2011年に地裁判決で小学生の責任は棄却されたが、両親に対して1500万円の損害賠償を認めたのである。二審の高裁でも、両親に対して監督責任があるとのことで1180万円の判決が下された。そしてこの裁判は最高裁までもつれ込み、この4月に高裁は1180万円の損害賠償を命じた二審判決を破棄し、遺族側の請求を退けたのである。「責任能力を欠く12歳未満の子供の起こした事故は、監督義務者(この場合両親)がその責務を負う」という条文があるとのことであるが、最高裁判決では「日常的な行為の中で起きた予想できない事故については両親に監督責任はない」としたのである。今では成人したであろう当時の小学生は、この人格形成期である多感な時期を、自分が結果的に引き起こした裁判の「当事者」として送ったのである。かなり厳しい青春時代ということになる。
2004年、小学生がサッカー中に蹴ったボールがゴールポストをはずれ車道にころがり、そこに運悪くバイクで通りかかった当時85歳の男性が、ボールを避けようとして転倒、足を骨折して入院した事件があった。お見舞いに行ったその子と両親に対して、85歳の男性は「男の子はそのくらい元気な方がいい。そんなことで挫けてはいかん」と、落ち込んでいる小学生を逆に元気づけたそうである。ところが以降、そのバイク男性は寝たきりになり1年4か月後に肺炎で亡くなったそうである。2007年に、その亡くなった男性の家族は、その小学生と両親に対して損害賠償請求の訴訟を起こしたのである。訴訟までの経緯を知らないし、遺族の気持ちも分からないではないが、訴えられた小学生もかなりつらいものがあったろう。
さて帰りの新幹線でしたが、やはり楽しみの缶ビール。飲みながら周囲の乗客をみると8割がたの乗客に共通していることは、ペットボトルを持っていることとスマホ(あるいは携帯)に夢中な事でしたね。あたりまえですが自分が小さい頃の客車内の風景とは異なるようです。昔の(大昔ですが)客車内での水分補給は陶製の容器のお茶、そして冷凍ミカンが定番でした。確かビールは瓶が多かったような気がします。窓側の小さなテーブルの縁には固定式の栓抜きが設置されていました。足もとには吸殻や空き瓶やごみがそのまま放置されており、いまよりもずっと車内は汚く雑然としていたような気がします。今では手軽にペットボトルで水分補給がどこででもできる時代になりました。それを思うと昔の人の水分摂取量は多くなかったのかもしれません。私はビール飲んで爆睡しました。春の夕暮れの出来事、「春眠暁を・・・」の漢詩と時間帯こそ異なりますが新幹線での至福の一コマでした。
今回の学会では、卒後教育セミナーにも参加しました。これに出ないと専門医更新のクレジットができないので参加せざるをえません。しかしながら去年のセミナー参加でも感じましたが、比較的若い先生対象の内容なので、特に自分が聴いていても「だから何?」と言った感じでした。まあ知識のリフレッシュにはいいんでしょうが・・・。学会企画者にもお願いしたいのですが、卒後教育セミナーは専門医更新のために出席するドクターも多いので年代が多岐にわたります。企画の段階で十分、受講者の背景も考慮してくれるとありがたいのですが。ありていに言えば、教科書レベルの内容は話さないでくれと言いたい。講演者の顔ぶれをみるとすでに自分より若い先生が講演しています。ああもうそんな時代になったのかと、まさに光陰矢の如し・・・。
新幹線移動での楽しみは缶ビールとおつまみと駅弁です。これは以前も書きました。このブログを読まれている患者さんに言われましたが「東京駅で売っている『三浦のマグロかつ』はおつまみによい」と同様の感想がえられました。しかしすぐに売り切れるので今回は「相撲茶屋のやきとり」をおつまみにしました。学会出張の目的の半分はこの至福のひと時といっても過言ではないでしょう。いい気持になって寝ていると、通路側の席でしたが、通路を移動する乗客の肩掛けカバンやキャリーバッグがこちらの頭や足に当たっていくのでおちおち寝ていられません。不思議と「あ すみません」と声をかける人はほとんどいませんね。たぶんカバンもキャリーバッグも彼らの目線より後方にあり、視界に入っていないからなんでしょう。ちょいとムッとしますが・・・。しかしながら駅を出発してから随分時間がたつにもかかわらず、このように客車内で大荷物を抱えて移動する人は一体何をしに行くのでしょうか? 発車ぎりぎりに乗車したというには時間がたちすぎているし、トイレにいくというには大荷物を携行するのはおかしいし・・・。
通常土曜日は午前中のみの診療ですが、4月18日の土曜日は、学会出張のため休診とさせていただきました。休診日のお知らせは1か月以上前からお知らせしました。張り紙をクリニックの出入口と受付の前とそして受付のカウンターにも貼っておきました。そして個人個人の患者さんにも1か月以上前から告知してきたつもりですが、説明が抜けてしまった人もいるようです。また「自分に興味があること以外は覚えられないよ」という患者さんもいますが、くれぐれも休診日に来院されることがないようにお願いしてきました。幸い休診日当日は、クリニックへの電話が1件あっただけで、概ね長期処方で薬切れにあたった患者さんはいなかったようでホッとしています(実際は数名いらっしゃいましたが)。せっかく慌ててこられて薬が処方できないでは申し訳ないです・・・。さて休診日前日の金曜日の夜に出発しました。診療終了後、東京駅に行き新幹線に乗りましたが・・・。
その後、新たな情報を得たのであるが、最近日本では、年に1回は精神科的なチェックを受けることというような項目が設けられているようである。自分が航空身体検査医をしていた15年前くらいの時には確か、そのような項目があったというような記憶はない。その後に設けられたのであろうか? しかしながら日航の「逆噴射事件」からずいぶん経ってからようやく精神疾患チェックのシステムが確立されておりその間、大事故はなかったと思うが、ストレスの多い職種であるため精神状態が不安定になる操縦士も少なくはなかったであろうと考える。飛行機事故は一定の確率で起こりうる。自分が航空身体検査医の講習を受けた時は、確か10万フライトに1回は事故がおこると言われた記憶がある。不可抗力の事故ならばやむを得ないが、今回のジャーマンウイングス社の墜落事故のような確信犯的犯行はやりきれないばかりである。
つまり「まあこのくらいの値ならまあいいですよ」というような「医師の裁量権」は全く認められないのである。検査結果の解釈に医師の判断は必要とされないのである。医師の裁量権や医師の診断が必要ないなら、医師が介在しなくてもいいじゃないかとは思ったが、診断書を書くのは医師なのである。つまり医師の判断はいらないが診断書だけが必要なのである。なんだかただの「人間ボールペン」なのかと思ったら虚しくなった記憶もある。自分が航空身体検査医をしていたのはもうすでにずいぶん昔の話である。その後、規定も変わったかもしれないが、当時はなんだか精神科的なチェック項目はなかったような気もするのであるが・・・。記憶違いなら申し訳ないが。しかしながらわずかコレステロールの値が基準値からちょっとはずれただけでもダメであるが、少しぐらいのメンタル異常はノーチェックで見逃されてしまうというような判断基準はやはりおかしいと思う。いくら過去に日本で「逆噴射」事件があったとはいえ、今回のジャーマンウイングス社の墜落事件は今後日本でもまた起こりうるものと考える。
自分も講習を受けさせられてこの検査医の資格を取らされた。この航空身体検査医というのは、ここでの検査、診断書がなければ飛行機(ジェット機のパイロットからプロペラ機まで含む)の免許が下りないのである。この検査は飛行機を操縦しようというものが受けに来るのである。内科的、耳鼻科的、眼科的検査がある。それぞれ細かく正常値が決められており、その正常からはずれたものに対しては飛行機の操縦を許可してはいけないのである。例えば正常値をわずかに外れていただけでもダメなのである。視力も基準値からはずれればだめなのである。しかし眼鏡をかけて基準値にもどればよく、内科的疾患でも内服などで基準値の範囲にデータがもどっていればOKなのである。講習で厳しく言われたのは「通常の診療などで、まあこのくらいの異常は様子見ていいですよというのをやってはいけません。数値が確実に基準値範囲になっていなければなりません」と厳しく言われたのである。
「心身症」とは器質的身体的異常がないにもかかわらず、例えば頭痛、耳鳴り、腹痛、胸痛などいろいろな不定愁訴を訴えるものである。しかし精神に異常をきたすようなものではない。心身症は、そのネーミング自体がいかにも「精神疾患の一歩手前」のような軽めな印象がある。この病名にしたのは医者の誤診なのか、あるいは会社側が知っていてわざと本当の病名を隠ぺいしようとしたのかのどちらかである。しかし実際は「分裂病」(当時の病名)(現在では「統合失調症」)であったのである。この日航のK機長の「逆噴射事件」(と当時つけられた一般的呼称を記すが)、これで一挙にパイロットの健康管理が厳しくなったと聴いた。さてその「逆噴射事件」から15年後くらいになって、自分も大学病院で標記の航空身体検査医なる資格をとらされるはめになった。救命センターに勤務しているにもかかわらず自分のところにその役が回ってきたのはまったくの偶然だったのである。
あの昭和57年に起きた日航 K機長による「逆噴射」墜落事件であるが、結局彼は分裂病(当時)(現病名「統合失調症」)と最終的に診断されている。墜落させる数年前から行動が不穏であったようである。何回か着陸手前に操縦桿レバーを早く倒し墜落させようとしたらしい。そこで副操縦士とのやり取りであるが「機長! 何をなさるんですか?!!」 「(よく気が付きましたね) おみごとっ!」という会話が有名になり、当時ビートたけしのギャグででも使われた会話となった。結局このK機長が精神状態に異常をきたしていたことは当初は隠されていたのか発表されなかった。言うに事欠いて、マスコミへの発表は「心身症」という病名が一時期出ていたのである。自分はその時「あ~心身症なんて発表したら本当の心身症の患者さんに迷惑がかかるだろうな」と当時思ったのである。
3月にジャーマンウイングス社旅客機がフランス南西部に墜落した。墜落原因は、副操縦士が故意に墜落させたとみられている。何やら精神状態が操縦に適さない状態であったらしいということや向精神薬も服用中であったらしいという報道もなされている。飛行機事故は犠牲者が百~数百名単位の集団災害となるため特にその原因究明は重要である。機体の不具合や操縦の手はずによる事故ならば次回の予防策につながる。しかし操縦士の心の病についてはその健康管理者に委ねるしかないのである。ドイツでの事情は知らないが、日本では飛行機機操縦士の免許交付に際し、航空身体検査医による診断書がないと操縦できないのである。この検査は1年に1回の更新制である。大学勤務時代、一時期自分はこの検査医の資格を持っていた。もちろん飛行機の操縦免許はないが(笑)。
ところがやはりこの社長は大したものである。その後のコメントである。「ノーサイドとはスポーツの世界の用語であり、戦い終了後は互いに仲良く握手しましょうということである。しかしもしルール違反があればそれは話は別である」と述べた。「スポーツではルール違反者には別にきちんと罰則がある。それはノーサイドとは無関係である」と。そして会社の話に戻して「今回の一連の経過中で社内規定を遵守しなかった者に対しては規定にそった処遇が考慮される」と述べた。おそらく会長派であった社員は今後何らかの服務規程違反をつけられて処遇されるのであろう。やはり騒動後は「全員一致で」と言うのは無理であり、娘社長についた者は「全員同じ扱い」にはならないであろうことに溜飲を下げたであろう。そりゃそうである。「ノーサイドで今後社員一丸となって・・・」と一見太っ腹である素振りを世の中には見せながら、実はこの後反対派の粛清にかかるであろうことは想像にかたくない。
なんだか「ノーサイド」のコメントは傍で聞いていると、とてもフェア精神にあふれ、自分の抵抗勢力であった社員も全部自分側に引き入れるという娘社長の懐の深さを見た思いであった。しかし自分が社員であったら、この主導権争いのどちら側につくかは重要な問題であり、「勝ち馬」を選ぶことはまさに賭けであり、その結果にて自分の未来が決まるのである。しかしながら自分が忠誠を誓った娘社長から「以後、会長勢力である部下と同じように」と、十把一からげの方針を聞いたのであれば、自分は何のために娘社長に忠誠を誓ったのか不公平感が出てくる。忠誠を誓っても、反対勢力であっても同様の処遇ではやってられないのが社員の本音である。
一流企業である大塚家具において、父である会長と娘である社長の主導権争いはまさにメディア受け、一般市民受けするような骨肉の争いにまで発展した。父親である会長は終始、親と子の情愛を絡めた発言にて株主の支援を求めた。一方、娘は洗練された会社経営方針(具体性に欠けてはいたが)を打ち出し、スマートで現代的な発言をして株主にアピールしたのである。結局、この親子の主導権争いはとりあえず娘側に勝利をもたらした。その後、娘社長の談話であるが「戦い終わればノーサイドであり、父親側についた社員も同様一丸となって会社のために働いてほしい」と述べた。でも、自分はあっそう、ふ~んという感じがした。