このような科学研究では研究協力者がいればそれなりの謝礼が必要である。それも研究費の枠組みから出すのである。自分もこの研究を行ったことはあるが、調査に基づく研究計画の場合、その労働対価が偏在することに疑問が残ることがある。例えばこのような「アンケート調査」は労なくして現場の実情が把握できる。つまり低コストで研究データを収集できるのである。それが悪いとは言わないが、苦労しなくとも、あるいは足を棒にしてかき集めなくとも事足りるのである。しかも郵便代と返信用封筒代でよい。しかしそのアンケートの内容は回答するには膨大であったり、複雑であったりすることもある。こちらの年間患者の統計結果を聞いてくるものでは、この上なく手間ひまがかかるので送られたほうはたまったものではない。しかもある意味「研究協力者」であるはずが無償なのである。これは甚だ馬鹿にされたようで癪である。
うちのクリニックは「在宅支援診療所」という資格をとっているが、これを目当てに最近いろいろとアンケート協力の依頼がある。みるとそれらは在宅診療システムの問題点を調査し、その改善を目的とする、行政から予算をもらった調査研究なのである。裏事情を知っているが、この研究結果は論文形式の報告書にして年度末に小冊子に製本し何百冊かを当該省庁や関連部局に配布するのである。それで結局はその冊子はあまり人の目に触れることはなく過ぎ去っていくのである。特にその内容が吟味されて、すぐ明日のシステム改善につながることはほとんどない。つまり研究内容があまりリアルタイムに活用されるとはいえないのである。現行システムや省令などを変えるために急ぐものについては省庁が有識者をピックアップし省庁の中で研究班が立ち上げられそこで研究がなされ、その結果、システムが改編されるのである。個人の研究が生かされて世の中のシステムが変わったという話は少なくとも自分の身の回りでは聞いていない。
大学の医局時代は総務省や厚労省の科学研究というものに応募するようにうるさく言われた。これは各省庁が、個人から提出された研究計画を審議し、是と認めたものに対して研究費を出すものである。もちろんなかなか通らないことが多い。しかしながらこれを受けて研究をしているということは個人ばかりでなくその大学のステイタスにもつながるので、自分も何回か応募したことがある。しかし応募書類は大量であり面倒なのである。もっともこれに通ると数十万~数百万円もの研究費がおりる。中には1000万円を越えるものもある。自分も過去数回ほど研究計画が通ったことがある。もちろんこの目的は世の中の科学(自分の分野は医学だが)の振興にあるのだが中にはすぐに応用できないことも多いし、なんだか目的のはっきりしない研究もある。
今年もインフルエンザが流行してきました。1月になってから迅速検査にて陽性となる患者さんが急増しています。陽性になった(つまりインフルエンザにかかった)患者さんに聞くと、ほとんど全員の方が「予防接種を受けていない」とおっしゃる。「先生、頭も痛いし関節も痛いです。この熱、何とかなりませんか?薬でいつ治りますか?」 矢継ぎ早にこちらに即効性のある治療を強い態度で要求される方もいます。 身体が辛いのでお気持ちは十分わかります。でも~・・・、昨年の秋口から何回も「予防接種しましょう」とクリニックでもHPでもアナウンスしていますし、区の広報でも接種のお知らせをしているので・・。残り僅少ですが1月もワクチン接種は受け付けています。「自分はかからない」と思われている方はよいですが、それでもかかってしまったら自己責任ということになります。私は知りませんからね(笑)。 あっ、でも治療はきちんといたしますのでかかった方はいつでもお越しください(手ぐすね・・ヒクヒク)(爆)。
餅は高齢者や嚥下障害のある人にとっては危険な食べ物であるのは間違いない。しかしどうも日本人にとっては「ハレ」の食べ物であるということも間違いはなさそうである。普段は毎日食べるわけではないが、確かに正月に雑煮や小豆餅が食べられないのは1年を通して居心地が悪くなるような感じもする。とするとやはり自己責任で食べるということになるのだろう。「フグは食いたし毒は怖し」という言葉がある。フグにあたるのは怖いけどどうしても食べたいということである。餅を食べる時も、きちんと覚悟ができていればいいのであろう。・・・って、こんな大袈裟なものでもないかぁ(笑)。まあ、と言いつつも来年の正月だって死亡者0ではありえないのが世にも奇妙なところなのである。不思議だよねー、餅って。
どうもやはり日本人にとって餅というのは特別な食べ物のようである。確かに歴史的には五穀豊穣の祈願や、成長のmilestoneとしての祝い物に登場してくる。特に日本は江戸時代ではコメに貨幣価値があったので、尚更その位置づけは重要であったのだろう。とすると400年以上も前から続いてきたコメ(餅)の重要性は、例えばそれが原因で窒息しても「大変めでたい」ということになるのであろうか? あまりにも日本人が餅に対して寛大すぎる?のでそう勘ぐってしまうのである。大昔、嚥下障害のある高齢患者さんに「お餅はダメですよ。喉に詰まる危険性が高いです」と外来で言ったら、「正月に餅も食ったらいかんのか? 餅で死ねたら本望だ」と怒られました。家族からも「爺さんがそういうからいいですよね、食べさせて?」と泣きつかれたのでOKしましたが。
欧州での学会では、発表後にフロアで某国人から質問された。「餅が危険な食べ物だというなら何故日本人は規制しないのか?」と。まさにその通りである。答えに窮した。英語でのディスカッションであるのでこちらも不利である。言うにこと欠いて、「餅は日本では昔から聖なる食物として位置づけられている」「我々、農耕民族は米の豊作を願ったり、家を建てたりするときに配ったりもする」「いわばcelebratory food だ」と言ってしまった。後になって、もしかしたら日本の文化を誤って伝えたかもしれないという気持ちになった。しかし現代では鏡餅すらなくなり、ほとんど意味のない食べ物になっているようなのだが、それでもかたや餅で死んだらしょうがないという風潮もどこかにあるのではないかと思うのだ。
まあ欧州人に興味を持ってもらえなくとも結構であるが日本において餅で死亡する人は「確実」に毎年何人もいる。かたや蒟蒻ゼリーなる食品が窒息を引き起こしたとして、そのメーカーは訴えられているが、過去の実績?からいえば遥かに餅のほうが危険な食べ物なのである。私に言わせれば何故蒟蒻ゼリーが俎上に乗っているの?という感じである。餅のメーカーも窒息予防のため小片になるよう割れ目をいれてあるが、それとて柔らかくなったときの特徴である粘着性がなくなるわけではない。餅の方がその可塑性、粘着性からいって危なさそうである。餅と蒟蒻ゼリーのどちらも気道異物の原因物質となるが、日本では蒟蒻ゼリーには厳しく餅にはやさしいという感じがする。
今年の正月も例年のように「高齢者 餅で窒息死」という報道を聞いた。「今年は何人死亡」という人数を見るにつけ、なにかしら餅による死亡が「恒例行事」のようになっているのが怖い。かれこれ10年以上も前の話であるが、自分は欧州蘇生協議会という学会で日本における気道異物(窒息)の実態、特に餅の危険性を報告した。これは食べるときは熱で柔らかくなるので苦し紛れの吸気からどんどん気管の奥に入り込み、しかもその可塑性から鋳型状に気道をふさぐので空気の通り道が確保できず通常の気道異物よりも厄介なのである。しかも取り出そうとしてつまんでも、小片が細かく取れるだけで一塊では取れにくいのが特徴である。会場に実物の餅を持って行ったが、東洋の小国の食文化など興味を示す欧州人はほとんどいなかった。
うちのクリニックに一人暮らしで高齢のSさんという女性が通院していた。足が少し不自由ではあるが腰も曲がっておらず比較的元気である。ただ同じ話を何回もされる傾向があった。来院するたびに「娘が鎌ヶ谷大仏で有名なあの千葉の鎌ヶ谷に嫁いでおりまして・・・」といつも言っていた。自分は大昔に鎌ヶ谷のゴルフ場に行ったことはあったが、その時まで鎌ヶ谷大仏の存在は知らなかった。でもその患者さんの「鎌ヶ谷に嫁いで・・・」という話で何かしら鎌ヶ谷は近しい感じがしていた。ところがSさんは急に具合が悪くなり昨年お亡くなりになった。しばらく「鎌ヶ谷」という名前に接していなかったのだが今回の斉藤投手の入寮の件でまたSさんのことを思い出した。もう外来で「娘が鎌ヶ谷に嫁いで・・・」という話は聞けないのである(合掌)。
日本ハムの斉藤投手が千葉鎌ヶ谷の2軍宿舎に入寮した。宿舎に入寮しただけでものすごい数のマスコミ取材やTV中継が行われた。また1万人?もの人が彼目当てに球場に押し寄せたのもすごいことである。1万人といったら武道館で行われるイベントでの入場者数に匹敵する。まあ球場での見物もある意味イベントのようなものであろう。千葉の鎌ヶ谷などはあまり知られることのない土地であるが、ここにきて鎌ヶ谷大仏がいっきょに有名になった。しかしこの斉藤投手のTVレポートで某キャスターは「鎌ヶ谷大仏は日本で一番小さな大仏として有名」といっていた。 ん?・・・日本で一番小さな大仏なら、「大仏」ではなく「普通仏」であろう。無理に大仏にする理由がどこにあるのか考えてしまうのである。おそらく他の土地からも「それを言うならうちが日本一小さい大仏だ」とクレームが出そうである。
ミニカーの世界で相場を決めているのはT先生を含めた何人かだそうである。ということはT先生のオタク度もたいしたものである。当日、巣鴨地蔵通りの料理屋で飲みながら聞いた話であるが、職場の机の周りにはミニカーをいれたダンボールが幾重にも積み重ねてあり、さながら「城壁」が築かれているようであるとのこと。この趣味のいいところは、「もの」が小さいため、買い足して増やしていっても周囲(特に奥様)にはすぐには発覚せず、そのうち徐々に占有面積を拡大し気づいたときはすでにかなり陣地を侵略しているということである。彼は仕事では感染症関係が専門である。まさにバクテリアの増殖のようだ。しかも耐性菌なので始末におえない(笑)。
昨年暮れ元同僚のT先生がクリニックを訪ねてくれた。以前にも日記に書いたが、この先生は日本で3本の指に入る救急医である。何が3本なのかというと本業の医業ではなくミニカーのコレクションで有名なのである。医業が本業と書いたが、ミニカーオタクなのでこれを本業にしたいようである。ところがこれでは食べていけないので医業を生業としているのである。やりたいことで生活できるのが一番であるがしかしそう簡単ではない。確かに医療なんてものは決してcreativeな職業ではない。一方昨今、仕分けにあったJAXAなどはcreativeな仕事であり、携わっているのはオタク集団である。しかしオタクこそがその分野のcutting edgeなのであり、その分野を発展させているのである。やっていてきっと楽しいに違いない。しかもそれでメシが食えたら言うことはない。
1月になって風邪をひく方が増えてきたようです。咽頭痛、くしゃみ、痰が絡む、鼻水、鼻づまり・・・、これらの症状は風邪でもあるしインフルエンザかもしれないし、またはそろそろ花粉症も念頭に置く必要がありますね。今年の花粉は例年と比較して10倍量もあります。花粉症の内服は開始時期が早いほどピーク時の症状が緩和されるとのこと。花粉症の治療はお早めに来院ください。さて乾燥したこの季節は呼吸器系の病気が多いです。昔は風邪など絶対ひかなかったのですが開業してから毎年風邪はひいています。おそらく患者さんに風邪の方が多いせいかもしれませんが、そればかりではなくやはり寄る年波には勝てていないのかもしれません。少し体力や免疫力が落ちてきたのかも? 少しまた脱メタボ対策しないと、そろそろ医師会の会員健診があるので・・・。
次の順番の人が「順番守ってくださいよ」と強い口調でいった。あ これは言い合いになるかなと思った瞬間、別の待っていたお客も「みんなきちんと待っているんだ」と後に続いた。期せずしてもう一人別の人も「私も40分待っているんだ」といいはじめた。特に示し合わせたわけでもないのに異口同音の声が続いた。まさに黙契のようであった。私もお調子者である。ついつい何番目かの順番で「そうだそうだ」と隠れるような合いの手を入れてしまった。付和雷同のイヤな奴である。結局この老年クレーマー達は多勢に無勢なのか、ぶつぶつ言いながら退散した。それにしてもクレーマーとはどんな些細なことでも針小棒大にして文句を付けるのだなと感心?した。でもうちのクリニックはツッコミどころ満載なので、うちでこれをやられたらかなわない。