世の中に対して、生産性に寄与したり公益に利点をもたらしたりする個人の能力、技能は重要なものである。しかし個人にかかる私的な問題はまさに個人的なものであり世の中に与える公益性とは別のものであると自分は考えていた。ところが世の中の個人の処し方とはそうではない。今回の(今回とかいたが、太古の昔から)どんなに優れた業績があろうともこのような私的スキャンダルがあれば失脚するのが(させられる)のが常なのである。つまり世の中の流れとは、いかに業績をあげいかに世の中に寄与したということを評価する加点評価主義ではなく、反社会的、反道徳的な事を一つでも成したら減点していくという減点評価主義なのであると言わざるを得ない。これは理不尽な評価法だと思うのだが、世の中の常識として、「これで」失脚していった有名人、著名人、歴史上の人物は数多いのである。あっ、でもこれを理不尽と思ってはいけないのである。前言撤回・・・。