King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

葬式模様

2019年04月05日 09時09分22秒 | 珈琲

昨年もそうでしたが、今年も先月から近所の葬式や友人知人、親戚の

葬儀やら法事やらが続きます。

 

そして感じるのは地域や昨今の葬儀会場の変遷により変わる葬式模様に

ついて様々な思いも去来します。

 

さらに昨日の葬儀ではとてつもない違和感に襲われそもそもやる必要とか

もっと根本の事も気になるのでした。

 

もともと秩父の葬式というのは頭に半紙と麻ひもの三角を付けたり

独特の方式やらがあります。私の近親のものが今風の葬儀場での葬儀に

なった時自身が喪主になりかつてやった内容との違いに戸惑い秩父では

85歳以上で亡くなったら副銭や飴を引き物に入れるというのもそんなの

葬儀屋だけが決めた事なんじゃないのと思ったりしました。

 

引き物とは葬儀の香典への返礼品ですが、昔は砂糖で固めたお菓子や

砂糖と葬式饅頭というのが一般的でした。

 

今ではお茶とか海苔といったものに変わりました。つまりは世の変遷により

変わったものです。いつの間にか増えた葬儀会場での葬式もちょっと前まで

町内の公民館や公会堂といった地域社会の集会場や個人のうちで行うものが

主流であり、その主体は町内会というご近所の参加で行われました。それが

いつの間にか町内会の人は隅に追いやられ、きれいな大きなホールで行う

物となりました。

 

昨年はそういう最たるものに出席して会場内に火葬の設備まであるのにびっくり

しました。そして今年昨日親戚の葬儀ではさらにびっくりしたのにはお坊さんが

唱えたのはお経ではなく御詠歌でした。うちのお寺と同じ宗派の葬儀ながら葬儀で

ご詠歌を唱えるというのは初体験でもともと巡礼者が始めたものをなぜ葬儀の席で

僧籍の人が唱えるのかとずっと昨日一日気になっていました。

 

一昨日の通夜からずっと香の匂いの中にいて非日常に包まれ故人を思うという時間を

過ごし、折々の時へまた記憶をたどるのでした。

 

葬式模様はがらりと急速にその様相を変えているのに未だに飴やキャラメルを

入れるとか遺物わけに全然故人と関係ない靴下やらハンカチを入れるといった

業者主導と思える様式が残っていたり、出されるふるまい料理に郷土色の強い

品物がいまだに出ていたりするというのも何の根拠もなくいつまで続くのかと

思うのでした。

 

昔から比べたら労力も拘束時間も格段に減ったのに昨日は変な疲れ方をしたと

ふと朝飲む珈琲でまた瞬間活力を戻し非日常から日常に気持ちを切り替えるでした。

 

まず届いた新豆の確認をすると前回も入れたニカラグアのサンタアナ農園は今回も

前回の味の評判からニカラグアらしい味とその値段に今回も導入を決めたのですが、

今回の物は前回より物がよくなんだかうれしくなりました。同様にコロンビアも

最近名前が変わるウィラのものですが、これもいつも入れているSPより豆姿と質

ともに優れていてまずは安心です。

 

コロンビアは品質にばらつきがあり、とかく安易に売り込みの内容を信じて手を

出せないところがあり、なじみのない業者や農園などうっかりと買えたものではありません。

これはブラジルにしてもそうですが、とかく流行りの農園とか商社が一押しで売り込んでいるもの

などもおいそれとは信じられないのです。

 

逆に昔ながらの味があるというのが肝心でそれは手摘みしていたり、完熟豆のみとか手選別を

重視しているとかそんな作り手のこだわりが伝わるものが肝心となってきます。

天日による乾燥とか手間暇がかかる造りをするところほど非常に良い味にあることが

経験として解るのですが、ただ肝心の風味や後味は飲んでみるまではどんなものなのか

解らないのです。

 

特に知らない産地や聞かない農園名などは手が出ないのです。

それでもつい買いたくなるものが中にはあり、それが厄介なものとなっています。

というのは今まで入ってこなかった高級品で米やヨーロッパで消費されていた

プレミアム品などというものはおおむね味は間違いなく、さらに後発の移民の

米人やEU民 が荒れた農地を買い取り独自のコーヒー栽培を始めたという

ストーリーを持った新しい産地はおおむね期待できます。

 

ただ、産出量が少なく、人気がでたりするともうすぐ買えなくなってしまうという

危険もはらんでいます。こんなマイクロロットというのは年々増えていて

大きな商社がそんな少ない生産者を扱っても利益が出ないだろうにという心配を

他所に扱う商社は増え、これは末端の焙煎業者の釜が年々小型化し、それに

応えるためらしいのです。

 

販売量も以前の一俵60K単位から1K単位に変わっており、5Kを12品種と少なく

多産地化しているようです。すると消費者はころころと高いものを買わされる

危険にさらされるのですが、味わう方としてはなるべく多くの良い珈琲に出会いたいという

欲求が強く、このマイクロロット化に拍車がかかります。

 

当店としては安易にそれに乗っかかり売値が高くなる傾向にちょっと待てよという

意識が働きます。まず、コロンビアなら普通のSPの味も知らないのにそんなどこのものとも

知らない作り手のマイクロロットに高い金を出す価値があるのかと。これなどは遺族の

気持ちなど関係なく飴を引き物に入れる業者と遺族の気持ちなど関係なくご詠歌を歌う

坊さんなど抹香香る中に暮らす人々との浮世の人の差を感じた昨日の様子と通じるもの

を感じるのでした。

 

それに少しでもまともな感覚で味による選別を加えるという当店のポリシーは続いて

行くと感じるのでした。コロンビアとニカラグアは間もなく披露できると思います。

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