方々はどう感じているのか。

いつも疑問に思います。市役所の周りもかつては市民が花見に訪れるほど桜の名所

でしたが、今では何本もなく、道路の拡幅や市役所の新築ですっかり桜は虐げられ

歩道には新たにモクレンが植えられだれが何のためにそのようにしているのかといつも

疑問に思っています。

 

今では西武秩父から秩父市役所の辺りのなんとつまらない景色となった事か。

 

かつては農工の樹木が残り亀の小石の辺りはこんもりとした林の中でした。

 

それが道路が出来たり公園はどんどん狭く駐車場などになり、新しい建物の

センスの無さと合わさりなんとも殺風景で何もないという底の浅さを露呈する

現在の風景となっているのです。

 

その影響は羊山にも及び、毎年賑わう芝桜の丘とは裏腹に既存の羊山は桜の木は

どんどん枯れ毎年桜並木に提灯を下げてはいますが、その桜に集まる市民の姿は

もう何年もなくなっています。それなのに提灯を点け何をやりたいのか不明です。

 

桜の木はそんな市民の桜見物がなくなるのと同様元気をなくしどんどん減少しつつ

あり、忘れ去られようとしています。

 

こういう変化がとても危うい現象に感じるのは私だけなのかといつも思います。

 

誰も疑問に誰も不安に感ずることもなく進む変化に住みづらい町になっていってると

思えてなりません。

 

観光客を迎えるというだけでは町は良い方向に向くはずもなく、そこに住む人の生活の

充実がなくして町の発展はないのです。

 

市役所の周辺や羊山の荒廃は市民の心の貧しさの表れです。

 

建物は新しくなり、道路も広がり、一見発展しているかのようですが、

心の貧しさは覆うべくもなくあらわれているのです。

 

その心の貧しさは、訪れる人にも伝わるのです。今の秩父にまた訪れたいという

魅力があるでしょうか。

 

久しぶりに登った羊山からはそんな思いが強くなるのでした。

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